ある猫についてのながい話
私がなぜ、ペットを全く飼ったことのない実家で猫を飼うことになったかは、ちょっと長い話になってしまう。
ちょうど一年前、その経緯を書いたのだけど、感情の渦中にある文章はとても読めたものじゃなかった。Twitterにかいたり、話したりしていたので知っている人も多いと思うけど、その後の話も含めて。
一年前、コロナ渦の、初期といえる2020年5月、私も、もちろん周りの人間も今とは少し違う不安のなかにいて、外をほとんどで歩かなかった。電車にも一か月以上のらず、恋人ともあわず、私は家の近くの川沿いを散歩するのが日課になっていた。
そこで出会ったのがにゃこさま、別名のらえもんだ。
のらえもんは雨の日に、農家と農家の間のちょっとした草原や木の広場の草塀のわきにいた。隣には兄弟のシロもいっしょにいて、雨の中、私の目の前に飛び出してきてにゃあにゃあにゃあと訴えるようにないてきた。おなかがすいていたのだろう、歩いても歩いてもついてくるので、根負けして、猫の餌を買ってきてあげたのだった。
それからというもの、そこを通るとにゃあにゃあと尻尾を立てて走ってきて、餌をねだり、そのあとは膝にのったり肩にのったりして、もう、こんなに猫って甘えるの?っていうくらいとっても甘えてくる。その甘えぶりにメロメロになって、ちょっと通ってるととその子は地域猫だったようで、餌を与えている人が他にも何人もいて、聞くともうすぐ一歳だそうで、とても愛されているようだということが分かった。
顔もかわいいし、性格もとにかく人なれしていて甘えん坊で、すっかり私はとりこになってしまった。
ここからまた長くなるので端折りながら書いていくと、そこで私は一人のおじさんに話しかけられた。おじさんには奥さんがいて、奥さんとも仲良くなった。
おじさんは脳の手術をして、二年間休まなきゃいけないとのことで、ここらを散歩しているうちに猫に出会ったそうだ。
猫たちはここ界隈にあつまり、人間たちとなかよくなって、うまくやっていた。
何故か雨の日に助けてから、のらえもんは私にとてつもなく懐いた。私が前を通ると、他の人になでられていても、走ってきてすりすりごろごろする。
たまらず私も「げんきぃ?」と猫なで声でなでると、ぴょんと膝にのって目をとじ「ん~」となくのだ。それをみた他の人たちはちょっとうらやましそうに「すごい慣れてますねえ」というのだ。
そのうちにそこによくいる人たちのなかで「おねえさん」と私はよばれ、彼らはわたしがくると、「おねえさんがきたよ、よかったねえ」とのらえもんに話しかけていたりしていた。
私とのらえもんは相思相愛で、お互いがなにを考えているか手に取るようにわかった。ちょっとした人間同士よりよっぽどわかりあえていたとおもう。私たちはちょっとした恋人同士のように、会ってただ楽しくすごした。せっせとアリたちがうごめくアリの巣を二人でみたり、にゃこがとってきたスズメに驚いて声をあげたわたしに驚いてスズメをおとしたにゃこにまた驚いたり、シロと三人で鬼ごっこをしたり、良いところをみせようと、高い木にのぼって降りれなくなってるにゃこを苦笑いでたすけたり、木の枝であそんだり、かくれんぼしたまま本当に見つからなくて焦ったらすぐ後ろにいて笑ったり、そうして、帰るときはお互い少し寂しかった。また会えるよね、というふうにお互いを見つめ、また会えたときは二人でかけよって、喜んだ。さみしがるとはいえ、のらえもんは送るところまで送るとそこからはついてこなかった。彼はここが好きなのだ。
おじさんはとにかくのらえもんが大好きで、「僕には慣れないんだというと、妻が、変に、おいかけるからだよっていうんだ」と言って下をむいた。
そうして「おねえさんといると寄ってくる」と言い、私の来る時間にいるようになってしまった。療養中なので、ひまなのだ。
それでものらえもんにぞっこんだった私は、おじさんを少し避けながらも毎日会いに通った。
