目指せ出版! 日本史のセンセイと行く全国制覇の旅23 国境の島壱岐・対馬
五番目に生まれた島が壱岐島。福岡からのアクセスが便利ですが、対馬とともに長崎県にあたります。壱岐にはかつて一支国(いきこく、一大国と書く史料もある)という国があり、それが古代日本・倭のことが記載されている中国の歴史書「魏志倭人伝」にも書かれています。「魏志倭人伝」にはいくつかの国の名前が書かれていますが、研究者の間でほぼ見解が一致しているのが
対馬国
一支国
末廬国(まつろこく)(現在の長崎県松浦付近)
伊都国(いとこく)(現在の福岡県糸島市付近)
奴国(なこく)(現在の福岡市付近)などがあるのですが、そのなかでも壱岐の「原の辻遺跡」は一支国の都であることが明らかになった唯一の例です。大規模な調査で環濠(かんごう)集落であることが分かっており、また日本最古の船着き場の跡も発掘されています。現在は公園となっていて、竪穴住居や高床倉庫などが復元されています。日本国内に63件しかない特別史跡(史跡の中でも特に価値が高いとされるもの)にも指定されています。各港で電動アシスト付きの自転車をレンタルして島めぐりをするのがいいと思いますよ。
壱岐からおよそ70kmで到達するのが対馬。福岡に来るよりも韓国のプサンに行くほうが近いという国境の島です。「魏志倭人伝」にも登場しますし、江戸時代には朝鮮通信使と江戸幕府の調整を行った宗氏が治めた島でもあります(朝鮮通信使については「対馬朝鮮通信使歴史館」という資料館ができてます。私が行ったときにはまだ開館してなかったので、展示内容はわかりませんが、魅力的な名前の資料館です。一度行ってみたい!)。
そのなかでも注目したいのが古代における大規模な対外戦争である663年の白村江(はくすきのえ)の戦い。中臣鎌足の力を得て大化の改新を進めた天智天皇のときにおこった、唐・新羅(しらぎ)連合軍との戦いです。この戦いに敗れた大和朝廷は、大陸からの侵略を恐れて都を近江大津宮(おうみおおつみや)に移すなどして内政の充実を図りました。その中でも重要な位置を占めた政策が、国防の充実です。それは当然そうなるよね、いつ唐や新羅が攻めて来るか分からないのだから、それにはしっかりと備えなければならない。だいたい近江大津宮だって、大阪湾から敵が侵入してきたことを想定したとき、飛鳥では逃げ切れないと考えて、最悪の場合は船で逃げられるように琵琶湖そばに遷都したわけだから、その危機感が伝わってくるよね。
九州を守るために置かれた兵たちのことを防人(さきもり)というのは知っている人も多いと思う。防人じたいは中国・唐の制度で、辺境を守る兵とその制度のこと。なぜ「防人」を「さきもり」と読むのかについては、島を守る「みさきもり(岬守)」という言葉に、中国の制度であった「防人」の字をあてたという説が有力らしい。そして白村江の敗戦以降、主に東国から集められた人々が北九州の守りについたわけだ。
そして1350年経った今でも当時のことをしのぶことができる城跡が、ここ対馬市にある金田城だ。この城は対朝鮮半島の防衛にとって最前線となる対馬に築かれた、非常に大きな規模の山城なんだけど、作られた当時の石垣が現在でも非常に美しく残っているお城なんだ。まるで山全体が城で、リアス海岸になっている海がお堀のような印象。その雄大なスケールに圧倒されること間違いなしです。城の全体を見るにはトレッキングになるので、しっかりと準備をしてから行きましょう。