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風花が舞う頃 28
古林は居心地悪そうに視線をそらす。淵田は、口元に意味ありげな笑いを浮かべ、私と古林を窺っている。
私たちのわだかまりで空気を悪くしてはならないと思ったとき、木村くんが古林に語り掛ける。
「ご主人が外国人嫌いになったきっかけがブラジル人と聞いて、何だか申し訳ないです」
「あ、木村さんのことを言ったのではなくて……」
木村くんは、わかっていると言いたげに頷き、穏やかな声で話し出す。
「日系人に非行グループがあるのは事実です。ですが、そうなってしまう背景に目を向けてもらえると嬉しいです。
80年代に、官僚たちは日系人の滞在と就労を決めるとき、日系人なのだから難なく日本に同化できると考えていました。ですが、日系でも、2世や3世になれば、母語も文化も生まれ育った国のものになり、日本人との生活習慣や文化の違いから問題が生じるのは避けられませんでした。
そして、僕のような四世は、両親のポルトガル語やスペイン語を聞き、ラテンのノリに接して育ちます。日本の小学校に入り、上手く適応できる子もいれば、言語や文化の壁で馴染めない子も出てきます。残念ながら、日本の学校に居場所を見つけられず、中退したり、非行に走ってしまうこともあります。日系人は日本国籍がないので、日本の義務教育を終えなくてもよいのです。いずれ帰国することを視野に、親が子供をブラジル人学校やペルー人学校、インターナショナルスクールに入れる家庭もありますが、全ての家庭がそうできるわけではありません。親がデカセギのように日本と出身国を行き来することもあるので、どちらの言語も中途半端になってしまう子も出てしまいます。こうした構造的な問題から、非行に走る日系人が出てしまうこともあります」
真田が尋ねる。
「あたしはブラジル人をはじめ、外国人が多い地域で育ったので、同級生に外国人がたくさんいました。ボランティア団体とか学校で、日本語を教えるプログラムがありますよね。小学校に入学したときは日本語が全然話せなかった子も、プログラムを受けて、卒業する頃には普通に話してた子もいました。そういうのがあってもダメなんですか?」
「僕も詳しくはないけれど、外国語を学ぶには、母語がある程度しっかりしている必要があるらしい。僕の友人で、親の都合で、子供の頃から日本とブラジルを行ったり来たりして、どちらの学校でも腰を据えて学べなかった子がいる。日本語プログラムも受けたけど、止めたり再開したりで、あまり上達しなかったそうだ」
「木村は日本語もポルトガル語も問題なく使えるな」
「父が子供には日本の教育をしっかり受けさせる方針だったので、僕も妹も保育園のときから日本語学習をしていました。学校では日本語でも、ブラジル人の仲間や家族と話すときはポルトガル語だったので、両親の母語を忘れることはなかったです」
「そうか。日本の学校で、嫌な思いをしなかったか?」
木村くんの眉間がかすかに曇る。
「中学のとき、担任の先生に『あなたたちはいいね。嫌になったら国に帰ればいいんだから』と言われました。確かに、ブラジル人には学校をドロップアウトしたり、家の事情で帰国しなければならない生徒もいます。今思えば、先生方は、ブラジル人を一生懸命教えても、途中帰国してしまうので、虚しさを感じていたのだと思います。
でも、僕は日本以外に居場所はないし、日本人と同じように勉強していたので、先生の言葉に傷つきました。帰国してしまう生徒だって、義務教育を受ける年齢では親についていかざるを得ないと思うんです」
「それはきつかったな。先生方も教育委員会も、心を砕いてくれていると思う。だが、日本語学習が必要な子弟が多く、対応が追いつかないのだろう」
私は木村くんの発言を補足しようと口を開く。
「本当にそうですね。因みに、日系人をはじめ外国人の方々は自動車メーカーなどの製造業に、派遣や契約社員として雇用されることが多いですよね。不景気になると解雇のリスクが高いので、2008年のリーマンショックの際は解雇が多かったでしょう。そうした理由で帰国せざるを得ない子弟が出てしまうのは避けられませんね」
汐見先生がうどんの汁を飲み干して頷く。
「世界で躍進する日本の自動車メーカーを底辺で支える労働力には、不安定な雇用の外国人も含まれている。難民申請者の就労も多いと聞いた。法的に弱い立場を利用され、過酷な労働環境に置かれることが多い。健康に不安を抱えている人は少なくないと予想できる」
「今の便利な生活を維持するには、外国人の労働力が不可欠になっているのかもしれませんね。コンビニのおにぎりを例にしても、海苔、具の鮭やたらこ、昆布などの製造に技能実習生が携わり、コンビニの工場ではアルバイトの留学生が勤務し、数を増していく店舗も留学生アルバイトに支えられているのですから」
