自由な航路を描ける船に
「諦める」ということの本当の意味
「諦める」という言葉を、私たちはつい「仕方がないと断念する」というネガティブな意味で使ってしまいがちですが、実はその語源は「明らむ」、つまり「明らかにする、見通す」という意味だと言われています。
Omimiかふぇにいらっしゃる親御さんの中にも、「子どものことは諦めました」と口にされる方がいます。しかし、その「諦め」とは本当にただの断念でしょうか? 子どもが不登校になったことで、親としての自分の願望や理想を「手放す」必要があると気づき、受け入れるための大切な過程なのかもしれません。
手放すことへの抵抗と問いかけ
それでもなお、「自分の思い描く子どもに戻ってほしい」「親としての責任を全うしなければ」と願う気持ちは簡単には消えません。 そんなとき、私は「手放してみませんか?」とお伝えしています。すると、「無理です!」と即答される方もいれば、「手放すとは具体的にどういうことですか?」と問い返される方もいます。
多くの親は、幼いころから「こう育ってほしい」と理想を掲げて、多くの経験を子どもにさせてきたことでしょう。それは、スポーツや創作、塾など、子どもが夢中になっていたものも、いつの間にか親の期待と重なり、「続けることに意味がある」「投げ出さないことが大事」と考えるようになってきたかもしれません。そして「苦しみを乗り越えれば成長できるはず」という思いで、子どもを導いてきたのだと思います。私も、そんなふうに子どもに接してきた親の一人です。
親のエゴと「正しさ」のバランス
ある親御さんは、中学に上がるころには高校受験を意識して、子どもが好きだったスポーツを辞めさせ、成績を上げるために塾に通わせたと言います。ですがその結果、子どもは学校に行けなくなり、次第に不登校となってしまいました。このケースに限らず、親が「自分は正しい」と信じてしている行動の裏には、「受験の際に自分が悩まされないように」という親のエゴが潜んでいることがあるのだと思います。
子どもを「思い通り」にしたいという気持ちではなく、「子どものために」という思い込みや信念こそ、一度手放してみてはどうでしょうか。そして、その手放した空間に、その子自身の思いや気持ちを入れてみてください。
手放し、子ども自身の道を見守ること
確かに、親の思う「正しい道」ではなく、時には遠回りに思える子ども自身の選択を受け入れるのは難しいことかもしれません。しかし、親が「遠回り」だと感じる道こそが、子どもにとっての幸せに繋がっていることがあります。
私の娘も、ある時期5年ほどの「さなぎ」のような時間を過ごしました。 当時はもどかしく思いましたが、今なって振り返えってみると、彼女にとって必要な時間だったのだと感じています。親として「今すぐ答えを出して、理想の道に進んでほしい」という思いはよく理解できますが、覚えておいてほしいのは、その道を歩くのは私たちではなく「子ども」だということです。
親として、しっかりとそのことを肝に銘じて、子どもの歩む道を見守る覚悟を持つことが、本当の「諦める」ことの意味なのかもしれません。
「手放す」とは親が変わることで子どもに変化をもたらすこと
ここまで書きましたが、子どもが不登校になったのは親の責任だと言いたいわけではありません。私が伝えたいのは、親として信じてきた価値観を手放すことで、子どもに変化が生まれるということです。親が切実に「子どもを変えたい」「変わってほしい」と願っても、その思いがうまく伝わることは少なく、本心ではない形での努力は長続きしません。子どもを理解しようとする中で、まずは親自身が変わることで、子どもの反応にも少しずつ変化が現れるのです。
これは決して簡単なことではありません。長年の信念や価値観は私たち親にも根付いているものですし、変化はすぐに結果を出すものではありません。
あるお父さんが、子どもの人生を船旅に例えて、「親が描いたレールに沿わせるより、たとえ遠回りでも、自由な航路を描きながら進める船であってほしい」と話してくれました。こうした視点を持つことで、子どもの未来に信頼を寄せることができるかもしれません。
私たち親が長い目で見守り、子どもの歩む道を共に支え、応援していくことが、子どもにとっての一番の支えになるのではないでしょうか。