鞍馬旅行記 ②
森見登美彦作「夜行」を読んで触発され、京都山奥の集落・鞍馬で毎年10月22日に開催される火祭見物へ。
16時前には鞍馬に到着し、由岐神社や鞍馬寺を巡った後に友人と合流した。
鞍馬散策
駅前で友人の到着を待ち、無事合流。
待っている間にも続々と人が流れてきた。
今回は「鞍馬の火祭に行こう」と言っただけで集合時間や場所など何も決めていなかったが、案外何とかなった。
時刻は17時半前といったところで、電車から続々と交通整理を担う京都府警が出てきて集結していた。
御神燈にも明かりが灯りはじめ、町全体が異世界のような雰囲気になってきた。
もう一方通行の規制が始まっていたので、街を一周してみる。
この時間から歩き始めれば18時頃に丁度山門前に戻ってこれるのではないかとの打算のもと。
菊の紋をあしらった、錦の御旗の様な剣鉾。
鞍馬は七つの「仲間」という代々の世襲制の組織に分かれており、それぞれに祭礼の役割があり、剣鉾を守護する仲間も決まっているらしい。
世襲制の組織があって、それぞれの組織が集まって歴史ある祭礼を取り行っているというのは非常にロマンがある。
五七桐に十六葉八重表菊という皇室にかなり縁のありそうな幕だが、やはり朱雀天皇が由岐大明神を鞍馬に遷宮したことなどが関係しているのだろうか。詳しい人がいたらぜひ教えて頂きたい。
剣鉾は基本的に一人が主に支える「一本鉾」だが、鞍馬には四人で支える「四本鉾」があるらしい。
剣鉾などを飾らっておらず、人の気配がしない家もしっかりと御神燈と松明を出していいる。
点火
18時過ぎ、ちょうど鞍馬駅の付近まで戻ってくることが出来た。
「神事にまいらっしゃれ」という神事触れで点火が始まるらしいが、残念ながら少しタイミングが合わず聞くことが出来なかった。
この合図により、各戸の前に積まれた篝(エジ)が点火される。
狭くて人が密集している集落のあちこちで大きな火が上がるので、危険ではあるが一瞬でまた雰囲気が変わった。
点火してから少しすると、まずは子供が小さな松明を持って街を練り歩き始めた。
氏子は「サイレイヤ、サイリョウ」(祭礼や、祭礼などの意味だと言われている)と掛け声をあげながら往来する。
独特の掛け声もまた異様な雰囲気を作り出す一助となっている。
精一杯腕を上げて撮った街の様子。
最初は両側が一方通行になっており、真ん中を松明が通るようになっていたはずだが、完全に人が覆いつくしてしまっている。
その為、松明が通ると見物客が両側に避けるという感じになってしまっており、中々身動きが取れなかった。
松明の火は各戸の篝で付けている。
篝の火を絶やさぬよう、家主が近くに座っており適宜薪をくべていた。
ここからは集落の中心を離れて鞍馬川の東岸を歩かされる。
集落の巡回だけでは見物客が溢れてしまうようだ。
川岸の細い道を通った後は鞍馬駅の前を通り過ぎて、「御旅所」まで歩くことになる。
御旅所とは祭礼において神輿が置かれる場所であり、鞍馬の火祭では御旅所に大松明が集まり、注連縄を切って山門近くに安置されている神輿の受け入れ態勢を整えるようだ。
御旅所近くで折り返し、鞍馬駅の裏手を回って駅前に戻ってきた。
既に松明の巡行を見て満足した見物客も多く、既に叡山電車を待つ行列が出来ていた。
駅前の自販機で少し休憩し、再び流れに身を任せる。
混雑緩和のため入場規制がされており、駅付近から出るにも少し待たなければならなかった。
剣鉾・松明巡行
少しすると列が前に進み、丁度良いタイミングで剣鉾を先頭にした行列に遭遇することができた。
大松明も目前で眺めることができ、非常に熱気を感じた。