金子と堀口が、顔を見合わせて肯く。
「言われてみればそうですね……」
「外国人の過酷な条件での不法就労は、先進国が多かれ少なかれ抱える問題ですね。法が現実に追いつかない状況で、彼らに手を差し伸べられるのは、地域社会の力かもしれません。隣人、NPO、医療機関、弁護士、ジャーナリスト、そして私たちのボランティアのような地域に根差した大学の活動」
木村くんが背筋を伸ばし、言葉に力を込める。
「如月先生のおっしゃる通りです。僕は窮地に陥った外国人を助けたくて、都内に拠点を置くNGOに就職しました。そこは、雇用主に給料未払いなどで搾取されたり、暴力を受けて逃げ出した外国人労働者や実習生を救い出す活動もしています。そこで経験を積んだら、故郷に戻ってNPOを立ち上げたいです。将来的には、国政選挙に出て、現状を変えたいです」
「木村、立派になったな。H大の大学院に進学したときも、大学案内のパンフレットに出てもらった。就職して数年経ったら、またお願いしたいな。生まれ変わる国際関係学部をアピールするために必要だ」
汐見先生は、学生たちに向かって語り掛ける。
「君たちには、こんなに立派な先輩がいるんだぞ」
真田が意気込みを含んだ口調で言う。
「あたしも、木村さんみたいになりたいです!」
木村くんは、ほのかに頬を染め、照れ隠しのように話し始める。
「勉強していると、日本もアメリカに似てきたと思うんです。アメリカは、ヒスパニック系をはじめとする不法移民が底辺で経済を支えています。彼らは法的に弱い立場で、過酷な労働環境に置かれ、いつ強制送還されるかと怯えながら暮らしています。日本のオーバーステイの外国人労働者も状況は同じです。アメリカは異文化との共存に苦労し、目をそむけたくなるほど差別や暴力がありますが、状況を改善しようとする力も働いています。日本は、そこから学び、同じことを繰り返さないよう考えるべきだと思います」
ピザをかじっていた真田が、口元を押さえながら発言する。
「あたし、共存は簡単じゃないと思います。うちの近所では、ブラジル人のパーティーがうるさいとか、外国人のごみの分別がめちゃめちゃだとか、問題だらけです。回覧板で回しても日本語が読めないから伝わらなくて、英語やポルトガル語に訳して伝わっても、新しい人が引っ越して来ると同じことの繰り返しです。日本人は、近所の人に注意するのが苦手だから、すぐ警察に通報しちゃう人もいます。あたし、子供の頃から、そういうのを見てきました」
古林が間延びした声で言う。
「そういうの聞くと~、うちの旦那みたいな外国人嫌いが増えるのも無理ないと思うんです~」
古林の口調が神経を逆撫でしたが、努めて感情を排した口調で語り掛ける。
「どんな考えを持つのも自由です。もちろん、ご主人のように外国人嫌いでも。ですが、そうした感情を言葉や行動に移し、相手の心身を傷つけるのは控えていただきたいです。そうした方がいなくなれば、外国人が恐怖や不快感を覚えずに、生活できると思います」
古林が目を伏せ、気まずそうにつぶやく。
「確かに、いい年して、みっともないですね……」
木村くんが大きく頷く。
「日本人の多くは、多数派であることしか知らないので、少数派の立場に立つのは難しいでしょう。
でも、明治から昭和にかけてアメリカに移民した日本人は、人種差別や暴力に苦しめられ、第二次世界大戦時には苦労して築いた財産を奪われて、砂漠のなかの収容所に入れられました。こんなにひどい状況に置かれたマイノリティはそういません。そんな状況でも、日系二世はアメリカ軍兵士として勇敢に戦い、収容所から出た一世もゼロからのスタートを耐え忍び、アメリカに居場所を築きました。そんなふうに、海外で差別を受けていた時代もあることに思いを馳せてほしいです。
アメリカは、こうした歴史を経て、ヘイトスピーチやヘイトクライムを厳しく取り締まれるようになりました。差別発言をした政治家が社会的制裁を受けるようになりました。いまの日本人が嫌な思いをせずに、アメリカで勉強や観光ができるのも、その歴史を経ているからでしょう。日本はまだこれからですが、アメリカから学び、同じことを繰り返さずに前進してほしいです」
汐見先生がかつての教え子に慈愛に満ちた視線を注ぐ。
「木村を如月先生のところで学ばせて正解だったな」
木村くんを誇らしく思うと同時に、彼に続く人材を育てることへの意欲が血潮のように身体を駆け巡る。気が付くと、いつも以上に足裏に力が入っていた。故郷を離れて以来、初めてその土をしっかりと踏んだ気がした。
★
