遺伝か育ちか
まいにちネットをサーフィングしては、気になる本を見つけると買ったり図書館で借りたりしております。
一か月ほど前に図書館で借りた2冊のうち1冊がこちら。
言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)
人間は顔じゃないよ、心だよときれいごとを言わなきゃいけない世の中だけど、実際は美醜でこんなに差がつく!
みんな平等であるべきとかきれいごと言ってるけれど実際はこんなに不平等、などなど、本人の努力でなしに遺伝子で決まってしまうことなど、口をぬぐってきれいごとしか言わない昨今に、わたしは避けられがちな真実を述べるからな!というような本です。
性格はかわらない
素直に賛成しかねる箇所も個人的にはありましたが、
「明るい性格=良し、 人見知りで内向的(暗いと判断される性格)=良くないとして矯正するべき、というような考えがあるが、もともとの性格は遺伝で決まっており、変えられるものではない」
というのに首肯しました。
わたしはまさに人見知りで内向的で、いろいろ考えるがゆえにいろんなことを簡単に口に出して言えない性格。
考えたことを、他人がそれによって傷つくかを考えずにそのまま口に出すような母親からは「根暗」と言われ、子どもの頃から矯正すべき性格のように言われていました。
いまでは仕事やコミュニケーションが必要な場面では明るくはきはき振る舞いますが、根の性格はやっぱり内向的で人見知り、これは変わることはないとしみじみ実感しております。
そして内向的であることが悪いことではない、とこの本ではっきり書いてあるのはウレシカッタ。
きょうだいでも性格が違う
この本ではかなり念入りに一卵性双生児や二卵性双生児の性格や行動の比較が、あちこちの研究から情報をひっぱって紹介されていておもしろかった。
同じ親でも顔はもちろん、性格も違うよなあと感じている。
わたしは3姉妹、姉と妹にはさまれた次女なわけだけれども、
姉は親に言われた通りの「まっとうな」道を歩み、自分でも「おもしろくない人生かな?」と思いつつも、踏み外すことができない性格。たいへん堅実に、国立大学を出て卒業後就職した大手企業一筋に30年ちかく、役職者となりバリバリ働いているらしい。(らしい、というのは姉とも妹とも連絡をとらずに20年くらいたっているから)
一方のわたしは道を外しまくり。
高校も公立に落ちて私立、大学も私立。
大学に通うために親元を離れてハジけすぎて在学中に妊娠、結婚出産離婚。親に迷惑かけまくった。
当然まともな就職できるわけなく、いろいろふらふら。
親にはとてもいえないいろいろもしている。
妹は、実は不良なんだけど親には上手に隠して遊び、国立大学から院に進学、博士号取得していまは研究者さま。かなりの年収でいらっしゃる様子。
ようやく手に入れた自己肯定感
これまではわたしが姉妹のなかで一番出来損ないと思っていたけれど、さいきん考えを変えるようになった。タイプが違うだけ、とね。
子どものころから抑圧的な親だったので、それに反発していた若いころ、姉から「母親の理不尽に正直に立ち向かってえらいね。わたしは戦う勇気がない」と言われたことがある。姉は「大人な対応」をすることで波風を立てないようにしているらしい。一方、わたしは「黙っていられない」。すこし年の離れた妹は可愛がられて育ったせいか、私や姉のように親が脅威ではないようで「気にしてない」。
20歳あたりに「生きづらさ」にあれこれもがいて精神分析医の本で「親にされて嫌だったこと」を洗い出し、いくつか母親に伝えたら
「わたしだって、大変だったんだから」
「お姉ちゃんや妹はそんなこと言わないのに、マリは根暗だからいつまでも昔のこと覚えていて」
などと言われた。
「そうかあ、わたしは根暗なのか、悪いのか」
というのがずっと根っこにあったけれど、ようやくさいきん、ふっきれた。
「姉と妹とは性格が違うのは当たり前。感受性が強いため、親からの干渉をまともにひっかぶった」
とね。
ただ、数年前、父親が姉妹全員にCcで
「母のことをあれこれと文句つけないように」
とメールで書いてきたので、結局、ほかの姉妹も母親に対する不満は伝えたのかもしれない。
自分が親になったことで子どもに批判されるつらさもわかったけれど、
自分は親から「否定された」ように感じていたので、つらくとも子どもからの批判には耳を傾けるようにした。
そんなこんな、いろいろな葛藤や苦しみの道を歩いてきてようやくさいきん、
「自分はこれでいい、ただ親には受け入れるのが難しかったんだ。親はわたしを理解するのはムリなんだ」
ということを受け入れることができてきた。
「世間的、社会的に成功している姉、妹に比べるとわたしは出来損ないだけど、まあいろんな経験して、おもしろい人生歩んでこれたじゃない」
とね。
やはり遺伝か
わたしは父親の違う2人の娘を産んだわけだけれど、顔や性格に違いがあるのは当然として、進路がまったく異なることは、今回この本を読んで「やはり、遺伝なのかなあ」と考えてしまった。
上の子は、グレたこともあり、「勉強をする意味がわからない」と言ってかろうじて入学した高校も中退して結局、中卒。ただ、絵や色使いに関しては素敵なセンスを持っているように感じる。10代で結婚して、3人の子どものいいお母さんになっている。
下の子は勉強が趣味で、秀才ではないけれど、こつこつと勉強をするのが好き。小学生のころ、小遣いで問題集を買うという変態だった。塾に通わずに一応有名といわれる私立大に通い、卒業して堅実な職を得た。
上の子の父親は在日韓国人の元やくざで、子どもの頃から「朝鮮帰れ」とかなり差別を受けてきて、学校もろくに行っていなかったみたい。しかし、身体的なことやカンには抜群のセンスを持っていて、
「差別を受けずに、ちゃんとした環境にいたらきちんと学校に行けて大成したのでは。せめてこの人の子どもは」
と思ったものだけれど、結局グレて本人も勉強を積極的に放棄してしまった。自分のせいだとずいぶん悩んだものだけれど、もしかして遺伝のせいもあったのか?とこの本を読んですこし心が軽くなった。
下の子の父親は相当に頭のいいひとで学ぶのが趣味、以前ちらりと「理解できれば勉強するのはたのしいので、勉強が好きになる」と言っていたけれど、勉強の好きなところ、地道な努力を堅実に重ねていくのが苦ではなくむしろ楽しいのは、下の娘は夫の血をずいぶん引いてるのかなあと思う。
親のできること
「氏より育ち」というけれど、養子が多く行われているアメリカでは、養親がきちんとした家庭のひとでも、実の親に問題があるとどうしても問題が出てくるという調査結果がでているのは以前から読んでいた。この本ではそれをいろんな研究・調査結果からひっぱってきていて、「遺伝でどうにもできないことがある。無理に教育しても無駄」という残酷な結論を提示している。ただ、親ができるのは環境を用意してあげることだけ、とあるけれど、実はこれがとても重要で、親の希望を押しつけるのではなく、「子どもそれぞれの能力にあった、適切な環境を用意するのが親が子どもにできること」なんだろうなと思った。
親をとりまく状況や考え、子どもそれぞれの適性や性格があってとても難しいことは、自分自身の親、子との関係をみてもわかるけれども。