観光難易度A級シティの「千手」観音、大阪・藤井寺周辺散歩記録〜南北朝時代を添えて〜
※この文章は、日本史の南北朝時代に関係するものを見ると大興奮する人間が書いていることをあらかじめご了承ください。
御朱印集めをしている。とはいっても、行ったお寺・神社全てでもらっているわけではなく、南北朝時代に関係していたり、気に入ったり、生きているうちに二度は行けないだろうと思ったところのものをいただいている。最初にいただいた大覚寺の御朱印の日付が平成28年だったから、もう8年も地道に続いている趣味になる。
気がつけば、3冊目の御朱印帳があと数ページになっていた。新調しなくてはならないが、どこで買おう…と悩んでいると、こんなポストを見かけた。
一目惚れだった。格好良すぎる…!これはぜひ次の御朱印帳にしたい。
調べると葛井寺は毎月18日にご本尊である千手観音像の開帳をしているとあった。18日が土日の月を探す。直近は2024年の5月。楽しみな予定ができた!とうきうきで日々を過ごした。
さて、いざ葛井寺に行くならその周辺の観光スポットも回りたい。Googleに、「藤井寺 観光」と打ち込む。すると不穏なサイトが目に飛び込んできた。
観光難易度A級シティ、フジイデラ。サイトを読むと、「観光情報は、旅行誌には載ってません。」とある。な、なるほど…と若干怖気づくも、逆に何があるのか怖いもの見たさの気持ちも同時に湧き上がってくる。そして来たる18日、眠い頭をひきずって電車に乗り込んだ。
葛井寺
結局インターネットで調べてもどう観光していいのかわからなかったため、最初に観光案内所でマップをもらう。観光パンフレットはいくつかバージョンがあり充実していた。とりあえず駅から一番近い葛井寺を目指す。商店街を抜けるとすぐに到着した。18日のご開帳日に合わせていくつか屋台が出ており、人も多く活気がある。とりあえず由緒を読む。
めちゃくちゃ南北朝時代関係あった。急な南北朝時代の登場に、なぜか焦って敷地内に入る。とりあえず目についた別の立て看板でも読んで落ち着こう。
この松の木についての説明なんだな。なになに…、
本当に声が出そうになった。え、なんで?と一周回って疑問が浮かぶ。そういえば、ここに向かう時に乗っていた電車は楠木でお馴染み河内長野行き、つまり地理的に近いので関係があっても何もおかしくないのだ。目的が千手観音とご朱印帳にあった私は完全にそれを失念していた。
なんとか冷静さを取り戻し、千手観音像を見に行く。このお寺の千手観音像の珍しいところは、本当に腕が1000本あることだ(普通は42手だそう)。あまりお寺のホームページに写真が載っていないのだが、実物はとても圧巻だった。千本の腕の圧倒的な物量からは、ある種の執念のようなものを感じてしまう。顔はかなり人間に近かった。またお寺の外で現在の天皇と一緒に写っている写真があったのだが、遠目で見て想像するより全然大きくて驚いた。あの腕の多さでどのように像全体のバランスを取っているのだろう。
お堂の後ろにも空間があり、そこでお寺の関係資料の展示や千手観音像に関する説明のビデオ放映をしていた。もしかして南北朝時代のものとかないよな…?と眺めていると、高師泰と楠木正儀の書状がばっちりあった。高師泰の書状ってあんまり見たことない気がするのだが気のせいだろうか。
ちなみに、旗掛けの松に書いてあった楠木正成・正行、新田義貞の奉納した大般若経はお寺のパンフレットで写真を見ることができたのだが、高兄弟も納めたと記載があり、素直にもう供給過多だよと思った。
一通り参拝を済ませ、いざ御朱印帳を買いに向かう。しかし、どう見ても御朱印帳が置いていない。まさかと思いお寺の方に聞くと、しばらく在庫がないとのことだった。ショック…。しかし今使っている四條畷神社の御朱印帳の最後のページが葛井寺になるのは悪くない気がした。書き置きの御朱印をいただき、葛井寺を後にした。
お昼ご飯(ヤミツキ スパイスカレー チャンプ)
午後は暑い中しばらく歩くことが確定していたため、早めにご飯を食べることにした。葛井寺からすぐ側のスパイスカレー屋さん。
スパイスカレーは常に美味しい。ただ、自由に選べる付け合わせを酸っぱいものばっかりしたせいで、スパイスの味より酸っぱみが前に出てしまった。
辛國神社
マップを見たところ、葛井寺から歩いてすぐの場所にあるとのことで行ってみる。参道に緑が多くて気持ちがいい。
葛井寺でも思ったのだが、藤井寺までお寺や神社を見に来る人は大体自分と似た趣味を持っているらしく、熱心に写真を撮っていたり、しっかりめにお参りをしているのをよく見かけた。
岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)
藤井寺はとにかく古墳が多いまちである。民家の向こうに森があれば、間違いなく古墳である。畑の中にちょっとした丘があったらそれも古墳である。住宅地の中に宮内庁管理の場所が点在しているのは不思議な光景に見えた。
辛國神社からしばらく住宅街を歩くと仲哀天皇陵がある。
でっかいなあ…どうやって作ったのだろう…という思いがぼんやりと頭を巡るも、この日は最高気温が30度近くあり、それ以上に思考が回らない。とりあえず参拝をして、古墳を一周した。
初めてのレンタサイクル
