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風花が舞う頃 27

 前回のミーティングを思うと、ゼミ室に向かう足が重くなる。学生に任せようと主張した手前、後に引けない。不慣れな学生を追い詰めてしまうこと、汐見先生や龍さんに心配をかけることを考えると、胃がきゅっと縮む。他方で、学生たちが自主的に動き始めることへの期待は捨てていない。

 ホワイトボードの前に立った真田は、ぴんと張った声で切り出す。
「うちのアパートは、ブラジル人とかペルー人が多い地域にあります。近郊の公民館とか市役所の支所を調べて、先生が言ったような部屋があるところをI市に見つけました。ここなんですけど」

 真田はタブレットを皆に回してから続ける。
景織子きょうこ花澄かすみと一緒に見てきました。2階建てで、会議室4室と和室、調理室があります。ブラジル人とかイスラム教徒が多く住んでる駅から2駅です。けど……」

 手帳を開いた真田は、ホワイトボードに丸っこい字で日付を書く。
「日曜と祝祭日で、複数の部屋と調理室を貸りられるのは12月のこの2日しかありません。あとは、習い事の発表会とか市民大学、町内会の行事で埋まってます。早く決めないと、この2つの日も埋まっちゃうかもしれません」

 タブレットに表示された施設を見ると、確かに要件を満たしていて、交通の便も良い。リーダーをやりたくないとごねていた真田の成長に目を瞠り、隣の汐見先生と視線を交わす。
「3人とも、よく探してきましたね」
「上出来だ。スケジュールが合えば、早いとこ押さえてしまえ」

 真田は、はにかんで頬を緩める。
「皆さん、このどちらかでダメな日ありますか?」

 今回から参加している木村くんが優しく答える。
「僕は2日とも大丈夫だよ」

 古林が語尾の伸びた気だるい声で応答する。
「あたしも、今のところ大丈夫そう。奈美は~?」
「今のところは予定ない」

「良かった。じゃあ、準備期間が長いほうがいいから、遅いほうの日にしましょうか? クリスマスイブだけど、いいですか?」

 その日は私の誕生日だ。今年はどんな思い出が付加されるかと胸が騒ぐ。

 真田は反対がないのを確認し、「予約してきます」とスマホを持って廊下に出ていこうとする。

「ちょっと待って……!」
 口を挟んだ淵田に、真田が尖った視線を向ける。

「すみません。あの、うちの近所に、農家に嫁いできた中国人女性が結構いるんです。そのうちの1人とたまに話すんですけど、彼女に健康診断の話をしたら、受けたい外国人がたくさんいるようです。婦人科系の病気を心配している中国人、日本でアレルギーが出たり、痛めた足の治りが悪くて心配しているヴェトナム人の実習生とか。日本語が下手で、車ないし、仕事も休みにくいし、医療費も心配で医者に行きないそうです。こういう人たちに来てほしいですが、そこだと遠すぎて……」

 関心が薄そうだった淵田が前向きになったのは思いがけない流れだ。彼らを連れてくるために、学生たちはどう動くのか。

 古林が気の抜けた声でつぶやく。
「確かに、奈美のとこからだと、車で1時間半以上かかるね。電車だと、待ち時間入れて、2時間は余裕でかかる。奈美の車に乗せてこられない?」

「軽だし、2、3人が限度。健康に不安を抱えてる外国人は何人かいるらしいし」

 真田が尋ねる。
「バスを借りるのはどうですか?」

 淵田が嘲るような口調で言う。
「借りるのにお金かかるでしょ? 運転手だっていない」

 真田が角のある声で言い放つ。
「じゃあ、淵田さんが、近くの施設を探せばいいじゃないですか」

「は? もとはと言えば、あなたが、私たちに何の相談もなく、自分の家の近くの施設で話を進めてるんじゃない」

 淵田の主張にも一理ある。ふり出しに戻ってしまうかと気をもんでいると、古林がゆったりとした声で口を挟む。
「うちの旦那、10人乗りのハイエース乗ってます。あたしは怖くて運転できないけど、旦那に頼めば送迎してくれそうです。けど……」
 古林が私を振り返り、唇の角に意味ありげな笑いを浮かべる。

