東雲旭

日本の歴史や文化ほとんど知らずに過ごしてきたことを反省して、旅行や読書で勉強し直してい…

東雲旭

日本の歴史や文化ほとんど知らずに過ごしてきたことを反省して、旅行や読書で勉強し直しています。なかでも能楽に興味をもち、時間の許す限り能楽堂に足を運んでいます。こちらでは旅行記、能の鑑賞記録が中心です。読書記録は https://bookmeter.com/users/981424

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能楽キャラバン 名古屋公演

 行ってきました!  今回は能は金春流の「嵐山」と「船弁慶」、狂言は「伯母ヶ酒」。  春(年始から3月にかけて)と、秋(9月から11月にかけて)は能の上演が集中します。1月だけでも、すでに能楽堂に足を運ぶのは3回目(笑)。でも、名古屋での能の上演は、東京や大阪に比べて回数が少ないので、できるだけ行きたいのです。  金春さんには、贔屓にしている若手の能楽師さんがいるので楽しみでした。主に奈良で活躍されている金春飛翔(ひかる)さんと、金春嘉織(かおる)さんご兄弟。2年前にお二人

    • 三重歴史紀行(4):豪商の町、松阪

       松阪の町はもう少しじっくり見たかったのですが、あまり時間がなくさらっと廻ることになりました。  伊勢国を治めていた北畠氏が織田家に乗っ取られる原因となった大河内城の戦いに初陣として参加していたのが蒲生氏郷でした(三重歴史紀行(2)参照)。  勇敢に戦ったと評価された氏郷は、信長の娘を妻としてもらいます。  しかし、信長が本能寺の変で斃れた後は豊臣秀吉に従い、この松阪を含めた領地を与えられました。畠山氏の分家である木造氏は大河内城の戦いで織田軍と密通していましたが、最終的は

      • 三重歴史紀行 (3):斎宮跡発掘記

         三連休の中日は、秋晴れの太陽が照りつける中、斎宮跡の発掘調査現地説明会に参加してきました!盛大に日焼けしましたわ!!  飛鳥時代には、地形に合わせるようにして建てられていたのが、奈良時代になると東西の方位に合わせて建てられるようになります。少なくとも、2回以上は取り壊しをして、同じところに作り直しをしているのがわかったとのことです。斎王が変わる度に立て直しをしていたのでしょうか?  発掘により、飛鳥、奈良時代の斎宮宮殿は塀で囲まれていたことがわかりましたが、平安時代の斎

        • 三重歴史紀行(2):北畠氏館跡庭園

           今回の旅メインはこの北畠氏館跡庭園でした。  北畠氏館跡は、標高300メートルを超える山あいの盆地のほぼ中央に位置し、現在は「北畠神社」となっている神社の境内を中心とする、南北約200メートル、東西約100メートルの範囲です。西側は山裾で、それ以外の三方は川に挟まれ、背後の尾根には詰城跡があり、さらにその山上には、霧山城跡があります。  カーナビが案内したのは、津市からの山越えルート。地元の車はビュンビュン飛ばしていく中。細いくねくね道を1時間近く恐る恐る走ります…寿命が

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        能楽キャラバン 名古屋公演

        マガジン

        • 能楽見聞記
          7本
        • 歴史散歩
          17本

        記事

          三重歴史紀行(1):関宿

           秋晴れの中、三重県に行って参りました。三重といえば、伊勢・志摩、あるいは熊野がメジャーどころですが、今回はマイナー地域(すみません)でもある、関、津、松阪へ。この地域はガイドブックでは取り上げられないことが多いのですが、日本の歴史上では重要な役割を果たした地であります。それが伊勢国でありました。  関宿、地蔵院。天平13年行基が地蔵を安置したのが始まりと言われています。  お堂の前の鹿の像は「鈴鹿」の地の由来となった「鹿」に因んで造られたもの。壬申の乱で大友皇子を討つため

          三重歴史紀行(1):関宿

          「紅葉」:貴女か鬼女か

           小牧山薪能へ行って参りました。  小牧城の石垣の発掘調査が進み、リニューアルオープン。城への登り道も綺麗に、楽に(笑)整備されています。周囲には何にもないので、犬山城下の賑わいには負けておりますが、広い公園が広がっています。そこを使って、祭の時は賑やかに飾り付けされるのです。今年は、コロナのせいで中断されていた薪能も開催されました!始まる前に、パラパラと雨が降ってきていましたが、なんとか最後まで無事に上演されました。    今回の番組は、観世さんによる、舞囃子『箙』、和泉流

          「紅葉」:貴女か鬼女か

          西洋と東洋の融合

           現在、小牧市中央図書館のイベントスペースで開催されている展覧会に行って参りました。  HPもとても素敵です。  どこかで見た絵だな…と思っていたら、雑誌やご本の表紙絵で何回か拝見しているのでした。昔、梨木香歩さんのご本をよく読んだので、『村田エフェンディ滞土録』の表紙の方か!と気が付きました。  ご本の表紙はとてもカラフルで、しかもパステル調の温かい雰囲気なのですが、今回の展示は『黒い森』というテーマ。モノクロームで描かれた絵が中心でした。  木の板、あるいは木片。黒を

