#59 2011/11/1 救い/ウェイクミーアップについて (無料)
昔から救いのない作品が好きだった。
救いがある作品にも好きなものはたくさんあったが、時々そういうものを受け取れなくなることがあった。
バッドエンドの作品や、後に少しだけ問題が残るような作品に対してはそういう気持ちになることはなかった。
後に心に残るもやもやとした感情が好きだった。
音楽についてもそうで、最後の数行で前向きに終わらせるような音楽を聴くとうんざりする気持ちがどこかにあった。
Suck a Stew Dry時代の楽曲にウェイクミーアップという曲がある。
この曲の歌詞は全体的に前向きな歌詞のあとに最後に「できればでいいさ」という本音を入れてなんとかバランスを保とうとしている。
歌詞を引用しながら自分との違いを書いていこうと思う。
"あの日思い描いていた未来の自分と
今日をなんとなく生きる今の自分を
重ねれば重ねるほど
なれていない自分ばかり
比べれば比べるほど
悲しくなる自分ばかり"
この曲の歌詞は嘘ばかりで、まず僕は小さい頃に未来の自分を思い描いたことがあまりない。
それに、なんとなく今日を生きていたのも小さい頃の方がそうだったし、当時の自分と今の自分を比べても今の自分の方が良いと思っている。
そもそも小さい頃の方が毎日地獄だったし。
"「自分」を生きていけるのは
きっと紛れもなく「自分」だけだ
いつも嫌いになってしまうけど
でも それでも
いつか生きている意味に気づいたら
いつか大事なものを見つけたら
こんなどうしようもない自分さえも
愛せるかな"
僕は「自分を愛さないといけない」という発想の持ち主ではないし、自分を嫌いだという気持ちがいけないことだとも思っていない。
それに、生きていくことに意味なんていらないとさえ思っている。
"この手の中にあるものはまだ
ゼロに限りなく近いからこそ
掴めるものは無数にあるよ
全てに届くわけじゃないけれど
何も掴めないほどではないなぁ
そうでしょう?"
一見ポジティブ風なのだけど、実は事実を言っているだけパート。
"「自分」を生きていけるのは
他の誰かじゃない「自分」だけだ
それは変わることなんてないまま
朝は来るよ
いつか嘘が渦巻く現実も
不安で仕方がない毎日も
こんなどうしようもない自分さえも
愛せるかな"
何故そこまでして自分を愛さなければいけないのかが全くわからない最終パート。
からの「できればでいいさ」と続く。
この「できればでいいさ」だけが割と本音で、自分を愛することも、生きている意味を見つけることも生きる上での必須事項だとは思っていない自分が伝えたいことだったりする。
自己啓発風の言葉が溢れる世界の中で僕が伝えたいのは、そういう言葉に惑わされて凹んでしまったりするよりも、そういう言葉を聞いても「ま、できればそうするか」くらいに捉える方が楽に生きれるし、自分らしいのではないかということだ。
THURSDAY'S YOUTH
篠山浩生
ここから先は
Web log(tweets)
過去ツイートを引用し、それについての言葉を書いていきます。 時々ただのエッセイ的なものもあげるかもしれません。
良ければサポートをお願いします。良くなかったら大丈夫です。