父の日に贈る父自慢 ・ 2020
〜わたしに安心感を与え続けてくれる人〜
父との思い出に思いを馳せると思い出すのがこの2つ。
・車で出かけていて、もうすぐ家につくなって頃になると…うそ寝をする。
ちょっと揺すってみて、寝てるな…と思うと、父は黙って、わたしをお姫様抱っこしてベッドまで連れていってくれる。味をしめたわたしは、夜暗くなって家につく時は、かならず寝たフリしてたな…(もしかしたら、父は気付いていたかもしれないけど…)
・きっと幼稚園くらいの時。一緒にぬり絵をした。右ページはわたしで、左ページは父。その色使いがとっても新鮮だった。女の子の絵で、可愛いドレスを着ていた。父は、緑と黄緑の色鉛筆を、塗り方の強弱で濃淡をつける。しかも、線に沿って丁寧にアウトラインを濃いめに引っ張って、そこから中を埋めていく塗り方。その塗り方がなんかとてもいいような気がして、マネをした気がする。きっと父親にしたら退屈な塗り絵。だけど、わたしはその時の時間(っていうより、父親がぬっていく色鉛筆とその絵)を映像として、記憶していて、よく思い出す。
こうして思い出して言葉にしていくと、どんどんといろんな思い出が溢れてくる。概して父は、わたしにとって安全地帯っていうか、安心できる場であったように思う。
きっと父親に、声を荒げて怒られたこと、一度もないな。わたし
そんなわたしが中学生くらい?になると、めちゃめちゃ反抗した。
きっ!と鋭い目つきで父親を睨みつけていた。
父親に喋りかけられると、その鋭い目つきで睨む。それが返事だった。
覚えてないけど、「うるさいなー」「ほっといて」とかそういうことを吐いていたんだと思う。そういう自分を「良い」とは思ってないけど、むしゃくしゃしたその感情をどう処理していいのか分からずに、父に全てを向けていた。きっとその時、父は寂しかったと思うし、心が痛かったと思う。
だけど、わたしの塾の迎えは、ほとんど父が来てくれていた。ぶっきらぼうに車に乗り込み、窓の外をみて、「わたしに喋りかけるな!」っていうオーラ全開の娘のために、仕事から帰宅して、プシューっとビールをあけたいのをガマンして、父はいつも来てくれたし、わたしは父なら来てくれるっていう安心感を抱いていた。
そんな父は77歳。
先週、顔を見に行ったら、こんがり日焼けをして、とても元気そうだった。
3回共にした食事は、どれもわたしよりもしっかりと量を食べ、夜にはお酒も飲んでいた。「あー、美味しかった!今日も完食や。よう食べた!」って満足そうに…
(わたしは日付とかそういった感覚が著しく欠如しているので、間違っているかもしれないが…)
そのさらに1年前、2019年の父の日は、父は病院のベッドの上にいた。
自分の体を自分で支えることができず、ベッドの背を起こしても、体がふにゃ〜っと倒れていってしまう感じで、体の脇にクッションやらで固定して少し体を起こせる程度。左手も左足も動かなかった。
4年前?だかに見つかった腫瘍は、父の体が余程 居心地いいのか、あちこちに広がっていた。食事がほとんど喉を通らなかった時期もあれば、左半身が動かなかった時期もある。
離れて暮らすわたしは、父の様子を細やかに見ているわけではないけれど、父はどんな時も大きく感情をぶらすことなく、その腫瘍の存在を受け止めている。そしてその時、その時の自分の状況に応じた小さな目標を常に持っている。
▶︎「この左足の向きをなんとか自分で変えたいんや」
▶︎「背中をあげた時にな、体がふにゃ〜となるやろ。その時にここに支えと、何かがあれば、右手で直せるんちゃうかと思うねん」
▶︎「今一番の目標は、一人でトイレに行けるようになることやなー」
▶︎「はよ、家に帰りたいなぁ。そのためにもうちょっと自分のことできるようにならななぁ…」
ちなみに先週聞いたら、
「もうちょっとな、歩くことに自信を持ちたいんや。今はまだ恐る恐るやから…」
だそうである。
ちなみに脳にある腫瘍の影響で左足を司る神経が圧迫されてて、父は左足の感覚がないんだか、ほとんどないんだか…いわゆる麻痺状態のはず。
日々のリハビリと、理学療法士の方の指導のおかげで、歩行器を使わなくても何か掴むものがあれば歩けるようになっているし、階段の上り下りもしている。ほんまに驚異的なのである。
もちろん、現代医療の恩恵を存分に受けているだろうし、父親のその時その時の様子を丁寧に観察して指導してくれる理学療法士の指導があってこそなんだが、それでも父自身の粘り強さや、真の強さがなければ今の父はないんやと思う。
何度も、「もうアカンかも…」と覚悟をしたし、「あと、何回会話できるんかな?」って考えたりしたけど、毎回父は復活を遂げる。
それも静かに…
熱く闘うわけでも、激しく落ち込むわけでもない。
ただ日々、淡々と…
目の前の状況・ありのままの自分・居候を続ける腫瘍
全てを静かに受け入れている。
多くを語ることはない。豪快に笑うこともない。感情を露骨に表現することもない父は、昔から静かに全てを受け入れて、ただそこにいる存在だった。
私自身がギラギラしていた時は、そんな父が物足りなくなんじた時もあったし、高低差のないその感情を「何も感じてないんちゃうか?」と思ったこともあったけど、父はただ深く全てを受け入れてくれていたんちゃうかと、今のわたしなら振り返ることができる。
足が不自由やし、このご時世どこで何をもらってくるか分からへんから、通院以外はずっと家にいる暮らし。常にグッと堪えるものがあるはずやけど、そこに対する不満を吐き出すでもなく、日々自分に向き合い、体操をし、自分にできることを黙々とこなしている。
暖かくなってきてからは、毎日庭に出て、元気に生えてくる雑草を抜きながら、外の空気を楽しんでいる。こんがり日焼けをしたその姿は、いすに座っていたら健康そのものである。
あんなに喉を通らなかった食事も、今では面白いように入っていく。
少しでもこの穏やかな時間が続いてくれますように。
そして「父の日に贈る父自慢・2021」は、何を綴れるのだろうか…
今から楽しみでもある。
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