 私が原因で夫が協力しないと言いたいのか。不快感が腹の中で生き物のように暴れ出す。だが、もし、彼が協力してくれれば、彼の外国人に対する偏見を変える機会になるかもしれない。そのことを考慮し、不快感を理性でねじ伏せる。

「古林さん、提案していただき感謝します。ご主人に相談してくれませんか?」

 古林は侮蔑のにじむ笑みを顔全体に広げる。
「一応、聞いてみますけど~」

 しびれを切らした汐見先生が真田を促す。
「施設を予約してしまえ。まだ日にちがあるから、不都合ならキャンセルすればいい」

 日時と場所が決まると、学生たちは所在なさそうにスマホをいじり始める。議論が止まってしまったことを心配した木村くんが、穏やかな口調で切り出す
「僕と妹は、ポルトガル語ができるので通訳ができます。僕の母と友人はブラジル料理をつくるのなら協力できると思います。必要なら言って下さい」

 真田が目を輝かせる。
「わあ、嬉しい。是非、お願いします。先生、材料費って出るんですか?」

 汐見先生がようやく予算の話が出たなと口元を綻ばせる。
「部費として、大学から5万出てる。管理は君たちに任せる。誰かが会計係になって、領収書を集めて私のところに持ってきてくれればいい」

「私、お金の管理が苦手なんです。会計、やってくれる人、います?」

 しばらく沈黙が続いた後、金子がボブヘアを撫でつけながら手を上げる。
「私、やります」

「サンキュー、花澄。バスケ部でも会計やってるもんね。ついでだから、みんなの担当決めちゃいましょ。一応あたしがリーダー、花澄が会計。木村さん、通訳と料理の責任者になっていただけますか?」

「もちろんだよ。遠慮なく、指示を出して」

「他にどんな係がありますか? 景織子と淵田さんと古林さん、どんなことをやりたいですか?」

 3人は気まずそうに目を伏せる。息苦しい沈黙が降りてきて、空気が澱んでいく。真田が助けを求めるように私を見る。

「周知しないと誰も来てくれませんよ。3人で広報を担当していただくのはどうですか? ポスター、チラシ、ウェブなど、手段はたくさんあります。翻訳が必要なら、英語は私、スペイン語は汐見先生、ポルトガル語は木村くんに依頼して下さい。他の言語は、翻訳ソフトやポケトークを使うのも良いでしょう」

 堀口が口の中でぶつぶつ言う。
「えー、私、デザインのセンスないです」
 淵田と古林が小声で囁きあう。
「最悪」
「一番面倒なのが当たっちゃったね」

 真田が喝を入れる。
「3人とも、広報宜しくお願いします! 広報は急いだほうがいいから、残りの時間で相談して下さい。木村さんと花澄も、予算と翻訳が関わるから、一緒に話し合ってください」

 真田は私の傍らに来て声を落とす。
「先生、あたし、部屋割りと動線を考えてもいいですか? さっき、淵田さんが、婦人科系の相談がある女性がいるって言ってましたよね。内診することを考えると、別の診察室があったほうがいいと思います。和室を使うのはどうですか?」

「よく気づきましたね。私も賛成です。学長に、産婦人科の先生に来ていただけるか相談してみますね。部屋割りができたら、見せて下さい」

 真田を見ていると、地位が人を作るとはこのことだと実感する。前に進み始めた学生を見ていると、私も腹を据えなくてはと思う。
                   

                 ★
 メンバーの距離を縮め、古林を説得する機会になればと、私は皆を夕食に誘った。ファミリーレストランで、10人掛けの広いテーブルに通してもらえたのは幸いだった。私と汐見先生、5人の学生と木村くんはタブレットで注文を済ませる。