ある日、そうだ、藤沢市の緊急事態宣言が解除された日だった。
のらえもんをひざにのせ、顎の下をなでていて動けない私におじさんは少し近すぎぐらいに近づいて、こういった。「こうしていると、初恋みたいな気分になるんです」
「はあ、」といい目をあげると、
ぎんぎんとした目が目の前にあった。
「僕には奥さんもいて、おねえさんには彼氏がいるのをもちろんしっているけど、一緒に動物園にいきたい」
「はあ・・・」「は?」ちょっと理解ができずににこにこしてぽかんとしてしまった。
のらえもんは何かを感じ、ぴょんと私の膝からおりると、走って行ってしまった。
「恋心があるんです。」
えっと思ってちょっと半笑いで「いやいやいや。。。」といった。
急な告白に言葉が出てこなかった。
私としたことが、おじさんの恋心に気づいていなかった自分を呪った。
いや、本当はちょっとあれ?と思うことはあった、けど、奥さんがいることと自分が猫と会いたいから余計なことを考えたくない事、そしてこのコロナ渦という世の中のざわめきで、
私は自分のカンというものを鈍らせていた。
それから悦にはいったおじさんはなにか、恋を思い出すように、キミを傷つけるとか、手に入れたいとかはない、でも、猫より君にあいにきていた、とか、一緒にどこかへいきたい、などと色々いっていたけど、私は頭が真っ白で、「いや、すみません」といって、「じゃあ、」と帰ろうとすると送っていくという。じゃあそこの道まで、と送られて、私はそのまま会社に行った。席にすわって、下をむいたらぽとんと涙がでた。
ちょっとひどい、と直感的に思った。私がどれだけにゃこを好きかわかっていて、通わなくなることがないとわかって、言っている気がしていた。もう、気軽に通えないということが重くのしかかってきて、自分の鈍感さに、うまくやれなかった馬鹿さに泣いたのだ。
のらえもんに会いたい、どうしても会いたい、と思うけど、会ったらおじさんがいる。
おじさんは待っているかの如く、のらえもんとセットでそこにいる。
私は行く時間をずらして、会いにいき、すこしはなれた草藪のなかで、小さい声で「にゃこ~」とよんだ。
人間には聞き取れない、だけど猫には聞き取れる声にのらえもんは走ってきて、そこで、逢引した。そういうのが3日つづいて、4日目には恋人が「その猫とやらに会いたい」と猫アレルギーなのに来て、恋人と、のらえもんと、私と三人であそんだ。
猫アレルギーの恋人はさわりはしないものの「・・かわいいな」といい、
私は一人でそこにいるのがいつも少し怖かったので、安心していた。
恋人が帰ったあと、なぜかわたしはもう一度、のらえもんに会いに行った。
暗くなり始めた草むらでのらえもんは私のひざにのり、私をみあげ「にゃあん」とないた。
本当に暗くなってきたので帰ろうとすると、
どこまでもついてきた。「どうしたの?もうかえるよ」
といっても川沿いのみちをとことことついてくる。
「またあしたあえるよ」というと、「にい~~~」と長くないて、立ち止まり、いつまでもいつまでも私の姿が見えなくなるまで、こちらをみていた。
その日の夜、とても鮮やかな夢をみた。
その前年に死んだおばあちゃんがでてきて、「これから天国にいくけど、ひとつ、やることがあるんだよ」と言う夢だった。おばあちゃんは泣きながら、悪がりながら、「ゆかりちゃん(わたしのお母さん)に悪い事をしたんだ」と言った。「そんなことない、ありがとう、ばあば」と私は言った。
次の日は大雨で、それでも明日と約束したので傘をさしていくと、のらえもんはもういなかった。次の日も、次の日も、いなかった。
いつもいっしょにいたシロがわたしのもとにやってきて「にゃあ、にゃあ」となき、すりよる。「にゃこさんは?」ときいても、にゃあ、と鳴いてわたしを見上げるばかりだった。
ふとみるとおばあさんが立っていた。おじさんの母親だ。たまに一緒にきていた。
