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「職業:母親」は社会に認められないのか

しのぶんです。現在1歳になったばかりの男の子を育てながら、デザインやweb運営のお仕事をフリーランスでやっています。

先日マッサージに行った時、職業を自由記述で記入する欄があって、少し迷って「デザイナー」と書いた自分がいました。1日1〜2時間しか使っていないその職業を書いた時、「あれ?母親業の方がもっと(1日10時間以上?)時間を使ってるのに、何でデザイナーって書いたんだろう?」と。少し考えて出た結論は、「あ、母親業って職業だという認識がないからか」。

無名の「母親」

最近clubhouseというSNSが流行り出しましたが、そこでは有名人や著名人などいわゆる「すごい人たち」の話が気軽に無料で聞けるところも注目されています。この間「すごい人たち」が話しているトークルームで質疑応答を募集していた時に、ある女性が指名されました。

どうやら、その女性は生後2ヶ月の子どもの授乳をしていた最中に間違って挙手ボタンを押してしまったらしく、少し慌てながらも自己紹介とトークの感想を言ってまたリスナーに戻っていかれました。その時の空気感?が何となく、「なんだ、普通のママが間違ってスピーカーに上がってきちゃったんだ」という感じがしてショックで、その後にも他の質問者の人たちは「〇〇をしている〇〇さん」のような呼ばれ方だったのに、そのママだけは「授乳中のママさん」と呼ばれていました。

きっと、ほとんどの人は気づかない違和感なのかもしれません。私が育児中で、そういう事象にセンシティブなだけだよ、と言われればそれまでかもしれません。でも、会社を経営してる人も、本の著者も、バリバリキャリアを積んできた企業人も、みんなすごいけど、母親業だって、立派な職業なんじゃないでしょうか。「授乳中のママさん」じゃなくて「授乳しながら参加してくれた〇〇さん」と、きちんと名前も言ってほしかった。だって、「ママという仕事を今一時的にしている〇〇さん」だから。

「ママ」になった瞬間に、名前が無くなってしまう。

私にはもうきっと、市場価値なんて無い

子どもが生後半年くらいの頃、子育てをしている大学時代の友人とLINE電話で話した時。その子は早々に25歳くらいで結婚し、今は5歳と3歳の育児をしている。もともと優秀だったその友達は、卒業後地元の銀行に就職し、社長秘書にも抜擢されてバリバリ働いていた。第一子を出産した時は産休育休を利用して復職したが、時短で働くためには元の部署には戻れず、まったく別の部署、まったく新しい人間関係から再スタートすることになった。

時短とはいえ16:00まで慣れない仕事をゴリゴリ進め、息つく暇もなく保育園のお迎え、怒涛の夕方〜夜のルーティーン。とても体力気力が追いつかず、2人目妊娠を機に退職。その友達が、とても悲しそうな苦しそうな表情と声でこう言ったのが、とても印象に残っている。

「私にはもうきっと、市場価値なんて無い」

育児は、意味がないなんてことは絶対に無い。子どもは可愛いし、成長は嬉しいし、大変でもやりがいがある。でも、社会は、それを認めていない。「育休」「ブランク」という言葉からも分かる。育休は休みなんかじゃないし、子育て期間を「ブランク」と呼ばれたら、そんなのもう、「その期間は社会的生産をしていなかったということだ」と言われているようなものだ。

「ママ」はただのタグの一つでしかない

もちろん「母親」は立派な職業なんだ、という認識は広めたいけど、過度に「ママ」を意識するのもまた息苦しいとも思う。

「ママ」というタグが付くと、いきなり周りの環境が変化し始める。まず、まだ子育て世代にいない友人たちと微妙に話が合わなくなってくる(もちろん絆が深い友人とはライフステージが変わってもずっと関係は続く)。妊娠前までよく遊んでいた友達と産後1ヶ月くらいの頃に話した時、「私子ども嫌いなんだよね〜。電車で泣いてるの見るとうざくてイライラする」と言われて傷ついたり。

友人関係がガラッと変わるので誰と仲良くしたらいいか分からなかった時期に紹介してもらったママコミュニティでは、共通のタグが「ママ」だけで、特に気の合う人もいなくて困惑した。(もちろん紹介してくださった方には、エネルギーを割いていただき心から感謝しています)

例えばですけど、「あ、あなた広報やってるの?じゃあ絶対この人と仲良くなれるよ!紹介するね!」と言って他に何の共通点もない広報職の人を紹介するかな?って思って。確かに「広報」としての表面的な業務の話はできるかもしれないけど、大企業かベンチャーかとか事業の種類とか会社のカルチャーとか創業何年かとか採用広報に力を入れたいのか事業広報を伸ばしたいのかetc...いろんなもっと細かい共通点がないとなかなか悩みって共有できないですよね。

でも、「ママ」というタグではそれが起こる。社会にとって、「ママ」というタグの解像度がその程度なのか、社会を回す男性おじさん方にはそれ以上興味がないのか分かりません。

「ママ」はタグの一つに過ぎません。「ママ」というタグがついた瞬間に住む世界がガラッと変わって、元いた世界との間に気の遠くなる太い境界線が作られるのは悲しい。そして、「ママ」というタグの解像度が社会でもっと高まっていくと嬉しいです。

「職業:母親」にもっと誇りを持てる社会に

今日も無名の「母親」たちが、作ったご飯をひっくり返され、髪を引っ張られながら床を掃除し、逃げ回る子どものオムツを替え、泣き叫ぶ子どもを寝かしつけ、何度も何度もおもちゃを片付けている。ただひっそりと、それは家庭の中で起こっている。大半の母親は世の中に発信などせず、給料もなく、称賛もされず、ただただひっそりと、黙々と、やっている。

命を預かり、子どもを一人前になるまで育てることは、そんなに当たり前で、社会にとって意味のないことでしょうか。毎日育児に奔走する母親に、「私にはもうきっと、市場価値なんて無い」とあんなに悲しそうな顔で言わせるのが、私の今生きている社会なのでしょうか。

「すごい人だと言ってほしい」ということじゃない。でも、少なくとも、「職業:母親」だと胸を張って誇りを持って言える世の中であってほしいし、また仕事を始めようと思った時にも、「あー。子育てでこんなにブランクあるんですね」じゃなくて、「子育て○年のキャリアをお持ちなんですね」と言われるような、そんな職業であってほしいです。

母親たちは今日も、人知れず、無償で、誰にも賞賛されず、自分の時間も睡眠時間も削って、ただひたすらに、子どもの命を守っているのだから。

しのぶん

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