          西洋と東洋の融合

          中津川宿と天狗党

           先日中津川宿へ行って参りました。馬籠、妻籠宿は、観光客用に当時の街並みが再現してありますが、中津川宿はごくわずかに面影が残るのみ。しかし、資料館が面白い、と聞いたので楽しみにしていました。  以前に訪れた鵜沼宿と同じ、中山道の宿場町。ぎふ17宿のひとつです。  中山道は東海道のように大きな川や、船の渡しが必要なく、また往来もそれほど多くなかったため、別名「姫街道」とも呼ばれました。1861年の皇女和宮の降嫁行列は有名ですね。  しかし、この中津川宿が関係する江戸末期の大

          中津川宿と天狗党

          「咸陽宮」:ワキの能

           7月28日に、行って参りましたのは、珍しくワキ方の高安流の方が主催の会でした。  能というのは、やはりシテが主役です。そのため、会が催される場合にはシテ方が主催になることが多いのですが、ワキ方が主催の会が全くないとは言えません。今回はそんな特別な会でした。  能の演目は、『咸陽宮』。この曲は上演数が少なく、稀曲といっていいでしょう(宝生流では年1回上演があるそうです)。なぜ、この曲が選ばれたのか。それは、この曲はワキ方が主役である珍しい能だからなのです。  この曲は、大所

          「咸陽宮」:ワキの能

          道成寺を巡る女性たち

           もう梅雨明けしてしまったんでしょうか…多少なりとも涼しさを期待していたのですが、雲もまばらな(笑)炎天下の中、和歌山県へ行って参りました。  謡、仕舞の先生の娘さんが、昨年能楽師の登竜門とも言われる『道成寺』を舞われました。私の娘と二人で舞台を観に行ったのですが、初めて観るスペクタクル能に度肝を抜かれました。それ以来、道成寺へ行ってみたい、とずっと思っていたのです。 『道成寺』といえば、能、歌舞伎、文楽などでおなじみの「安珍清姫物語」。しかし、この寺の建立を発願したのは、

          道成寺を巡る女性たち

          能『砧』

           豊田市能楽堂で「納涼能」を観て参りました。演目は、能は『砧』、狂言は『秀句傘』。  狂言が意外と面白く、当時から「ジョークが寒い」って言い回しがあるのかしらとびっくりしました。  能『砧』は初見です。今回は喜多流によるものでした。 『砧』は世阿弥作であることがはっきりしており、世阿弥の息子、観世元能による『申楽談儀』に、世阿弥が語った事として、次のように書かれます。  世阿弥自らが言ったように、室町、戦国においてはほとんど上演された記録はないそうで、謡のみがおこなわれて

          新生・小牧城

           織田信長は那古野出身と言われていますが、当時の戦国「武将」の血筋なんぞいい加減でしょうから、先祖は誰やらわかりません。  比較的はっきりしているのは、信長のお母さんは土田御前という方で、可児市出身であるため、おそらくは岐阜の方が信長のホームタウンであったのではと思います。信長が小牧城にいたのは永禄10年から約4年ほど。その後すぐに岐阜城へ移っています。  しかし、発掘調査の結果、麓には曲輪が整備され、武家屋敷が立ち並んでいた様子がわかってきました。山頂の城は籠城用ではなく、

          新生・小牧城

          ふたつの『雲林院』

          5月11日。  五月晴れの中を豊田市能楽堂で、「さつき能」を観て参りました!名古屋能楽堂が改修工事のために、今年は名古屋での能の公演がなく、久しぶりの観能でした。  能の曲名は『雲林院』。  ワキは高安流の有松遼一氏。ご本は読ませていただいていますが、舞台を拝見するのは初めてでした。  素晴らしい美声でびっくりしました。声質ものびのびとしていて、心地がよい。  実は最近、謡のお稽古を始めたのですが、大きな声が全然出ないのです。とはいえ声を張り上げれば大きくなるわけではなく

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          秋田の城跡

           秋田旅行最終日は、秋田市に。  驚くほど都会でした(笑)。海外の方も沢山!夕方には飛行機に乗らなければならない予定で、時間配分を失敗した…と思いました。もっとゆっくり観光したかった…  1871年に佐竹氏により城が築かれ、明治まで270年続いた秋田藩のお城跡です。本来は「秋田城」というべきなのですが、古代柵である秋田城と区別するために、久保田城(久保田にある城の意味。秋田藩は広いので支城が横手と大舘にもある)と呼ばれています。今は千秋公園として、市民の散策コース。休みにな

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          「神鬼」なまはげ

           男鹿半島に行ってまいりました。 「年の折り目に神が来臨して人々に祝福を与える最古の民間信仰」として、重要無形文化財、ユネスコ無形文遺産に登録をされているなまはげですが、私はホンモノ(?)を見たことがありません。なまはげ見たい!と、男鹿真山伝承館、別名なまはげ館へ行きました!  伝承館の奥には、真山神社があります。お参りだけしておこうと軽い気持ちで神社の前に行って、絶句。ここはもとは山岳信仰の総本山であったようです。  景行天皇の御代に武内宿禰が北陸諸国視察の際に男鹿半島

          「神鬼」なまはげ

          金沢柵と出羽の国

           年々ゴールデンウイークは暑くなっていくような気がします。東北の地でも例外ではなく、初日の27日は、日中27℃…出羽の国巡りをいたします。菅江真澄が秋田を旅行した江戸時代は、多分10℃近く違っていたのではないか…と思います。  まずは、後三年の役の金沢柵があったという、横手市へ。  前九年の役で安倍氏を滅ぼした清原氏は、奥州の地を手にしました。後の藤原清衡の母は、安倍家の娘であり、一門を失い、夫を残忍な方法で殺された後、清原氏のもとへ再嫁することとなりました。想像でしかあ

          金沢柵と出羽の国