私は藁にもすがる思いで「あの、ねこ、みませんでした?いなくて」という。もうすでに泣きそうだった。「いや・・・」とおばあさんはいったけど、私の目をみて観念したみたいに「あの、息子が、つれてったよ」と小さい声でいった。
「え?」
「何日かまえの夜、息子が連れて帰ってきたの。うちで飼おうって。それで、その子、外をみて、ずっとないて、とにかく外に出たがるから、脱走しないように息子が見張ってる。」「あ、そ、そうですか・・・。」
「事故じゃなくて、よかった、生きててよかった・・」とつぶやき、私は会社に行った。
涙が、一歩一歩と歩くたびに、鼻の奥から湧き出て頬をつたった。
これでよかった、でももう会えない、でも、雨の中、さみしい思いもしなくてすむんだ、と言い聞かせた。
シロも連れて行ってくれればいいのに。シロとにゃこはいつも一緒だった。シロがかわいそうだな、と思った。
もう会えないさみしさがあふれて会社でこんこんと泣いていると、
会社にきた母が驚いたように心配して、いきさつを話していると会社のインターホンが鳴った。のらえもんのいるところから会社までは歩いてすぐなのだ。
でると、おじさんが立っていた。
おじさんは「あの・・・母にきいて」「あ、はい」という。
「あの、うちにぜひきてください。うちにあそびにきてください。会いたがってるから、会ってあげてください、あの、あの子がついてきちゃったんで、だから飼うことにして」
と言った。
うそだ、とおもった。のらえもんはここまで送ると決めていたし、そのさきには車の通る嫌いな道があってそこはとおらない、だから、ついてくることなんてない、きっと捕まえて家に連れてかえったんだ。
「本当は言いたかったのだけど、会えなかったから」と言っていた。
そりゃそうだ。避けてたんだもの、とも言えず「はあ・・」という。
おじさんはちょっと、いいものをみた、という目をして私を見ていった。
「泣いてるんですか・・?」という口元がすこしゆるんでいて、気持ちが悪い。
「はあ・・」悔しかった。
泣き顔なんて絶対この人に見せたくなかったのだ。
異変を察知した母が心配してドア口に来て、「なんですか」「わかりましたから帰ってください」と追い払い、おじさんは帰っていった。
席に戻った私はもう混乱状態だった。
「なんで、こんなこと、するんだろう」とまた泣いた。
「にゃこがかわいそうだ、野良だけど、あの場所がすきで、くさむらがすきで、なのに、かわいそうだ、家からださないなんて。私が、わたしがつれてかればよかったのか、わからない、とにかく、さみしい、すごくさみしい。」と、泣いた。
母は私をみて、「しーちゃんを家につれこみたくて持って帰った感じがする、ひどい。でも会いたいからって絶対絶対行っちゃだめだよ」と何度も言った。
恋人もとても心配して、「絶対行っちゃだめだよ、しーちゃん、」と言った。
二人とも、私がそういうとき行ってしまうような性格だとわかっているのだ。
それから、かなり恥ずかしいけど、大人なのに、子供みたいに毎日毎日泣いた。毎日泣きながら会社まであるいて、泣きながら家に帰る私をみて「ねこをみにいこう」と母がペットショップに連れていってくれた。
私をみていると、狂っておじさんの家にいってしまいそうな気がしたから、もう、猫を飼わなきゃいけない、と感じたらしい。
どの子もぎゃんぎゃんとさわいでるなか、くうくうと寝ていたのが、茶々だった。その小さな小さな寝息を立てている子猫をみて、「かわいいね」といい、私が笑顔になると、「この子にします」と母は店員に言った。
とんとん拍子で茶々は家に来て、
もう一年になる。
あの場所では、のらえもんが一番人気があったので、そこに人はこなくなり、鳥たちが増え、木々が生い茂った。
シロは子供も産んだこともあり、やせほそり、汚くなっていた。そのシロがどうもかわいそうでかわいそうで、でもおじさんにも会いたくない私はあまり近づけず、そのうちにシロは見かけなくなった。
どこかにいってしまったのか、わたしは最後の方のシロを思い出しては、胸がいたく、人間としての罪悪感でいっぱいになった。
