いなくなるということ
昨日、故障した家電を交換した。
家電というのは生活に完全に組み込まれており、故障したり不具合があったりすると生活自体が変わってしまう。
まず修理の予約を入れていたのだが、耐用年数を考えるとそろそろ寿命かもしれないというのと、ここまでの数年間での修理回数(けっこう多かった)を考え、ちょうど週末だったこともあって新しいものを買うことにしたのだった。
家電は実にあっさりと交換された。
搬入してくれた業者に古き機種をそのまま無料で引き取ってもらうと、もとあった場所にはほとんど同サイズの、だが新品の家電が鎮座した。
違和感がない。
不思議なもので、何かを新しくした後というのは、その前までの状態を薄情なくらいに忘れてしまう。
まるで前からこうだったかのように馴染んでしまう。
故障して、それがいなかった時間というのは記憶の中にしかなくなってしまうのだ。
人はこうはいかない。
家電と違って人は入れ替え可能ではない。
まるっきり代わりになる別人、というのは原理的には存在しない。
なのだが、人は別れの後もそれぞれ立ち直って新たな日を生きていく。
入れ替えできないと言いながら、替えが効かないのはあくまで自分自身のみで、他人というのは脳の認識の濃淡はあるにせよ、大きくは「自分以外の要素」として処理されていく。
それがいいことか悪いことかはわからない。きっといいも悪いもない。
考える「この私」は私にとって替えが効かないが、人にとっては「自分以外の要素」だ。
それが冷淡かどうかなんて誰にも決められない。
おそらくそういう問題ではないのだ。
すべてのものは移りゆくし、例外はない。
いいなと思ったら応援しよう!
やぶさかではありません!