風花が舞う頃 9
新宿の高層ビル群は霧にけぶっている。眺望を期待し、ホテル最上階のアフターヌーンティーを予約したが、生憎の雨になってしまった。
学長から受けた話を、交際のことを除いて話し終えるや否や、華が口を開く。
「風花さん、絶対に移らないほうがいいです! 風花さんは、Fラン大がどれだけひどいか、わかってないんです。しかも、O大って医療系が母体の大学で、経営陣は医者ですよね? うちの大学も医学部が母体だから、何となく予想できます。医者は自分たちの世界しか知らないから、文系学部の常識が通じないんです。
文系教員は、講義や会議、学務のあるときだけ大学にいればいいじゃないですか。研究や学務は、家でやっても問題ないし。うちの経営陣は、病院は毎日出勤が当然なのに、なぜ文系教員は毎日来ないのかと言うんです。コロナ禍で、不要不急の外出を控えることが奨励されて、ZOOM講義になっているときでもそう言うんですよ。医療従事者が命を張ってるのに、なぜ文系教員は来ないんだって。人の流れを止めなくてはいけないときに、おかしいと思いません? O大も同じ体質かもしれませんよ!」
「そうなんだ。大学教員は裁量労働だから、その辺りは柔軟だと思ってた。O大の国際関係学部の先生方も、出勤は柔軟だと思うけど。まあ、それは、調べておかないといけないね。サンキュ、華」
黙って聞いていた陶子が、妊活に良いというルイボスティーをすすってから口を開く。
「確かに文系教員の出勤事情は、理系の先生には理解しがたいよね。理系の先生は、研究室や病院にいないとできないことが多い。
文系の研究は、膨大な先行研究や資料を集めて、黙々と読み込む作業が長い。論文の執筆段階に入ったら、文献や資料を参照しながら、ひたすらパソコンに向かう。研究室にいると、電話がかかってきたり、業者が営業に来たりで集中できないから、自宅でやる先生もいる。自宅では、お子さんがさわいだりして、気が散って集中できないから、研究室でやる先生もいる。研究室も自宅も落ち着かなくて、カフェやファミレスに避難する先生もいる。論文の締め切り直前とか、忙しい時は、ホテルに缶詰めになる先生もいるし。そういうのが、わがままに映るのは仕方ないかもしれないけど、仕事の性質を考慮して、理解してほしいよね」
「確かに。私は重たい辞典とか文献、膨大な量の資料を参照しながらだから、それを置いてある研究室でやってる。必然的に、ほぼ毎日出勤することになる。でも、育児や介護があって、自宅でやらざるをえない先生もいる」
陶子がグヤーシュにスプーンを入れながら言い添える。
「私は、そういう柔軟性のある環境に助けられて、親の介護と仕事を両立できたと思う。ちなみに、アメリカの大学での指導教授は英国人だけど、父親を看取るころ、サバティカルを取って英国の大学に籍を置いて、介護をしながら本を執筆した。文系の研究者だって、遊んでるわけじゃないんだよね」
華がアイスカモミールティーのグラスを置いて力説する。
「そうですよ。うちの事務、医学部の常識で文系の教員を見てるから、全然理解ないんです。確かに私たちは、事務職より時間の自由はあります。でも、私たちは、きつい課題が要求される大学院生活を生き抜いて、博士号を取って、厳しく選抜される就職戦線を勝ち抜いて、いまのポストを得たんです。講義と学務を担って、その合間に研究もしているんです。
それなのに、事務員から、文系教員は時間の自由があって、高い給料もらえてずるいと言われるんですよっ! こんな大学、一刻でも早くおさらばしたいです!」
陶子が華を宥めるように尋ねる。
「華、落ち着いて。次のお茶、何にする?」
「私、このあたりでコーヒーにします。ここのオリジナルブレンドみたいですね」
「私はペパーミントティーにしようかな。風花は?」
「ダージリン」
陶子が目の前で注がれたペパーミントティーの香りを楽しんでから、口を開く。
「風花と同じ大学で働けなくなるのは寂しい。けど、私は思い切って移ったほうがいいと思う。親の老いと介護は避けられないし、近くにいるのにこしたことはない。
私、親が43歳のときにできた一人っ子だと話したよね? 親の老いが早かったから、介護の大変さは、2人より知ってる。私は実家が岡山県の倉敷だから、遠距離介護。父が末期癌で、在宅ケアになったときは、地元で訪問医と看護師さんに助けてもらって、母と一緒に介護した。妊活と並行してたから、新幹線での往復が本当にしんどかった」
「陶子、お母さんは、いま施設に入ってるんだよね?」
