コラボ小説「ピンポンマムの約束」15
本作は、さくらゆきさんの「紫陽花の季節」シリーズと、私の「澪標」シリーズのコラボ小説です。本作だけでも楽しめるように書きましたが、関連作品も読んでいただけるとより興味深く楽しんでいただけると思います。週一で更新するので、宜しくお願いいたします。
※扉絵は、さくらゆきさんの作品です。この場を借りて御礼申し上げます。
「はっ……?」
作業療法室に一歩足を踏み入れたあたしは、のけぞって足を止めた。
米田先生と談笑しているのは、神職の装束に身を包んだ川副心理士だ。烏帽子をかぶり、空色の狩衣と浅葱色の袴姿で、そこだけ光が射しているような存在感がある。
あたしは、神社のように神様の力が強く働く場所は、頭に浮かんだことが本当になってしまうかもしれない気がして避けてきた。神職の人が近くにいると意識するだけで、ぞわぞわして身構えてしまう。
「紫藤さん、お久しぶりです。髪がすっきりして、雰囲気が変わりましたね」
川副先生は、あたしの髪型とワンピースに目を走らせ、瑞々しい若葉のような笑みを浮かべる。
「先日はありがとうございました。宜しくお願いします……」
あたしは、はなから戦々恐々として挨拶する。
「米田先生から、こんな格好をさせられてしまいましたが、宜しくお願いします。今日は紫藤さんのための時間ですからね」
川副先生は、赤みが強く形の良い唇に、意味深な笑みを浮かべる。
「リラックスした環境で作業するのが理想ですが……。紫藤さんの場合は、装束を見てぞわぞわしても、作業に集中することが必要ですからね」
米田心理士の小麦色の顔に、大きなにやにや笑いが広がる。
「強迫観念が来るたびに、目の前のことに集中できなくなるのは、卒業しなくてはなりませんね。今日はいいエクスポージャーです」
振り返ると、ちょうど入ってきた金先生が、感情を映さないガラス玉のような目であたしを見下ろしている。
「金先生の言う通りよ。千秋さん、私たちを呪ってみたら。川副先生の神力で本当になってしまうかもね。ああ、恐ろしいわ」
金先生と一緒に来た海宝さんが、あたしの心を読んだかのような突っ込みを入れる。
あたしは下唇を押し上げながらも、自分が恵まれた環境にいると実感する。幸福感にぞわぞわするよりも、先生方との残り少ない日々を惜しむ思いが全身を飲み込む。幸福恐怖に苦しめられないことを嬉しく思いつつも、入院患者として守られている時間を失うことが淋しい。矛盾する感情はあたしを不安定にする。
「これは正装ですか?」
金先生は、川副先生の装束に興味津々で尋ねる。
「いえ、常装の狩衣と袴です。普段の勤めはこれより軽装の白衣と袴で行います。正装は冠をかぶり、袍と袴をつけます」
「なるほど、正装も拝見したいですね。これは大変興味深い装束です……」
金先生は距離を詰めて目を見開き、鼻息がかかりそうな勢いで観察する。
「では、皆さんがうちの神社に来るときは、正装でお迎えしましょうか」
川副先生は反射的に後ずさり、やや引きつった笑みを浮かべる。
作業用の大きなテーブルに4人が座り、川副先生が菓子折りの空き箱を持ってくる。中には、雑誌やカタログから切り抜いたと思われる写真が入っている。
「川副先生、急いでたの? これ、切り方が雑過ぎない?」
米田先生が切り抜きを一つつまむ。確かに、切れ目が雑でぎざぎざになっている。箱のなかの切り抜きのほとんどが同様だ。
「すみません。僕、手先が不器用で……」
川副先生が居心地悪そうに顔を赤らめる。
「え、そうなの? 先生はいつも、仕事も身なりもきちっとしているから、意外だなあ」
「とんでもないです。僕は年中忘れ物や失くしものをしていて、部屋は散らかり放題ですよ。子供の頃から朝から晩までサッカー漬けで、生活が成り立っていたのは家族のおかげです。今でも母や姉が何かと気を付けてくれるので、体面を保てるんです」
「そんなところも、先生の魅力で、女性が放っておかないのでしょうね」
「海宝さん、今の時代、その言い方は問題があります。女性だけとは限りません」
「そうでした。失礼しました」
金先生の硬質な口調に、海宝さんは首を竦める。
気を取り直した川副先生は、机の前に立って話を始める。
「コラージュは、切り抜きを選び、貼りつけることで表現する方法です。特別な能力は求められないので、年輩の方からお子様まで、気軽に楽しめます。参加者が自分で切り抜きを選べるので、表現する自由も、嫌なことを表現しない自由もあります。後ろの壁に何枚か貼ってあるのは、患者さんの作品です」
背後には、様々な切り抜きを思うままに貼りつけた作品が何枚か掲示してある。これなら、あたしにもできそうだと気が楽になる。
