2012/1/24 #84 アーティストという虚像

このくらいの時期から、アーティストっぽさという幻覚に囚われ始めてしまったのかもしれない。

それが虚像だと気づいていない人など、今はもう少なくなってきている。

使ってないであろう商品を紹介するタレントを見て「どうせ使ってないんだろうな」と思ったことはないだろうか。
思ってもないことを歌うアーティストも、それと同じだ。

聴衆もそこまで馬鹿ではない。
無意識化で、どんどんそういうものを信用できなくなっていると思う。

それでも、頑なに愛や平和や共存を説くアーティストも居るが、今のところ音楽がそれを実現させた試しはない。

「いつか実現する!」なんて、未来という不確定要素を使っているだけだ。
だんだんと死が近づいてきて、音楽(そういった音楽)の無力さを実感してきた人には通用するものではない。


僕らが音楽事務所と関わり始めた10年前、まだ音楽業界には音楽バブルの名残が今よりもあった。

彼らはプロモーションの時に平気で嘘をついていたし、アーティストにも嘘をつくことを求めて「それがエンターテインメントだ」と話す。

とある人気ラジオ番組に出演したら、「その番組のヘビーリスナー」と言うことになっていことがあった。
実際聴いたことはあったしそのパーソナリティのことは好きだった。

が、ヘビーリスナーというのはまるで嘘だ。
生放送だったし、いつばれてしまうのかが不安なままトークコーナーをこなした。

自分の話ではないが、「全国ツアーで1万人動員!」というニュースが出ていたアーティストが居た。
そのニュースで書かれていたツアーの群馬編に出演した時、その人のお客さんは3人くらいだった。

1万人動員するためには一つの会場で平均300人くらい呼んでいないとおかしい。
東京だけ広い会場でのライブ、とかでもない。

何故業界はそんなにすぐばれるような嘘をつくのかが、ずっと不思議だった。
(ちなみに僕らのライブも100人動員を150人動員、と地味な嘘を付け足されていたりもした。)

そういう嘘の常態化から、音楽業界はバブル時代から進めていないように感じた。あくまで10年前の話だが。

嘘は、それを信じ切れる人にとっては確かにエンターテイメントだ。
でもそういう楽しみ方ができる人も減ってきていると感じる。

TwitterをはじめとしたSNSの台頭で、アーティストが普通の人間だということもすぐ意識できるようになった。

自分たちも呟く内容を制御されていたこともあったが、そうやって嘘を維持することにそれだけの価値はあるのだろうか。

昔でいう「スター」的なアーティストが減ったなんて話も、年配の方からよく聞く気がする。
大体は「スター的な人が現れなくて寂しい」といったような文脈のものが多い。

でもそれも、そういう時代になっただけ、な気がしないだろうか。

嘘が常態化していた音楽業界が廃れて、本当の自分のまま勝負している人たちが認められるようになってきた。

彼らは「スター」というカテゴリではないにしても、絶大な支持を得ていることは事実だ。
お茶の間で人気があるわけじゃなくても、武道館でも横浜アリーナでもZeppでもライブをし続けられる。


嘘で人を惹きつけようとしても、そこで失くしていく信用のほうが、自分にとっては損だと感じていた。

当時から2017年に事務所を辞めるまで、そんなストレスをずっと抱えていたように思う。


THURSDAY'S YOUTH
篠山浩生


・THURSDAY'S YOUTH / 独り言

ここから先は

0字

Web log(tweets)

¥500 / 月

過去ツイートを引用し、それについての言葉を書いていきます。 時々ただのエッセイ的なものもあげるかもしれません。

良ければサポートをお願いします。良くなかったら大丈夫です。