「そう。残された母は、父が亡くなった翌年、認知症が出始めた。最初は、週3回ヘルパーさんを頼んでいた。でも、買い物に行って、自分がどこにいるかわからなくなって、警察に保護された頃から、もうやばいと思った。何かあったとき、私がすぐに駆け付けられない状況で一人にしておくのは限界。しばらくは、仲良しのご近所さんに頭を下げて、定期的に様子見に行ってもらって、そのあいだに特別養護老人ホームを探した。最終的に、敏腕のケアマネージャーさんのおかげで、岡山市内の特養に入れた。父の保険金があるから、当面は月額費用が支払える。けど、母が長生きしそうだから、そのうち賄えなくなるかもしれない。そうしたら、私が引き取って介護することも考えないと。
風花は、ご両親が若いから、まだ遠い話だと思うかもしれないけど、避けられない問題だよ。風花の実家は、うちよりずっと近いけど、通って世話するのは簡単じゃないと思う」
陶子は、「暗い話してごめん」と肩をすくめ、焼きたてのスコーンに手を伸ばす。
華がアールグレイスコーンにクロテッドクリームを塗りながら言う。
「陶子さん、大変でしたね。うちはまだ元気で、妹夫婦が近くに住んでますけど、どうなることか……」
「華の実家は小平だったよね。勤務先からも華のマンションからもアクセスいいし、安心だね」
ガラスの向こうに見える高層ビル群は、混沌とした胸の内を投影したように霧がかかり、輪郭が不確かだ。祖父と両親のことを考えれば、陶子の言う通りだろう。運ばれてきたダージリンは、かすかにマスカットを思わせる風味で、爽やかな飲み心地のはずなのに、妙に渋く感じる。
陶子がミニタルトにフォークを入れながら尋ねる。
「風花が一番ひっかかっているのは、率直に言って何?」
陶子と華の視線が私に向けられ、答えを待っている。
「今の職場が気に入っているんだ。同僚の先生方はいい人ばかりで、事務員さんも友好的。人間関係がいいから、研究も教育も学務も、大変だけどやっていけてる。学生も、そこそこレベル高いし、知的好奇心旺盛。
あと、採用面接のとき、いまは同僚の先生方が、私の英語で書いた博論と論文を細部まで読みこんでくれてたんだよね。鋭い質問をされて、不十分な点を指摘された。その質問の鋭さで、先生方のレベルの高さがわかった。アメリカの指導教授たちにも負けない水準。彼らに評価されて、同僚に迎えたいと思ってもらえた自分が誇らしかった。そのことも、H大への愛着を強めていると思う……」
運ばれてきたアッサムティーをすすってから言い添える。
「もちろん、研究はどこにいてもできる。O大に移ったから、研究のレベルが落ちたら私の怠慢。華みたいに、Fラン大にいても、アメリカの学会誌に論文が掲載されるレベルの研究をしている優秀な研究者もいるし」
「風花さん、あれを書いたのは、3年前の話ですよ。准教授になってから、学務が増えた上に、大学院生を指導するようになったので、自分の論文は年一本書ければいいほうです。
最近では、学生の親が、大学教員に高校の先生みたいな役割を求めるから、ストレスでどうにかなりそうです。親が教員に、うちの子が仲間外れにされているからどうにかしてほしいとか、高校の先生が積極的な子に内気な子に声を掛けるように指導してくれたから友達ができたけど、大学はそういう指導をしてくれないのかと言ってくるんです。親が大学を出てないので、大学がどういう場所なのかわかってないんですよ。
O大がどうか知りませんけど、Fラン大では、学務や人間関係のストレスが増えて、心身が消耗して、研究時間は確実に奪われると思います。学生の質も落ちるから、H大では考えられなかったような事例も出てきますよ。そのことは、覚悟したほうがいいです。私は、一刻も早く脱出することしか考えてません」
陶子がチョコレートをかじりながら言い添える。
「風花の言うことわかるよ。私にとっても、H大の教員であることは、重要なアイデンティティ。働き盛りの40代で地方の無名大に都落ちしたら、何やらかしたのかと思われるだろうし。
でも、実は私、夫のいる香川で雇ってくれる大学がないか、ずっと探してるんだ。遠距離で妊活するのも不便だし、香川なら母がいる岡山とも近い。奇跡的に妊娠したら、この年齢で、助けてくれる身寄りもいないから、夫に助けてもらって出産や育児がしたい。だけど、風花みたいに好条件のオファーがあるわけじゃない。だから、ひたすら公募に応募して、知り合いの先生に働きかけ続けるしかない。私から見れば、風花は恵まれてるよ」
陶子の本音が、刃物のように胸にじわじわと食い込む。家族の顔と共に、毎日電話で話している龍さんの優しい眼差しが瞼の裏をちらつく。彼の存在は、時間と比例するように重みを増している。
「そうだよね。この先、ずっと一人はしんどいから、大切な人や家族の傍にいたい思いは強くなる。若いときは考えなかったけど、この年齢になるとそう思うよ」
華が、いぶかしげな声で尋ねる。
「風花さん、もしかして、地元にいい人ができたんですか?」