眼前に、日本三大奇形に数えられる妙義山が厳然とそびえる。個性的な形状の岩が目立つ山肌を色づき始めた木々が彩る。空気は冷たいが、寒いと思うほどではなく、頭をしゃきりとさせてくれる。
「紅葉のピークには、少し早かったようだね」
龍さんは額に手をかざし、天を突くようにそびえる山々を仰ぐ。
「赤や山吹色がぽつぽつと山を彩っていて、まさに『山粧う』。ピークになると、もっと混むし、今で良かった」
以前来たときに広がっていたコスモス畑が、芝生に変わったことは寂しいが、雄大な山並みは変わらずそこにある。そのことが、心に平安をもたらす。
「澄んだ空気に食欲を刺激された。風花の弁当をいただこう!」
車に戻り、早起きして作ってきた弁当を膝に広げると、龍さんは目を瞠る。
「風花がこんなに料理するとは意外だな」
「何それ! 20年以上も一人暮らししてるんだよ」
「研究に没頭して、外食ばかりかと思った」
「そんな贅沢できないよ! 春巻き食べてみて。今日は良くできたから」
恐る恐る紫蘇とチーズ入りの揚げ春巻きをかじった龍さんは、「うま……!」と感嘆する。
「恐れ入りました。正直、見くびってた」
「失礼な奴」
憤慨しながら、高菜のおにぎりを頬張ると、絶景と澄んだ空気が手伝い、いつも以上に米が甘く感じられる。龍さんは、茹でたアスパラガス、ミニトマトから始まり、きんぴらごぼう、こんにゃくの甘辛煮、だし巻き玉子、鳥のから揚げの順に、次々とおかずに手を伸ばす。
「いつも、野菜から食べるの?」
「食物繊維が血糖値の上昇を抑えるからね」
「へえ、健康に気を遣ってるんだ。自炊してるの?」
「いや……。でも、野菜を摂るように心がけてる。この間の健康診断で、コレステロールと中性脂肪がひっかかったから」
「医者の不養生だね」
龍さんは苦笑いして、鮭のおにぎりのラップをはがす。
「ボランティア学生たちが自主的に動き出してくれて良かったな」
「うん。一時はどうなるかと思ったけど、ちょっと安心した」
「そうそう、婦人科医と整形外科医は、英語ができる友人が来てくれることになった」
「わあ、ありがとう。本当に助かります」
「それから、当日は検体をうちの病院に運ぶ時間があるから、遅くとも15時までには閉めてほしい」
「了解! 健康診断、たくさんの方に来てもらえるといいけど」
「うん。ただ、気になることがある……」
龍さんの眉間に深い縦じわが浮かぶ。
「何でも話して」
「うちの病院では、無料低額診療を導入できそうもない。ただでさえ、経営は赤字で、未払い医療費も年々増えている。だから、理事会で、国際関係学部を持つ大学の付属病院としての責任を果たすために、外国人の無料診療を導入すべきと提案しても、冗談じゃないと否決され続けている」
「確かに厳しいね……。提案してくれてありがとう」
ただでさえ、不況で医療費を支払えない人が増えている状況で、外国人の医療費の全額負担がすんなり通るとは思えない。私の一言で彼を難しい立場に追い込んでしまったことが胸をえぐる。
「検診で検査や受診を進めても、うちなら無料で受診できると言えないのが心苦しい。医療費が心配な人には、福祉事務所のケースワーカーに相談するか、無料低額診療事業をしている病院の情報を提供するしかない」
「それだけでも、何等かの助けになるかもしれない。まだ最初だし、これから少しづつ、できることを増やしていこう」
龍さんの瑞々しい瞳が光を帯びる。
「その通りだ。実は、現状を知ってもらうために、うちの病院のベテラン看護師にボランティアに参加してもらうことにした。看護部が現状を理解したら、僕の考えに近づいてくれると目論んでいる。当日は、反対派の急先鋒の病院事務長に視察してもらう。うちが継続的に取り組む活動だからね。そうそう、大学案内のパンフレットで紹介するから、写真も撮らせてもらうよ」
「さすが、龍さん。転んでもただでは起きない」
龍さんは口元を綻ばせる。だが、すぐに唇を引き結び、眉間に力を入れる。
「風花、あまり良くない話をしなければならない」
「何?」
「予算や国際関係学部の人事状況から、国際社会学の先生を公募するのは当分無理だ。それに限らず、新たな教員ポストを設けるのは難しくなった……」
「そう。まあ、思うようにはいかないよね」
龍さんは頷き、張り詰めた声で切り出す。
「来年、英国政治専門の浦野教授が定年を迎える。彼の担当科目は、風花が担当できる科目とほぼ重なる。年内に風花が決断してくれれば、彼の後任として赴任してもらえる。先生方や事務方に打診してみたが、非常勤としての実績、風花の人柄から、強い反対は出ない空気だった。公募にするとしても、風花以上の候補が応募してくれる可能性は低い。
以前は来年か再来年と言ったが、来年から来てほしい。このタイミングを逃すと、風花を迎えることができなくなる」
彼の黒々とした瞳に、強張った顔の私が映る。