2012/3/28 #112 解釈違い
最近少し余裕がないな、と感じる。他人のちょっとした発言が気になるみたいな、そういう時期。病んでる気取りとか言われちゃうのは僕が悪いと思うけど、一応書いておくと、僕は病んでいたこともないし、病院もいったことがなくて、薬も飲んだことないです。これからも多分そうです。
— 篠山浩生 (@shinoyamakosei) March 28, 2012
だから、僕の曲を病んでいる、陰鬱系、みたいに捉える捉えないっていうのは、僕自身がそう発信しているわけではなくて、聴いて受け取る方によりけりだと思いますし、それのどちらが間違いだとも思わないです。
— 篠山浩生 (@shinoyamakosei) March 28, 2012
ただ、僕自身としての答えは、僕のそういった曲は病んでいる、または病んでいる気取りで書いたわけではなくて、日常を過ごしている時に浮かんできたごく浅い部分のストレスや愚痴をそのまま書いただけのものです。人間が浅くてごめんなさい。
— 篠山浩生 (@shinoyamakosei) March 28, 2012
自分の曲はちょっとしたストレスや愚痴を書いただけのものが多かった。
でも「病んでいる曲を書いている人だから本人も病んでいるのだろう」という目で見られることもかなり多かった。
だから人間性を知られた時に「病んでないくせに病んでいるような曲を書いているヤツ」みたいな扱いを受けることも多かった。
僕からすれば、自分から出てくる音楽はただの真実だし「病んでいない人間が書いた病んでいない音楽」でしかないのだが、リスナーの受け取り方は違っていた。
というか正直言ってリスナーの受け取り方が正解だったことのほうが少ないくらいだ。
そのくらい歌詞の読解なんてされないと思ったほうが良い。音楽を描く人は。
なんとなくの予想でも、現代文が苦手な人の割合と同じくらい歌詞の読解が出来ない人はいるはずだから。
なんにせよ、読解が苦手でも別に構わない。
問題は、読解が出来ていなかった時に「相手が悪い」と思ってしまうことだ。
彼らは自分の解釈を曲げることが出来ないのだ。
自分が勝手に解釈した正解と本人にギャップがあった時に「ギャップがある本人が悪い」と思い込んでしまっている。
自分はそういうものと戦ってきたつもりではある。
「自分はこういう人間です」
「だからあなたが思っている僕や音楽が間違いです」
と。
長い間自己紹介してきた。
リスナーの多くが自分のサディズムに気づいていない。
そもそも相手を評価するという行為自体は暴力に近い。
だからこそ、それを行う時は最新の注意を払ったほうが良い。
「褒めてるんだからいいじゃん」とか、そのくらいの意識の人がめちゃくちゃいる。
そうやって日夜アーティストをボコボコにしている。
褒める時すら最新の注意が必要だと思っていい。
本人が褒められたいのかどうかもわからないのだから。(もちろん分かる場合は別に構わない。)
THURSDAY'S YOUTH
篠山浩生
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