ボツになった文
最初は廃工場だった。廃工場でお葬式をした。急に死んだ愛おしい人は、合理的で簡易的なお葬式で悲しむ間もなく勝手に骨になってしまった。人の死すらわたしたちの生に含まれて、生活に従順に、処理されていくことがたまらなく悲しかった。それからお葬式をし続けた。(スーパーで買った魚のお葬式をしたらすごく臭くなった。)次は森だった。森の中でその死者だらけの大きな絵は台風ではがれ、そこにどでかい蜘蛛が巣を張った。
そうして死ばっかり描いていたら悲しみは癒え「もう描かなくていい」と言われた感じがした。
それから生きてるものを描こうと思った。空も、木も、ヒトも、馬も、花も、生きているものたちばかりで、死んでたって生きていた。今生きてるものを愛する事が、私(人間)にとって葬礼そのものだと。
ただただ絵が好きだった。巨匠と呼ばれる人たちが(マチスやらゴッホやら)何百年以上前に描いたその絵から、その時の愛おしい人、思い、感情や、その息遣いまで今現在の私が、そのままに感じれることが、すごいと思った。そんなことをできるのは絵だけだと。
そういう事をしたいから、ただ心をこめて、絵を描き続けた。春には生ぬるい風と新芽と犬を、夏には赤い夜や海、ヤシの木とサルサを、秋にはなかなか暮れない青空を。冬にははじめて火に出会った人たちを。
その次は廃校で、永遠に夕暮れがこない青い絵のためにカーテンを付けた。
風がそよいで、詩をかいて、それも絵になった。
絵と共にあるために、絵のための空間をたくさん作った。
動物たちが動物園で檻にいれられて私達が見るようなそういう空間じゃなくて、豊かな自然の中でただ、悠々と生きているのを私達がのぞくような、そういう、絵のための空間。
生きていたら色々なことが起きた。
ここ最近、ヒトの笑顔を見ることがほとんどなくなった。おそらくわたしたちは、一つ一つ丁寧に作り上げてきた、平和で温かい、わたしたちのための空間で生きていけなくなってしまったようだ。なんの脈絡もなく、急にそうなってしまった。
新しい場所で生き始めるには、生き抜くには、顔を隠さなきゃいけないんだ。
愛のあるハグも、キスも、顔を近づけて笑い合う事も、悲しみに暮れている人の涙をぬぐってあげることもできなくなってしまった。
かつて、葬式が合理的だと憤慨して絵を描いたのに、今は、今となっては、死すら見えない。死に顔すら触れないんだ。
それが悲しいね、と言う間もなく、毎日毎日、汚いものを落とそうと必死だ。
悲しいことが沢山ある。苦しいことも、悔しいことも。そして世界に多くの分断が生まれた。多分分断はもともとあったけど、その深い谷はもっと深く、もっと黒くなったような気がした。
生き続けよう、と言いたくなった。今生きていることをちゃんと言いたい。
死も生も美しい。あらゆる人間も、動物も、木も、魚もすべての生命は同等で美しい。
わたしは絵を描いた。そして彼らを存在させた、絵の中に。絵は私の海のようなアトリエで息をして、待っている。アトリエ一面に描かれた人や牛、アダムとイヴ、歌う原住民、愛し合う動物たち、戦争、祈り。走り書きした多くの詩たち。
彼らは彼らの存在をみるものたちを待っている。
彼らは世の中や現実と切り離されているのだろうか。現実の仲間じゃないのだろうか。
ひとりぼっちの私達に彼らは歌う。時に大きく、ときに口をとじ、そしてこちらにむかって歌い続ける。
あらゆる分断も、恐怖も、怒りも、絵のなかではただの色だ。
ただの色なんだ。私達だって。今ただ生きている。ただそれだけだ。それだけの存在が、今生き続けようと必死に叫んでいるんだ。私だって。
ただの絵が、今この時