思い出し怒りと思い込み怒り
人間の基本機能として「ここにないものを想像する」というものがある。
イマジネーティブでクリエイティブなそれは間違いなく素晴らしいものなのだが、感情に作用することで厄介なものにもなり得る。
例えば、思い出し怒りというものがある。
過去にあったことを思い出して怒りの感情が沸いてくるというものだ。すでに過ぎ去ったことなのに、成仏しきれなかった感情が記憶とともに蘇る。私もこの状態に陥ることがあるのでよくわかる。
怒りというのは基本的には反応であり、主に「自分自身を大事にされなかったとき」に自尊心が反応して起こる感情である。それは切ない叫びであり、怒っているときの人の心は千々に乱れている。
だから怒りは本人にとってもありがたいものではなく、できれば蒸し返したくない感情のはずである。
だが、ふとしたことでスイッチが入ってしまい、思い出し怒りは発動する。
また、思い込み怒りというものもある。
こちらは現実にまだ起こっていない相手の行動を想像した怒りである。完全に頭の中でストーリーを作り上げてしまうので、タチが悪い。これも自分自身わりとやってしまう。そしてだいたいそんなことは起こらない。まさに杞憂である。
ネガティブな想像というのは、防御本能なのかなと思うことがある。先に最悪のケースをシミュレーションしておくことで、突発的な不幸に対応しようという悲しきマインドセット、それが思い出し怒りや思い込み怒りではないかと思われる。
そしてこれらは、あまり人に言えない。言ったところで「疲れてるんじゃないの?」やら「ストレス溜めすぎなんじゃないの?」といった、至極まっとうな返事が返ってくるに違いないからである。
まあ、人に話すということは、相手に何らかのリアクションを求める形になる。そこで何を言われようとも、それは受け入れなければならない。人に話すというのはそういうことだ。気に入らないリアクションが欲しくなければ、話さないことだ。決まった返事だけが欲しくて相談するのは甘えである。甘えが悪いと言っているのではない。甘えられる関係ならばそれでいいと思う。関係というのは迷惑をかけ合い、お互いに許すことでもあるからである。