「少しづつ、皆の気持ちが同じ方向に向いてきましたね」
「前はどうなるかと思ったが、君たち、なかなかやるな。期待してるぞ」

 皆の料理が運ばれてきた頃、私は意を決して口を開く。
「日本では、バブル期から単純労働分野で労働力不足が生じているのに、政府は外国人がそこで働くこと、定住することを認めるのに消極的です。そこが問題の発端ですね」

 汐見先生が湯気の立つうどんを一口すすってから尋ねる。
「1980年代くらいから、興行ビザで合法的に入国してくるフィリピン人女性がいましたよね? ダンサーとか」

「ええ。残念ながら、中には入管法で許可されていない風俗業で働かされる女性もいました。悪徳な雇用主や暴力団が絡み、パスポート取り上げ、ホステスや売春の強要、給料未払い等の被害に遭った女性が多いのが現実です」

「ああ、『じゃぱゆきさん』と呼ばれる女性たちですな」

 真田が太い眉を顰める。
「最低。それ以外の外国人は、日系人を除けば、みんな不法就労ってことですか?」

「結果として、観光目的で入国し、外国人登録をしないまま単純就労に従事し、在留期間が過ぎても就労しているオーバーステイが増えました。日本に滞在・就労するために、日本人と『偽装結婚』する外国人もいます」

 堀口が寄り目をさらに寄せ、眉間を顰めて尋ねる。
「そもそも、何で国は外国人の単純労働や定住に消極的なんですか?」

「労働市場で日本人と競合すること、治安の悪化、定住に伴う文化摩擦などを憂慮しているのでしょう。講義で扱ったヨーロッパ諸国で発生している問題のような。異文化の共存が一筋縄ではいかないことは、アメリカの差別と暴力に満ちた歴史を見てもわかりますよね。
 2019年に改正入管法が施行され、新たな在留資格『特定技能』ができました。この就労ビザを取得すると、政府が人手不足と認識している業種で単純労働に従事できるようになりました。ですが、在留期間に上限が設けられ、家族を伴って在留期間の上限なしに滞在するには、条件がたくさんあります」

 真田が口に運んだエビフライを飲み込んでから話し出す。
「競合するって言っても、外国人は日本人が避ける仕事をしてるじゃないですか。結局、定住させたくないんですね」

 金子がドリアを食べていたスプーンを置き、ボブヘアを揺らして強調する。
「国は、外国人を入れるのが嫌なら、そこに日本人が行くような政策を考えるとか、AIの開発に力を入れるとかすればいいのに。現実として、労働力不足が発生しているんだから」

 木村くんが、フォークを置き、居心地悪そうに口を開く。
「その労働力不足を埋めるために、明治から昭和にかけて南米に移民した日系人の二世や三世が合法的に定住、労働できるようになったんですよね。僕の両親のような」

「はい。1990年の入管法改正で、日系二世、三世を中心とした日本国籍を持たない人々の滞在・就労が合法化され、『定住者』という在留資格ができました。日系なのだから適応できるだろうと、言語や文化による摩擦を想定しない受け入れでした」

 淵田が箸を置き、私をちらりと見て尋ねる。
「うちの近所にいる実習生って、どういう身分ですか……?」

「1990年の入管法改正で、『研修』という在留資格ができました。日本の優れた技能等を途上国に移転する国際貢献で、研修生は学ぶ者であって労働者ではないという規定でした。派遣機関は日本企業の現地法人や合弁会社などに限定し、従業員20人に1人と制限する『企業単独型』でした。
 ですが、1990年6月の告示で、人手不足の中小企業の要望に応え、商工会や中小企業団体を通して受け入れる『団体管理型』が導入されました。彼らは団体を通じ、 人出不足の現場に割り振られて単純労働をさせられることが多く、実習先の変更はできません。1993年には 1年間の研修終了後に、研修を行った機関で労働者として技能実習を行えるという、雇用者に都合の良い制度になりました。
 2000年代には、違法な残業、賃金未払い、強制貯金、パスポート取り上げ、性暴力を含む暴力、不正行為隠蔽のための強制帰国等が露見しました。彼らは、研修生になるために、国の斡旋会社に日本で働けば返せると言われ、高額の斡旋料を支払って来日します。職場は実態と違いますが、途中帰国したら斡旋会社への借金だけ残ってしまいます。その結果、失踪して、もっと稼げる職場を探す研修生もいます」

