「明らかに言わないほうがいい一言をどうしても言わなければ済まない人々」について 157 ニンパイ 2023年1月30日 10:04 ツイートのまとめです。「明らかに言わないほうがいい一言をどうしても言わなければ済まない人々」について考えてる。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 フォーカスの仕方によるが、人間は個人差はあるけど大差はないと言える。みな似たように考える。あるいは、順当に考えるならある程度似てくると言えばいいか。もちろんその上で、それぞれがまったく違う考え方をする。ここは捉え方。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 みな似たように考えると前提があるから、共感という現象があり得るわけだし、洞察という行為が成り立つ。他人について「なんでそんなことを言うんだろう?」と考えるとき、自分自身の心の動きをプロトタイプに使うはず。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 で、一言多い人の一言って何かというと、我執だろう。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 相手とのやり取りの中での、割りを食ったままの感情を押し返すために、自尊心を守るために、一矢報いるような気持ちで投げつける言葉。それは「戦闘の継続」の意思を発露するものだ。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 言わずにいればそこで終わるものを蒸し返すことになる。愚かな一言だと思うのだが、問題は、そうしなければならなかった気持ちがその人の中に事実としてあるということ。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 突き詰めて言えば、人に我慢を強いることはできない。その人が我慢するに足る何かがあると自発的に思えなければ、その人の行動は制御できない。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 それは周囲に「一言多い人と思われる」くらいのマイナスでは埋められない感情かもしれない。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 ただ「一言多い人」の周りからは、長期的に見て明らかに人は離れていく。孤独になっていく傾向にあると思う。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 そういったマイナスを踏まえて、それでもなお言いたい、相手に感情を投げつけたい、そうしなければ自分の気が晴れないしスッキリしない…これはその人の感情や、ある種の一貫性を優先させるということで、それゆえ我執であろう。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 それは、自分の思いのままになる意識領域を広げたいという主張にも見える。自分が自分が自分が、である。圧がある。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 もちろんそれはそれなんだけど、一方で、自分すら突き放したありようというものも普通に存在する。自分から出てきた感情についてすら、「おお、こんなふうに自分は思ってしまうのか」とかね。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 我執の人にはそういう「自分を他人事のように見るスタンス」というのはなんじゃそらであろう。実際にそういう人も知っている。無責任なことを言うな、自分は自分でコントロールするものだという主張が返ってきそうだ。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 その主張は単体としては正しい言い方だが、話のレイヤーがずれている。自分の感情について一つ突き放した感性を持つのと、自分の行動に無責任になるのはまったく違う話だ。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 と、ここまで考えて「不寛容」という言葉が浮かぶ。他人への不寛容、自分の思考のゆらぎへの不寛容。不寛容な人は、寛容であることを無責任と捉えがちではなかろうか。入れ子構造っぽい話だが。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 それを自己正当化したい気持ちがさらに固めていく。いみじくも固めるという言葉を使ったが、感覚的なイメージとしてはまさに固めるという感じ。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 我執、不寛容、自己正当化。こう続いて連想するのは、自分の何かを防御する人ということだ。守らなければならない何かのために必死で気持ちを固める、もっと言えば攻撃する。— ニンパイ (@shinobuk) April 7, 2022 ダウンロード copy #自分 #言葉 #Twitter #感情 #気持 #ツイッター #感性 #一言多い #一言多い人 157 やぶさかではありません! サポート