川副先生は、雑誌やカタログ、広告を持ってきて机上に置く。
「最初に、貼りつける切り抜きを皆で作り足しましょう。ここから、お好きなものを選んで切り抜いてください」
川副先生もテーブルにつき、皆がカタログや雑誌を手にしてぺらぺらめくる。
あたしの隣に座っている海宝さんは、ホームセンターの広告のハーブに目を留め、レモンバーベナやペパーミントの写真を大事そうに切り抜き始める。米田先生は雑誌で見つけたゴルフクラブ、ダンベル、クルーザーなどのスポーツ関係を中心にはさみを動かす。金先生は、カタログギフトからケーキや和菓子を選ぶ。機械のように無駄のない動きと、丁寧かつ正確に切り抜かれたスイーツを見ると、この先生は外科系のほうが向いているのではと思わずにいられない。
川副先生に促され、あたしはギフト用のカーネーションやガーベラ、紫陽花、プリザーブドフラワーを切り抜くことにする。
川副先生は皆の作業をしばらく見守ってから、広告から食品や日用品を不器用に切り抜き始める。
久し振りにはさみを握ったあたしは、それを自在に動かす感覚が心地よかった。切り抜きに没頭しているうち、いつの間にか川副先生がいるぞわぞわ感を忘れていた。
皆の切り抜きが箱に入ると、かなりの量になった。川副先生は、テーブルの上に白い画用紙を広げ、スティックのりをいくつか用意する。
「初めに、皆で一つの作品を作ります。もうすぐ、海開きなので、海を作ってみましょう。順番に一つずつ切り抜きを選んで、用紙に貼りつけていきます。制限時間を設けますので、僕が合図したら次の人と交替してください。最初に僕が貼りつけますので、その後は時計回りで進みます。何か質問はありますか?」
「あの、切り抜きを選んでいるうちに、時間が来てしまったらどうなるんですか?」
作業の遅いあたしは、真っ先に尋ねる。
「何かしら選んで貼りつけてください。制限のなかで仕上げるのも面白いでしょう」
トップバッターの川副先生は、広告から切り抜いた鰹の写真を中央に貼りつける。
次の海宝さんは、箱のなかを吟味してから、クルーザーの写真を選び、交替がかかる直前に上部に糊付けした。
あたしは、緊張で耳まで赤くしながら箱の中を探る。苦し紛れに選んだのは、スイーツギフトから切り抜かれたアイスクリームの詰め合わせだ。海水浴にいったらアイスが食べたくなるはずだ。
「おっ、いいね。俺は何にしようかな」
米田先生は「これだって、海から来てるもんな」と、広告から切り抜いた袋入りのわかめを貼りつける。
金先生は、箱の中身を全部出して広げ、数秒ほど睨むように見つめる。皆の視線が集中するなか、カタログギフトから切り抜いたスタイリッシュなゴミ箱を選ぶ。
「海は世界のゴミ箱です」
ロボットアームのように淡々と手を動かす先生の横顔は、少し楽しそうだ。
三周ほどして終了すると、多様な切り抜きで構成されたカラフルな海が出現した。アサリ、牡蠣、日焼け止め、鰹節、寿司、枝豆、スイカ、帽子、バーベキューセット、缶ビール、煙草、マフラー、手袋、線香花火、ゴーグル……。一見カオスのようだが、どこか関連性があるのが面白い。
「紫藤さん、作っていて感じたことを教えてください。それから、完成した作品を見て、どう思いますか?」
川副先生があたしに穏やかな視線を向けて尋ねる。
「何を貼るか選ぶのも、皆が何を選ぶか見ているのも、すごく楽しかったです。この作品、あたしでは、なかなか出てこない発想もあって、奥深いなと思いました」
「楽しかったなら何よりです。確かに奥深い作品ですね。海宝さんはいかがですか?」
「私もすっかり夢中になりました。よく見ると、何だかピカソみたいね」
「目の付け所がいいですね。実は、コラージュは、ピカソやブラックによって、絵画の技法に位置づけられました。あそこに貼ってあるピカソの『籐椅子のある静物』は、コラージュを手法として位置づけた作品です」
皆の視線がピカソの作品に集中する。雑多で遠近感を感じさせる作品は、言われてみればコラージュにも見えるが、アートに暗いあたしには理解できない。
「米田先生はいかがでしたか?」
「童心に帰って楽しめました。さっき、金先生が海は世界のゴミ箱と言っていましたが、まさにそんな感じです。この時代の生活の縮図にも見えます」
「なるほど。江戸時代の人が作ったら全然違うものができそうですね」
「金先生は?」
「ほんの一時でしたが、雑多な日常から乖離しました。作品を自分一人でコントロールできないので、何ができるかわからない面白さがありますね」
「確かにそうですね。僕は何度も患者さんとやっていますが、毎回何が出来上がるか最後までわからないのが面白いですね」
