見出し画像

置き去りにされた国境(我々の偉大な旅路 7-4)

↑こちらのシリーズの続きです

↑越老国境編(7-3)はこちらから


取り残された可能性

ラオス側国境

「バス来ないな。置いてかれたりしてね」

笑いながらワカナミと会話をしていると、日本人男性氏が真剣な顔でこちらに向かってきた。

「ベトナム人の乗客がいなくなったみたいです。外国人だけ残されてるみたいです。」

全く気が付かなかったが、売店の周りに残っているのは我々二人と日本人男性氏、それから三人連れの西洋人、それからアジア系だが現地の人ではなさそうな女性の七人だけになっていた。

「あれ、ほんとだ。あのおばちゃんもさっきまでいたのにいない。でも、バスここ通りました?」

 車掌のような小太りのおばちゃんも姿が見えなくなっていた。我々は取り残されてしまったかもしれない。山を降りていく道は一本道でバスが通ったら気づくはずだが、同じようなバスが何台も通っていくので、見逃している可能性は十分にある。

「気づかないうちに行ってしまったのかもしれないです。」

日本人男性氏もバスは見ていないようだ。彼と話していた西洋人三人組もこちらにやってきた。

「あいつら、俺らを置いて行ってしまったんだ!!」

オーストラリアから来たという身体中にタトゥーが彫られた大柄な男が英語でそう言った。

「あのF**kin' ladyクソババアもいなくなった!!」

それがあの車掌のようばおばちゃんを指すことはすぐに我々にも分かった。信頼できそうなおばちゃんではなかったのは確かだが、この状況になってくると彼女が悪者に思えてきた。

「もしかしたらまだバスがベトナムに取り残されてるかもしれない。ベトナム側のイミグレに行ってみてバスを探そう。」

国境リターン

 状況から考えると、一本道のラオスへの道を我々のバスが通り抜けていって我々が気づいていないという事態は考えづらい。もちろん、その可能性を否定できないわけではないが、きっとまだ向こうにバスが残っているはずだ。残された外国人同士で話し合って、一度ベトナム側に戻って確認してみることにした。

たくさんの車両が行き交うが我々のバスは見当たらない

 ただ、我々はすでにラオスに入国してしまっている。再びラオスのイミグレの外に出ることはできるのだろうか。通常であればできないはずである。そんなことを考えているうちに、オーストラリア人男性氏は仲間達を引き連れてベトナム側に向かって歩き始めており、すでにラオスのイミグレを通り抜けていた。我々と日本人男性氏も後に続いてベトナム側へと向かい、ラオスの警備員が見守るゲートへ差し掛かった。

「本当に大丈夫なのかな…」

「でも、あいつらもう先に言ってるしね」

「試しに聞いてみるか……。OK?」

休憩中らしいラオスの警備員にジェスチャー混じりに聞いてみる。

するとあっさり頷いて行ってこいと言う。緩すぎるがこれでいいのだろうか。兎にも角にも、オーストラリア人たちが先に行っているので、きっと大丈夫だろうということで、彼らを追いかけてベトナムへの坂道を登りだした。

 オーストラリア人の近くまで追いついた。彼は「F* *kin' Busクソバス!」「F* *k!」というようなことを連呼している。なるほど、Fワードはこのような状況で使うのか。私も彼に影響されて中国語で「操!」などと叫んでみた。もし仮にバスがいなくなっていたとしたら、衣服が入ったバックパックを紛失したことになり、この先の旅程にも大きく影響が出る。そもそも無事にヴィエンチャンまでたどり着くかも怪しくなってしまう。それくらい危機が迫っている状況ではあったが、あたりは静かな森林が広がっているだけで、そんな環境でいくら怒りを露わにしてもどうしようもない気がしていた。やけになってこの状況を楽しんでやろうという気持ちになっていたので、汚い言葉を叫んでいても、どこか楽しい気持ちがあった。

国境の小道を逆戻り

 ベトナムの係員がいる地点まで戻ってきた。仮設テントのようなところで兵士と思われる係員が数名いる。

「ラオスへ向かうバスはまだ残っていませんか?」

英語で聞いてみる。国境の係員なら英語くらいわかるだろう。そう思ったのが間違いだった。何一つ通じていない。ベトナムの係員側が誰一人英語がわからないだけでなく、こちらも今の状況を英語以外で上手に伝える方法を持ち合わせていなかったので、全く意思疎通ができなかったのだ。

 こんな時に頼りになるのがGoogle翻訳だ。試しに同じ内容をベトナム語にして出てきた内容を彼らに見せてみた。画面を見た彼らは内容を理解できたようだったが、みんな一様に首を振った。もうバスはいない。そう言っているようだった。

「そんなはずはない。僕らのバスがまだいるはずだ。」

「いやいない。」

言葉は通じていなかったがこのようなやり取りを繰り返した。彼らの知り得る範囲でラオス行きのバスはもうベトナム側にいない。ということだった。

「どうしよう…。財布、バスに置きっぱなしなんだよな」

ワカナミが言った。

「は?財布持ってないの?なんで貴重品を手放してるの?」

やや怒り気味に私は返した。よくよく考えれば、最後にバスを降りたのは、早朝に国境に到着して目覚めた直後であったし、用意ができていなかったのは仕方ないことなのかもしれない。しかし、こんな状況になってしまっては、貴重品をバスに置きっぱなしにしていることは致命傷になる。どうしてそんなミスを犯すのか。冷静さを欠いてしまった私は怒ってしまった。だが、この状況で喧嘩しても事態はさらに悪くなるだけだ。私は極力何も喋らないようにした。

