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支援をしてもらうこと~当事者の視点から~
このノートでは、ASDの私が、ありのままに考えたことや感じたこと、生活で工夫していることなどを書いていきます。今回のテーマは、「支援をしてもらうこと」。ASDという障害を持っている私は、支援される機会が多いのです。そんな私が、支援される側の視点から「支援」というものをどのように感じるかつづっていきます。
支援使ってますか?
みなさん、こんにちは。さっそくですが、皆さんは支援を使っていますか? あるいは、誰かを支援することはありますか?
私は、日々たくさんの支援を受けながら、この世の中をサバイブしています。障害のある人を支援する側の方にとっては、「支援すること」が当たり前のように感じられるかもしれません。でも、支援を受ける当事者がどんなふうに感じているか、考えたことはありますか?
今回は、ASD当事者としての視点から、支援を受ける側の気持ちをお伝えしたいと思います。
私が使っている支援
まず、私がどのような支援を受けているのか、ざっくりと紹介します。
**障害者手帳(精神障害者福祉手帳2級)**を取得して受けられるさまざまな支援
障害年金による金銭的な支援
自立支援医療制度による医療費の負担軽減
グループホームによる生活支援
このほかにも、細かな支援はたくさんありますが、大まかにはこのようなものを活用しています。
支援される側の気持ち
支援を受けることについて、私は基本的に感謝の気持ちでいっぱいです。でも、少しだけ「申し訳なさ」を感じることもあります。それは、支援をしてくれる人の時間や体力、思考のリソースをもらっていると感じるからです。でも、そのもらったものは、私がまた別の形で誰かに還元すればよいと思っています。
一方で、支援を受けることで自己肯定感が下がってしまうのは、よくないことだとも思っています。本来、支援を受けることと自分の価値は無関係なのに、「申し訳ない」「自分はダメだ」と思ってしまうことがあるからです。でも、これは誰にとってもプラスになりません。
確かに、障害があることで支援を受ける権利はあります。ただ、その支援が成り立つためには、人手や財源といった貴重なリソースが必要です。さらに、過去には支援を受ける権利を勝ち取るために戦ってくれた人たちがいました。だからこそ、私は支援を受けることを当然とは思わず、支援してくれる人への感謝を忘れたくないのです。
以前の私は、支援を受けることに強い「申し訳なさ」を感じていました。でも、いろいろな人の意見を聞いたり、自分自身で考えを深めたりするうちに、少しずつ変わってきました。
今は、感謝の気持ちを大切にしながら、必要な支援を受け、それをまた誰かに還元していくことが大切だと思っています。そうすることで、支援を受けることへの申し訳なさも、少しずつ和らいでいくのです。
この記事のまとめ
支援に感謝しつつ、申し訳なさも感じるが、感謝の気持ちの方が大きい。
支援を受け、別の形で還元していくことが、申し訳なさの低減につながる。
ここまで記事をご覧いただきありがとうございました。またどこかでお会いできることを楽しみにしています。