『歎異抄』第四条に学ぶ
『歎異鈔』という書物がある。親鸞の言葉を、弟子の唯円が思い出して書き留めた、聞き書きのような書物である。全部で18条からなる短い書物で、読みやすい。また浄土真宗の思想の要素がちりばめられているため、入門書としても有名である。真宗関連の書物でもっとも有名なものと言って良いかもしれない。
その第4条を今日読んでいた。以下に4条本文を示す。
「慈悲」とは現代の言葉で言えば愛であろう。聖道の慈悲というのは、真面目にこの世の人間が他者を救おうとする慈悲である。しかしこれは、すえ通らないのだというのである。「ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむ」人間の起す愛情では、思うように誰かを救うことができないというのである。
余裕がある時に相手に優しくしたりすることはできる。しかし、例えば、相手の死を肩代わりしたり、知らない相手のために身を投げ出したり、相手の悲しみそのものを自分のものとして背負おうとすることなど人間にはできないということである。
しかし、その身代わりできないことの悲しみから、慈悲の「かわりめ」が知らされると歎異抄は説くのである。以下に武田定光氏の『なぜ?からはじまる歎異抄』による「慈悲のかわりめ」の解説を引用する。
武田師は、人間の愛には限界があり、その限界に打ちのめされ立ち上がれなくなったものを阿弥陀は無条件の愛で包み込むという。阿弥陀如来の愛は全人類を視野に入れているというのだ。ただその阿弥陀の慈悲に出会うのは、悲しみの底、つまり人間の慈悲の限界においてであるというのだ。
その事で思い出すことがある。
中学の時に、私は身近な人を亡くした。非常に悲しみに打ちひしがれた。この世が反転してしまったかのような衝撃を受けた。当然、周りの家族や親戚も衝撃を受けたと思う。私は、周りの親戚も自分と同じような悲しみを感じていると思っていた。
しかし親戚の一人が次のような事を私に言ったのだ。
その前提として、その時もし、その身近な人の死が無ければ、私は県外(かなり遠く)にあるその親戚の家に遊びに行く予定になっていた。ところが、私の身近な人の死により、その訪問の計画は中止になった。その親戚の家には、私と同年代の息子がおり、彼は私の訪問を楽しみにしてくれていた。
そして、その親戚の口から出たのはこんな言葉だった、「あなたの身近人が亡くなって悲しいね。うちの子どももあなたに会えるのを楽しみにしていたのにね。それができなくなってしまって。悲しいね。」
私は、中学生ながら驚いた、というか、悲しかった。この親戚の叔母さんは、私の身近な人の死を悲しんでいるのではなくて、その死によって、自分の息子が私に会えなくなったことを残念がったのだ。つまり、その人の死に寄り添ったのではなく、自分の息子の楽しみの機会が消失したことを悲しんでいたのである。
その時は言語化できなかったか、今思えば「これが人間か」と思うような、深い絶望が私を襲った。ここまで、人間は自分のことしか考えられない、自分の身近な人しか愛することができないのか…という絶望だ。
しかし、それは本当は自分自身もそうだったのではないか?その人の死を本当に悲しんでいたのだろうか?その人を中学で失った自分という、その自分の姿をかわいそうだと思っていたのではないのか。本当にその人の死を悲しめていたのかというと怪しいのである。人間の悲しみはどこまでも浅いというか、悲しむべきことを悲しめていないという感覚がどこかにある。それはぬぐいがたいものかもしれなし、ある意味で大切なものかもしれない。
そこに初めて、つまり悲しみきれないという事実を通して、本当に深い如来の悲しみの世界が知られるのだと思う。悲しめないということを本当に悲しんでいるのは誰か…。
その自分の悲しみを浅いものだと知らせ、しかしそこで悲しみきれない自分を嫌ったり馬鹿にしたりするのではなく、そういう悲しみきれない自分を悲しみ包み込むさらに深い眼がある。その眼はただ、迷いの衆生よ、念仏もうせと言ってくる。その眼があるからこそ、自分の恐ろしいまでの浅さを知らされながら、それに絶望するのでも、開き直るのでもなく、ただその愚かな自分を知らされながら生きるということが始まるのかもしれない。
この辺りの構造をもう少し、経典を通して明らかにしていかなければならない。
(参考文献)『なぜ?からはじまる歎異抄』武田定光著、東本願寺出版、2016
『現代語 歎異鈔』親鸞仏教センター訳・解説、朝日新聞出版、2008
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