 金子がボブヘアを揺らして力説する。
「姑息な方法ばっかり」

「本当にそうです。2009年に、さらに労働者性を高める入管法改正が行われました。まず、実務研修を伴わない研修制度と、実務研修を伴う研修・技能実習制度が分けられました。実務研修を伴う制度では、新たに『技能実習』という在留資格を設け、受け入れ機関に対する指導・監督・支援を強化しました。
 2014年には、研修1406 人に対し、技能実習は16万2145人。実態は、人出不足の穴埋めです。2017年に技能実習法ができ、実習生を守るための体制が整備されましたが、彼ら全てが適切な労働環境に置かれているとは言い難いでしょう」

 古林が気だるい声で尋ねる。
「コンビニでバイトしてる外国人って、どういう資格ですか? この間、うちの旦那がコンビニで、自分の言ったことが外国人バイトに伝わらなかったから、『日本語わかんないなら、バイトするな!!』って切れたんです。旦那は若い頃、暴走族してて、ブラジル人の不良グループともめてから、外国人嫌いになったらしいです。ここ数年、コンビニバイトに外国人が増えて、さらにそれが強まって、外国人はみんな犯罪者と吠えてます」

 アメリカで、思ったことを英語で伝えられず、軽蔑されたり、溜息をつかれた屈辱が生々しくよみがえる。ただでさえ気を張る外国生活で、そうした経験は強く、深く心を蝕む。要一の言動に怒りを覚えるが、酸味の強いコーヒーを含んでそれを鎮める。

「大学や専門学校、日本語学校などの各種学校で学ぶ留学生は、週28時間以内、夏休みなどの長期休暇中は週40時間以内のアルバイトができます。
 ですが、現地の斡旋会社と日本の日本語学校が連携し、斡旋料等の借金を背負って来日する留学生がたくさんいます。彼らは、週28時間のバイトでは借金を返せないので、結果的にバイト漬けになってしまいます。
 また、定員割れを懸念する日本の高等教育機関が、欠席の多い留学生を在籍させている例もあります。 地方の高等教育機関に籍を置く留学生が、実際は時給の良い東京でバイト漬けという話もあります。
 悪質な斡旋会社、ずさんな学校経営が原因で、日本で働く手段として留学生身分を利用する外国人が出てしまったのは事実です。ですが、真面目に学んでいる外国人が、外国人労働者予備軍とみなされてしまうのは残念です」

 私は古林と視線を合わせる。
「古林さん、あなたが学んだことをご主人に伝えて下さい。ご主人のような考えを持った人こそ、実態を知ってほしいです。まず、運転手としてボランティアに参加していただき、外国人と話してほしいのです。あなたから、説得していただけませんか?」

 古林は、「はあっ?」と馬鹿にするように眉をひそめる。中学の頃から、この顔を何度も見せられ、腸が煮えくり返る思いをした。だが、怒りを腹に押し込めて彼女を見据える。

主要参考文献
梶田孝道『外国人労働者と日本』(NHKブックス、1994年)

出井康博『ルポ ニッポン絶望工場』(講談社、2016年)

NHK取材班『外国人労働者をどう受け入れるか―「安い労働力」から「戦力」へ』(NHK出版新書、2017年)

田中宏『在日外国人 第三版―法の壁、心の溝』(岩波書店、2013年)

西日本新聞社『新 移民時代―外国人労働者と共に生きる社会へ』(西日本新聞社、2017年)

根本かおる『難民鎖国ニッポンのゆくえ』(ポプラ新書、2017年)

芹沢健介『コンビニ外国人』(新潮社、2018年)