次の目的地まで徒歩30分。こんな炎天下でだらだら歩いたら熱中症一直線である。そこで、初めてレンタサイクルを使ってみることにした。藤井寺市の生涯学習センターであるアイセルシュラホールで自転車を借りる。自転車に乗るのは数年ぶりだったので若干不安だったが、ペダルを漕ぎ出した瞬間になんて楽なんだ…!と新鮮に感動してしまった。利用時間にさえ気をつければ電車よりも安く済む可能性があるので、今後もっと利用していきたいと思った。ただ藤井寺は自転車で走りやすいかと言われると別にそんなこともなく、道はガタガタで狭く車通りも多いのでちょっと怖かった。
ちなみにレンタサイクルをしたアイセルシュラホールの2階は歴史展示ゾーンになっており、藤井寺市はそこに展示されている水鳥型埴輪をキャラクター化しアピールしている。
実際、とてもかわいいので見たかったのだが、なんとリニューアルのため令和7年3月末まで展示ゾーン閉鎖中だった。残念。いつか見に行きたい。
道明寺
観光案内所でパンフレットを見た時、道明寺も18日にご本尊を公開していると書いてあったので行ってみることにした。
自転車で道明寺まで向かう途中、伴林氏神社に寄った。「西の靖国神社」と呼ばれ、境内にある手水舎は靖国神社から移築されたものである(利用不可)。少し観光ルートから外れるためか人はいなかったものの、綺麗に整備されていた。
道明寺の近くの道明寺天満宮でレンタサイクルを返却し、先にこちらにお参りすることした。天満宮なので、もちろん菅原道真に関係する神社である。その前身はこの辺りの土地を支配し「土師」という姓を賜った野見宿禰が神様を祀った土師神社、と由緒に書いてあった。なるほど、最寄駅の名前が「土師ノ里」なのはそれかと納得する。
道明寺へ向かう。由緒を読むと、ご開帳している本尊の十一面観音菩薩像は菅原道真の手彫りと書いてあるではないか。
若干疑う気持ちもありつつ本堂に入る。入ってさらに驚いたのが、ガラスケースを隔てて30cmほどの近距離でご本尊を見ることができるのである。凄すぎる。十一面観音菩薩像は端正な出で立ちをしており、布の表現がかなり細かく見ていて飽きない美しい仏像だった。木彫りのようだが彫刻刀の跡も全くなくすべすべしている。
しばらく見ていると、ツアーらしき集団が入ってきた。暑くて疲れていたので、お堂の中にあったソファーに座って少し休みつつ、もう一度近くで見れるタイミングを測っていると、ツアーガイドの若いお兄さんが道明寺の説明をし始めた。観光マップを見つつなんとなく耳を傾けていると、どうやら菅原道真がご本尊を彫ったという伝説には一定の信憑性があるらしい。ツアーの集団が説明を聞いている間にもう一度ご本尊を見にいくも、本当に手彫りしたなら上手すぎるなと改めて思った。
古室山古墳
古墳というのは基本的に遠くから見るものというイメージがあるが、なんと実際に登れる古墳があるらしい。是非登ってみたい。道中、仲津山古墳に参拝しつつ、その古室山古墳を目指す。
それらしき敷地に入った。生えている植物は確かに綺麗に整備されているが、登れそうな階段や人が植物を踏んだ跡が全く見つからない。というか、私以外にいる生物はカラス2匹のみである。どこから登れば良いんだ、と前方後円墳の方から円の方向へと歩く。カラスが面倒そうに歩いて私を避けていく。ようやく登れそうな坂を発見するも、まあまあな角度である。
もう来たからには登るしかないと覚悟を決めて一気に駆け上がる。そうしてたどり着いた前方後円墳の頂上は、、、
禿げていた。禿げてる…と口から出た。来た道は一面草が生い茂っていたのに、頂上だけなにもなかった。何故…。
古墳の頂上からはあべのハルカスを見ることができると書いてあったが、マップと照らし合わせてもどの建物がそれなのか分からなかった。どう考えてもあの高い建物を判別できないわけがないので、私が暑さと疲労でおかしくなっていたのだと思う。息が落ち着いてきたので、前方の方面まで歩いてみる。
歩いているうちに前方後円墳はこういう高低差をしていたのか、と分かってきて面白かった。この周辺の子どもたちはここで遊んだりするのだろうか、贅沢な体験だなあと思った。
誉田八幡宮
古室山古墳からまたしばらく歩き、応神天皇陵に参拝した。折角なのでその近くの誉田八幡宮に寄って帰ることにする。気がつけば藤井寺市を越え、羽曳野市に上陸していた。参道らしき道があまりにも住宅街すぎて、道を間違えていないかとマップを何度か見ながら辿り着く。本堂の屋根が改装中なのが遠目に見えた。かなり老朽化が進んでいたと看板に書いてある。
由来を読むか、と文章に目を向けると1行目に足利義教の文字がある。暑さが見せた幻かと思ったが、現実だった。
看板の下の方に載っている絵巻物を足利義教が奉納したらしい。なんで?八幡宮だから???理解が追いつかないが、多分これはもう一発何か来る、確実に流れが来ている、という予感があった。境内に入ると何か碑があるので、立て看板を見てみる。
細川兄弟vs楠木正行の古戦場跡だった。
全く南北朝時代を目的に来たわけではなかったが、結果として半分くらい南北朝時代史跡巡りになってしまった。巡り合わせに感謝しつつ参拝し、少し休んでから神社を後にした。
ところで意図せず南北朝時代関連のお寺に行けて浮かれていたが、当初の目的である御朱印帳の購入ができていないことに帰り道で気がついた。実はもう一つ気になっている御朱印帳がある。京都水族館の、オオサンショウウオ柄の御朱印帳だ。
しかしこのポストを改めて見て分かったが、御朱印帳を購入できるエリアは、水族館の中である。通販も、やっていなかった。
次回、御朱印帳を求めて京都水族館へ……
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