 やがて、イミグレの他の箇所を当たっていたオーストラリア人たちも戻ってきた。収穫はなかったようだ。我々は再びラオス側のイミグレへと来た道を戻った。

振り出しに戻る

 みんなで手分けをして状況を探ったところ、ラオス側の職員や売店の人たちも我々のバスを見ていないらしい。向こうでバスが故障などしてこちらにやって来れていない。そう考えるのが妥当な気がしてきた。

「大使館に連絡するのも考えたほうがいいかもしれない。もし、バスが先に行ってしまってるのなら、荷物の保護を向こうの警察かバス会社にしてもらえるかも。」

ワカナミとはしばらく口を聞いていなかったが、ワカナミの財布だけが先にヴィエンチャンに行ってしまった場合の対処法を考えていた。ただの旅行者身分が日本の政府機関である大使館や外務省に迷惑をかけるわけにはいかない。最悪の事態の場合の選択肢として、検討するだけ検討してみることにした。ネットがつながるうちに、在ヴィエンチャン日本大使館の連絡先をメモするくらいの準備はしておいて損はないだろう。

ついに姿を現したバス

「あっ!あれ!」

すると、その時、我々のバスとよく似た赤いバスがベトナム側からやってきた。

「ついにきたか!他のみんなにも教えなきゃ」

「いや、待て。バスにハングル書いてあったか?うちらのバス」

やってきたバスにはハングル文字で車体に何やら書かれてある。おそらく韓国からの中古輸入車なのだろう。我々がハノイから乗ったバスにはハングル表記はなかったはずだ。

「違うバスか…」

我々は再び途方に暮れた。

 特にできることも無くなってしまい、売店の前でバスを待ち続けるだけになってしまった。他の外国人たちは、再びベトナム側にバスを探しに行ったらしい。

やさしき警備員氏

 ラオスのイミグレの警備員に話しかけてみる。英語で「彼らはどこに行った?」と聞いてみた。彼は英語をあまり理解できないようで、全く通じなかった。私は愛想笑いで誤魔化した。ダメもとで「他们去哪彼らはどこへ行った?」と中国語で聞いてみた。すると彼は、

「他们…你会中文吗中国語できるのか我看到他们向越南方面去了彼らがベトナムの方に行くのを見たよ。」

と返してきた。どうやら英語はわからない彼も、中国語なら理解できるようだ。

「あ、中国語できるんですね。ありがとう。」

「南寧に留学してたから中国語はできるよ。英語はちょっと難しくてできないけど。」

 彼は我々がおとといまで滞在していた南寧に留学をしていたらしい。確かに、ラオスから南寧までは比較的距離が近いのでラオス人が留学していても不思議はない。我々にとって馴染みの薄い南寧の街も、彼らラオス人からしたら一番近い中国の都市で親近感があるのかもしれない。

「私たちも南寧におとといいましたよ。朝陽広場に行きました。」

そんな話をしてるうちに、彼と徐々に打ち解けることができた。肝心のバスについてのことも聞いてみると、我々のバスはまだ通過しておらず、乗務員のベトナム人女性もベトナム側に一度戻ったが、そのうちこちら側に来るだろうとのことだった。中国語を少しできるようになっていたおかげで助かった。中国語を学び始めて1年とちょっとになるが、中国語を勉強して良かったと思えた瞬間だった。

 警備員氏と話しているうちに、例のオーストラリア人たちが戻ってきた。

「F**kin' busはまだいたぞ!じきに来るはずだ!!」

残された外国人7名は互いに歓喜の言葉を掛け合った。結果として、取り残されてはいなかったが、取り残されたと思い一緒に困難を乗り越えた我々には不思議な友情が芽生えていた。自然と彼らと一緒に集合写真を撮った。シャッターはラオスの警備員氏にお願いした。

バスの到着を祝福する
外国人7名

 まもなくバスがラオス側に到着した。今度は確かに我々のバスだった。たくさん荷物が積まれていた客室はいくらか空間が増えておりスッキリしていたが、ワカナミの荷物もあった。

 バスを降りてラオスの警備員氏に別れの挨拶をした。お世話になったお礼の意味を込めてワカナミのタバコをあげようとした。

「ありがとう。あなたのおかげで助かりました。」

タバコを差し出すと彼は我々の申し出を固辞した。

「僕はタバコを吸わないんだ」

何か礼を伝えるものを渡したかったが、他にいいものがなかった。残念だが、言葉だけで再び礼を伝えてバスに乗り込んだ。

4時間ぶりに動き出したバス

(続く)


旅程表
2018年9月17日 "我々の偉大な旅路" 4日目

ベトナム・ラオス国境

午前7時半 ラオス人民民主共和国 入国

午前9時半頃 飲酒を開始

午前10時頃 取り残されている疑惑が出る

午前11時頃 バスがラオスに到着 バス出発

(時刻はすべてハノイ・ヴィエンチャン時間)


主な出費

飲み物 20,000 キープ (国境のキオスクにて)

↑ 7-5 越老国境編 続きはこちらから

いいなと思ったら応援しよう!