だけど一年たったいま、その付近をあるくとシロの子供である3ぴきの猫が、元気そうにはねていた。なかに、のらえもんにそっくりの顔の子がいた。「にゃあん」とないて走ってくる。きっと、また、だれかに愛されていているのだろう。
わたしはもうその子をなでたり、えさをあげたりはしないけど、「こんにちは」とだけ挨拶をする。
どの子も耳がさくらみみで、おそらくみかねた農家の人が、全猫たちを去勢避妊したのだろう。彼らは、地域猫として、また、人々に愛されようとしていた。
で、うちにきた茶々といえば、去年のわたしの涙なんかおかまいなしにどんどんとふてぶてしく成長している。
そうして、とにかく驚くほど私は茶々を溺愛している。ひたすら、できるかぎりの愛をこめて、一瞬一瞬の姿を逃さまいと、そしてこの子の一生を一緒にいよう、この子の死ぬときは私の腕の中で、安心して旅立てるように、と決心して育てている。愛をこめるとは、なかなか難しい。最初の頃は常に一緒にいすぎて、友人に心配された。
「猫らしいのがいちばんだよ」と友人のひとりにいわれて少し反省して、猫らしく育てよう、とわたしはわたしで自由に、茶々も茶々で自由にのびのび育てた。
私がいないのをさみしい、と思わせることもしたくなかったのだ。
そうしたら、膝にも乗らず、あんまり甘えても来ず、ほとんど鳴かず、「ちゃちゃや」と声をかけても基本無視される。
だけど、帰ってくる時間になると玄関でだらんと寝て待っていて、帰ると「帰ってきたか」というように一瞥し、伸びをして歩いて部屋に行く。そしてくっつきはしないもののとにかく私と同じ部屋にいたがり私の30㎝となりにぽおっとねているような、とても素敵な猫になった。なんとなく、茶々は茶々で、のんびり私と暮らしているのが心地よく、安心している、というのを感じるのだ。
きっと甘えないのはメスだからというのもあるけど、のらえもんのように、甘えて甘えて、かわいいとおもわれて餌をもらう生活でないからだ。
たまになく声がとにかく高くてかわいい。
周りは人間だらけなので、なくというより話すようになくのだ。
茶々は平気だろうけど、私は、とにかく茶々と会いたくて、夜全く出歩かなくなった。茶々が玄関でごろんと待ってると思うと、いつも同じ時間に帰ってあげたくなってしまうのだ。
殺処分されていく猫たちの話をよんで、一週間ほど気落ちしてしまったことがある。
シロのことをおもうと、いまでも胸が痛い。
のらえもんは元気だろうか。さみしさはまだ胸の奥にある。
ばあばは夢に出てきたきり一度も出てこず、あの夢は、もう一つやることはなんだったのだろう、とたまに思う。
先日道をあるいていたら偶然おじさんの奥さんとすれちがった。奥さんは私に多分きづいていた。だけど顔をそらせた。私は話しかけた。にゃこが元気なのか、それだけが知りたかった。
「主人が、申し訳ないことをして」と奥さんは開口一番言った。
「あの、元気ですか?あの・・・」それには答えずわたしはきいた。
すると、奥さんは、ふとゆるんだ笑顔になって「ええ、とっても、のらだったからか、すごくたべて、今は5キロです」と言った。きっと目の前の私よりにゃこを思い出して、ふと笑顔になったのだろう。
その笑顔をみて、私は一年前の自分の涙分をこの奥さんの笑顔が救ってくれたかんじがした。
「よかったぁ、本当に、よかった」といい、じゃあと言ってわかれた。
あの子は生きているんだ、と思った。それがとにかくうれしかった。奥さんの笑顔に、元気に生きるにゃこの命が見えたのだった。
それから一度も、奥さんにもおじさんともすれ違っていない。
一年前はとにかくひどい、ひどい、と思ったけど、去年の冬はとてもさむかった。夏は暑かったし、大雨や台風の日もあった。そのなかでにゃこがいるより、この奥さんと、気持ち悪くとも猫好きなおじさんの家で、外を夢見てすごすにゃこが、幸せでありますように、きっとそうだ、と信じようとおもったのだ。