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いろんな方の話を聞くと、かなりの確率で…というかびっくりするような確率で、29歳で人生の転機を迎える人が多いのである。29歳には何かある、とつねづね思ってきた。そういえばブッダが出家したのだって29歳だった。この29歳の転機というのは、その人の天職というものと非常に深く関わっている。29歳で、自分の価値観や、携わっている行為に対して疑問を持ち、そして疑問を解決すべく行動した人はその後、32歳の時に別の転機と遭遇するのだ。で、この32歳の時の転機が、自分の天職を決めていく。その
完璧なものとはなんだろう。 例えば、ある晴れた早朝に息を切らせて学校へ走る、黒髪の女子中学生なら完璧だ。トーストなどくわえていなくてもいいし、「やべー遅刻遅刻」とか言わないでもいい。さらに転校生の男子と曲がり角でぶつかる必要はもちろんない。彼女はそれだけで十分完璧であると言えるからだ。 例えば、会社帰りに酔っぱらって帰宅したお父さんなら完璧だ。ただしそれにはネクタイがだらしなく曲がっている必要があるし、その手には小さい寿司折りを携えていなくてはならない。さらに帰ってひと言
運転免許を持っていない。ほとんどの人たちは高校の卒業前に取得してしまうであろう車の免許だが、僕はちょっとした事情からその期を逸してしまったまま今に至っている。東京に住んでいる現在は、車を運転できないことの不便を特に感じることはない。幾重にもはり巡らされた地下鉄は東京のどこへ行くのにもスムーズな移動を約束してくれているし、ポイントとなる街から街へは頻繁にバスが通っているし、緑色の環状線は3分おきに日夜休みなく回り動いている。そして決して安くない車の維持費や駐車場代、車検費用等を
いつかのランチ。 ひとりでぷらっと、会社の近くの親子丼の店。 店員「いらっしゃいませー、お座敷のテーブルでよろしいですか?」 あ、いいすよ。 店員「混んでまいりましたらご相席になっても大丈夫ですか?」 や、かまいませんよ。 店員「お一人様ごあんないー」 6人がけのテーブルに僕ひとり。しかし店員の予言(?)どおり、直後に店は混んできたのだった。 店員「5名様、奥のテーブル席ごあんないー」 ○…僕 ●…団体客(20代男性) ● ● ○ ---
さて至福の時たるは真昼の酒といえども、日々の生業、すなわち仕事中のそれとなれば話は別である。とは言え小振りな器の「ランチビール」なるものを供す店もあるのだから、すべからく客がその甘露な背徳を一身に懺悔すべきかどうかは怪しいものである。曰く、欲望はその対象の存在を認めることで初めて発生するものだからだ。仮にラーメンという物がこの世に存在しないとするならば「嗚呼、今日は無性にラーメンが食べたい…」との思念は発生するはずもない。つまりはそういうことなのだ。きっと提供するほうが、悪い
「あたたーァかィーー」 うたた寝から目を覚ますと、シンカンセン・エクスプレスの通路にはちょうどワゴンを引いた女性が通るところであった。ワゴンには食料やドリンク、アルコールが積まれてある。必要に応じて呼び止めるシステムらしい。 「コーォーヒーィー、コーチャーァ」 すでに窓の外は雪の積もった白い地面で、ニッポンのカワバタというNovelistが書いたように、トンネルを抜けた景色の底はすっかり白い。ただし、まだ時間が早いので空は青々としている。青と白のツートンの景色が窓の外に
たまたま見かけた誰かのブログエントリで、「一人ではない旅は『旅』と言えるのだろうか」という一文に出会った。 旅は人数に関わらず「旅」と呼んで差し支えないと個人的には思うが、一人旅とそれ以外では確かにまったく質が違う。だから「旅」という大きなくくりの言い方に対して「一人旅」という言葉がわざわざ存在するのだろう。 僕は単独行動に快適さを覚えるタイプなので、もちろん一人旅も大好きである。 自分の過去の一人旅での過ごし方を思い返してみる。まず、非常にたくさん歩く。かなり歩