川副先生は作品を取り上げ、少し離して鑑賞した後、大事そうに引きだしに収める。
「さて。次は各自が自由に作品を作ります。ここにある切り抜きを使用するのも、新しく切り抜いたものを使用するのも問題ありません。20分を目途に自由に制作してください。質問はありますか?」
「あそこに掲示してある作品には、敢えて曲線的に切り抜いたり、星型やハート型に切り抜いたものも貼りつけてあります。あのように加工しても良いのですか?」
金先生が機械音声のように熱量のない口調で尋ねる。
「もちろんです。表現したいものを作るために、自由に加工して問題ありません」
「何を表現してもいいんですか?」
あたしの質問に、川副先生は切れ長の目元を緩める。
「もちろんです」
先生は、その効果を意識したかのような優しい笑みを浮かべる。
「他の患者さんは、どんなものを表現するんですか?」
「そうですね……。なりたい自分、将来の夢など様々です。紫藤さんも作りたいものを作ってください。何を表現するか決めず、思いのままに貼りつけても構いません」
あたしは、数分前に唐突に浮かんできた考えを言葉にする。
「苦しんでいたときの自分と、これからなりたい自分を表現してもいいですか?」
先生方の視線があたしに集中するのを感じ、顔全体に熱が広がっていく。
「もちろんいいですよ。でも、苦しんでいたときのあなたを表現するのは辛くないですか? もし、辛くなったら、いつでも止めて構いません。無理はしないでくださいね」
「大丈夫だと思います」
「何があっても、ここにはドクターも心理士も看護師もいるからね」
米田先生の力強い声に、あたしの決意が固まる。
「では、始めてください」
川副先生の合図とともに、あたしは箱の中から、さっき切り抜いた紫陽花を何枚か取り出す。
画用紙の右側に強迫観念に苦しんでいた自分、左側になりたい自分を表現すると決める。
「紫陽花の季節」シリーズでは、紫陽花の精霊紫陽は紫陽花の開花時期しか目覚めていられず、八幡宮の敷地内でしか存在できない。紫陽は人間の恋人と生きるために、精霊として死に、人間として生まれ変わることを決断する。無事に生まれ変われた紫陽は、時間はかかったが、恋人に見つけてもらえて結ばれる。
初めて読んだとき、強迫観念に追い詰められて自殺しても、生まれ変わって、別れた恋人の生まれ変わりに見つけてもらえる予感がした。そう考えると死ぬのも怖くないと思った。あのときのあたしは、そんなことを考えるほど病んでいたのだ。
そのとき、海宝さんに諭された。紫陽は人間に生まれ変わって恋人と幸せになるために、精霊として死ぬことを選んだ。その意味で、「紫陽花の季節」シリーズは生のエネルギーが脈打つ喪失と再生の力強い物語だと。
海宝さんは、著者のさくらゆきさんは、自分の作品があたしの自殺を後押ししたと知ったら、どんなに悲しむかと言い添えた。
今なら、海宝さんの言葉が力強く胸に響く。あたしも、紫陽のように、幸福に向けて踏み出したい。
強迫観念に思考を支配され、人生をめちゃめちゃにされる自分に別れを告げるのだ。強迫観念を恐れて先生方に依存している自分からも脱却しなければならない。
あたしは、あたしの人生を生きる。幸せを恐れずにつかみ取るのだ!
神社にもお寺にも教会にも恐がらずに行ってやる。じいちゃんの法事にも墓参りにも行く。高卒資格を取って、大学に行って、メイクの仕事をする。幸せな人をもっと幸せに、苦しんでいる人も明るい気持ちにする。いつか好きな人と結婚して、子供を作り、家族を築く。
あたしはカタログギフトの冊子をめくり、ふかふかのベッドで眠る女性を切り抜き、画用紙の右側中央に貼りつける。黒いワンピースを着た女性の写真を切り抜いた後、目のあたりをくりぬいて不気味な印象にし、眠る女性の上部に貼りつける。これは眠る女性を苦しめている強迫観念だ。眠る女性の顔に涙を意味する水滴を貼り、赤いポロシャツの切り抜きを加工して左手首に血の染みのように貼りつける。手首の近くに紫陽花を貼りつけ、「紫陽花の季節」を後ろ向きに解釈をしていた頃のあたしを匂わせる。これが、強迫観念に支配されていたあたしだ。
画用紙の左側に、明るい表情をした女性モデルさんの切り抜きを貼る。彼女の髪に紫陽花を貼りつけ、海宝さんからいただいた髪飾りのつもりにする。彼女の進行方向の上部に、幸福な未来を照らす太陽を貼りつけ、その下に鳥居、化粧品、マニキュア、本など、未来を予感させる切り抜きを時間ぎりぎりまで手当たり次第に貼りつける。
完成したあたしの作品を見て、海宝さんはすべてを理解したように頷いた。その瞳はかすかに濡れていた。