大松明は100キロ程度の重さがあるようで、燃え盛る炎を背に運ぶのは大の大人でも非常に危険。
松明を抱える氏子も必死で、ベテランの人は怒号を飛ばしながら進行を取り仕切っていた。
少しすると御旅所の方向から、紙垂(しで)や天狗面を付けた串を持った神職らしき人を先頭に、剣鉾の列が戻ってきた。
剣鉾の先には鈴が付いており、それを揺らしながらゆっくりと歩いて来るため、辺りは神聖な雰囲気で包まれる。
鞍馬特有の四本鉾もお目見え。
運んでいるだけではなく揺らして鈴を鳴らしている為、かなりの技術を要するようだ。
太皷を持った人々も列に加わっており、剣鉾の鈴の音や掛け声も相まっていよいよ祭りも佳境といった盛り上がりを見せる。
御旅所を往復してきた大松明は鞍馬寺の山門前の石段を登り、集結していく。
松明が立っているため、遠目に見ると炎が木に燃え移っているようにも見える。
松明が集結した後は石段の下に打ち捨てられていき、「サイレイヤ、サイリョウ」の大合唱がけたたましく聞こえてくる。
この段階では見物客が山門前に近づくのは困難だが、もう少し待っていると奥から神輿が現れた。
神輿は二基あり、まずは地主神である八所大明神を乗せた神輿、次に由岐神社の祭神である由岐大明神を乗せた神輿が下りてくる。
遠巻きにしか見られない上に、16時前から鞍馬入りして歩き回り疲労も限界に達していたので、撤収するために見物客をすり抜けて鞍馬駅方面に引き返した。
撤収
鞍馬駅は未だに乗車を待つ行列でいっぱいだった。
京都市街へ帰る手段としては、少し歩かなければならないが、叡山電車の一駅手前の貴船口駅付近から地下鉄の終点・国際会館駅まで直通してくれるバスがあるので、それを目指して歩く。
御旅所より先は閑散としており、恐らく松明などの巡行もここまでは来ていなかったと思うが、各戸は篝や御神燈を出しており火の番をしていた。
さらに進むと民家もなくなり、明かりもない山奥の車道を歩くことになる。
今日は交通規制が行われており車が走っていないことに加え、火祭から帰る見物客がちらほらと歩いているからまだ良いが、鞍馬川と杉林に挟まれた夜の車道は本来ならかなり怖く感じるだろう。
作中でも登場人物たちが火祭から撤収する際にこの夜道を歩いている。
20分程歩き、貴船口駅で用を足した後、バスの列に並ぶ。
それなりに待っている人がいたが、バスは次々と来るので丁度座ることが出来た。
国際会館駅から地下鉄に乗り換え、五条で下車。
今日の宿は烏丸五条交差点のすぐ近くにある。
今年の夏は国道8号(新潟→京都)を巡る旅をしたが、ここはその終点になっている。
京都まで来て若干勿体ない気もするが、既に23時も過ぎているので行ける店も少なく、ホテル近くの街かど屋という東海・近畿圏の定食屋でカツ丼を食って怒涛の一日を締めた。
あとがき
今回の鞍馬の火祭は、最初に述べたように小説「夜行」に触発されて見物に行こうと決め、その場で飛行機だけ取ってしまった。
しかし、後から調べてみると混雑に対する否定的な評価も多く、祭りを楽しむことが出来るかは運によるところも大きいとの情報もあったので、人混みが苦手な私は一回キャンセルも検討した。
結果的には無駄足も覚悟で行ってみることにしたが、運にも恵まれて一通りの主要な場面を見ることが出来た。
現代は鞍馬の火祭の主役になっている大松明の炎はもちろん大迫力だったが、かつては剣鉾と神輿が主役であったそうだ。
私は「剣鉾」というものの名前すら知らなかったが、今回の祭りで見た「剣鉾差し」の神聖さには心を奪われた。
鞍馬の火祭にはまた是非足を運びたいし、他の京都の歴史ある祭りにも興味が湧いた。
ここまでご覧くださりありがとうございました。
ー完ー