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「本番に立つ」ことで得られる3つの価値

先日、とある小学校の6年生 60名と取り組んだ「自分授業づくり」の最終授業である「発表」が終わった。


やっぱり発表は「特別」
最後の最後で、色んなドラマが起きる。


発表をやり終えた時の子どもたちの誇らしげな顔。

友だちと称え合い、一つのことを共にやり終えた「同士」のような絆。


それは、2日前に行ったリハーサルとは明らかに違う。「本番」ならではの価値が確かにあったので、そこを自分なりに深堀してみたい。


先にこのプロジェクトを簡単に説明すると…

「自分授業づくり」とは大きく4つのステップがある。

①自分の好きなテーマを、自分で選ぶ。
 ・何をテーマにしてもOK
 ・途中でテーマを変えてもOK
 ・好きなゲーム、マンガ、アイドルから、お気に入りの「もの」、キャンプなどの「体験」、社会問題など実に多様なテーマが出てくる。

②選んだテーマについて、自分と対話を繰り返す。
 ・対話はワークシートを活用して進める。
 ・対話から導き出すものは、どこかにある「正解」なのではなく、自分の中にしかないもの。
 ・「自分言葉」を見つけることを大切に進める。

<対話の切り口>
・なぜそのテーマを選んだのか?
・何を、誰に伝えたいのか?
・それと自分との出会いは?
・伝えたい思いは?
・聞いてくれた人に、どんな行動をとってもらいたい?

③資料を作成する
 ・発表の時のサポートになる資料をつくる

④みんなの前で発表をする

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「本番に立つ」ことでしか得られない
「3つの価値」
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4つのステップの最終段階である「本番」には「3つの価値」があると思う。

⑴ 「やりきる」経験
⑵ 「主役」になる経験
⑶ 自分に結びつける経験


【 ⑴やりきる経験とは?】

授業のはじめ、「プレゼンテーション」というものをどこか遠くのこととして捉えていた子どもたち。

過去の発表者の資料をみて、「すげー」と言いながら自分がそれをやりきれるのかは、懐疑的だった子どもたち。


誰か自分とは違う「すごい子」がやったこと。と、どこか他人事に捉える姿。

そんなスタートだったから

・できるかどうかは分からない。
・なんでこんな面倒なことをしないといけないの?

途中、投げ出したい思いをした子も1人ではなかったはず。

それでいても…

❶とりあえずやってみる

満足度が高かろうが、低かろうが
とりあえず最後の本番まで走りきることで

「ゴールテープを切れたっっ!」

そんなすがすがしさを感じたのではないだろうか?


❷「自分にもできた」という経験

・資料を作れた
・自分の意見を伝えることができた
・発表をやり終えることができた

多くの「できた」を経験できたのである。


【 ⑵ 「主役」になる経験とは? 】

「発表する」ということは、聞いてくれている人の前に立ち多くの視線を感じる経験。

大丈夫かな?と不安になる。

ましてや、「1+1=2」というような「正解」を発表するのではない。
自分の考え・意見・思いを伝えるのだから


反対されたらどうしよう…
バカにされたらどうしよう…


そんな気持ちが頭をよぎらないわけがない。
緊張しないわけがない。


だけど、あえて前に立つ
「主役」になる。

❶自分の意見を外に出す
❷感想や質問を受ける
❸自分を客観視する


拍手を浴びる。
自分が勇気を出して外に出したものに共感をしてもらったり、興味を持ってもらう。

こんな嬉しい経験はない。

そして、自分の外に、自分の考えや思いを出すことで、より自分を客観視することができる。


自分とは?


など、

他人からの評価が気になる思春期ならではの子どもは


「自分はこう思う!」
「みんなも、ぜひ○○して!」

自分の考えを主張できる経験により、

・自分のまわりにあった「見えない殻」を破る
・今まで気づいていなかった「自分」を知る
・どう伝えていいか分からなかったなんとなくの思いを表現する方法を得る

そんな貴重な機会になったのではないだろうか?


【 ⑶ 他人と自分を結びつける経験とは?】

自分が前に立つのと同時に、友達が前で発表しているのを聞く。


自分が前に立つまでは、前に立つ人を茶化したりヤジを飛ばしたりを簡単にできる。


だけど、自分も当事者になることで、そんなことはしようとも思わない。


誰かの発表を聞きながら、たとえその発表テーマに興味がなくても

・おぉ。クイズ形式にするの面白そうだな
・そっか!お客さんに質問しながら対話形式でするって手があったんだ!
・自分も実物を見せながら話をしたらよかったな…


と、それぞれに自分ごとにしながら、話を受け止めることができる。


時には

・下向いてしゃべってたら、伝わらないなぁ…
・資料の文字が小さいと見づらいなぁ


と、今までなら興味を持てず、退屈に感じた発表も、そこから学びを得ることができる。


さらに


・今まであまり喋ったことなかったけど、この子はこんなこと考えてたんだ。
・あっ。わたしもおんなじこと感じてた!
・そっか。そういう表現をすればよかったんだ。


と、誰かの発表を聞くことをきっかけに「知らなかったもの・ひと」に興味を持つことができる。


知らない=つまらない


から脱却し、新たな出会いのチャンスかもしれない、門戸を開くことができるのである。


まさにここ。

今回、わたしが一番感動したのは、発表を聞いていた子どもたちの質問や感想だった。


正直いうと、このプロジェクトを進めている途中は「安心・安全な場」をどう確保するかに頭を悩めた。

やっぱり、自分の話をするのに、聞く姿勢がない人の前で発表するなんてできない。

だけど、そこでただ「聞いてー」と叫んでも、そんな叫びは無駄でしかない。


だけど、等しく本番を経験することで、「安心・安全な場」は自然と生まれていた。


発表は今回のプロジェクトのゴールだけど、
「終わり」なのではなく、
ここからが、また次へのスタートなのだ。


きっとひとりひとりが、それぞれのスタートをきってくれると信じている。


そのタイミングが「すぐ」なのか
「数ヶ月後」なのか
「数年後」なのかは分からないが、


きっと子どもたちは、自分のタイミングがきた時に、またやり切ってくれると信じている。

きっと前に立ってくれる。

そして、他人と自分を結びつける「社会」の中で、
オリジナルの「自分」を生きてくれる。

短い時間しか共にしていないけれど、心から子どもたちひとりひとりをそう信じることができた時間でした。


このプロジェクトは、新型コロナウィルスにより学校が休校になった2020年3月に、「子どもたちの学びを止めてはならない」と1人の母親がプレゼンテーションをオンラインで教えるところから始まったプロジェクト。

そのオンライン開催された「子どもが教える学校」を見にきた教育関係者の働きかけにより、公立小学校の特別授業として小学6年生2クラス60人に授業を行ったものです。

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