出生前診断、そのつづき
ならない電話
アンジェラは病院に確認してくれると言ったけど、それから連絡はこない。その間少しでも安心したくていろんなサイトで情報を漁った。なんとなく見えてきたのは、偽陰性よりも偽陽性の方が起こりやすいということ。陽性と判定して実際は違ったケースよりも陰性のはずが産まれてみると障害が見つかった、という方が許されないからリスクを回避すべく、疑わしくはすべて陽性、と出す傾向にあるのではないか、とか勘繰ってしまう。むしろ実際は陰性のも関わらず陽性としてしまったことで中絶するようなことになった方が問題のはずだけど。
だから少し冷静にはなったけど、不安が消えたわけでは全然なかった。
検査を受けたラボから着信。結果のことかと思ったら支払いが済んでるかの確認だった。ついでに結果を聞いたらドクターのみに許されているので教えられないとのこと。まだ連絡ないです、と言ったらとっくに結果は出てるわよ!自分で電話して聞いてみなさい、だって。え〜、ずっと待ってたのに!
結果を教えて
病院に電話してまたひたすらつながるのを待ち、やっと話せたレセプショニストに事情を説明する。すると「ここに結果きてるわよ」え、そうなの?「ミッドワイフがケアしてるのね。じゃあFAXで結果を送っとくから、そっちから聞いてね」だって。そんなんだったらもっと早くしてくれよ!とにかくミッドワイフの連絡先を伝えて至急対応してくれるようお願いする。やった〜、今度こそやっと結果が分かる。それが午前中。
午後になってもういいかな?と今度はこっちからミッドワイフに連絡する。レセプショニストに確認すると「FAX?届いてないけど?」えっ、何それ。
またまた延々と続く保留に耐えて病院に電話。送った番号間違ってたっぽい。おい、しっかりしてくれ!こういうとき、まーったく悪びれないのよね、カナダ人。ミッドワイフの受付にも届いた旨確認してようやく前進。やはり結果についてはミッドワイフから本人に伝えないといけないようで、アンジェラが戻ってきたらすぐに連絡するようにしてくれるという。すでにクリスマスの連休が迫ってる。いやいや、今日が無理でも明日には分かるよね?
と思ったのが間違い。いつもはコミュニケーションに関して問題ないミッドワイフとも連絡がつかない。受付に電話しても今はアンジェラもアマンダも不在で、伝えてあるから折り返しを待つように言われるだけ。まあミッドワイフという職業柄、いつなんどき出産に立ち会うことになるか分からないし、仕方がないのか。それでもこんな状態でクリスマスを迎えるわたしの気持ちは理解してくれると思って祈るように電話を待った。翌日、クリスマス休暇前日、最悪なことに北米に記録的な寒波が襲う。人々はさっさと仕事を切り上げてホリデーに突入してしまったよう。ミッドワイフの事務所の留守番電話にメッセージを数回入れて諦めた。これはもう無理だ。
すべてを受け入れる覚悟
クリスマスには晴れてみんなに披露するはずだったのに。なんなら性別までわかってこれ以上ないサプライズで両家の親を喜ばせるはずだったに。11週ごろからつわりはようやく落ち着いていたけれど、年末の駆け込みの患者さんの治療や出生前診断をめぐるストレスでもう心も体も限界まで疲弊していた。休息が必要。崩れ落ちそう。
休暇が終わるまで待つしかないと悟って、むしろ心は平静に近づいた。諦めなのか、覚悟なのかは分からない。でも結果がどっちでも受け入れる、と思った。
アンジェラからハイリスクと伝えられた日、ひとり部屋にこもって真っ暗になるまでスマホに向かっていた。受け入れられなくて、必死に安心させてくれる情報を探してた。わたしの異様なさまを娘たちは察知して、真っ暗な部屋にそっと様子をうかがいに部屋に入ってきた。上は10歳、下はもうすぐ8歳になる。「お母さん、何かしてほしいことはある?」「今ひとりにしてほしいの?」大丈夫だから、ちょっと今は出て行ってくれる?と頼む。すると「お母さんはベストお母さんだからね。いつも私たちのために頑張ってくれてありがとうね」と言ってからそっと部屋を出ていった。
そのときは一人になりたくて追い出してしまったけど、あとから思い出してじーんとした。なんて優しい子供たちなのかしら。理由は何も聞かれなかった。ただ優しかった。DDの慰めや気休めではなく、「何があっても愛してるから」っていう言葉も思い出した。わたし、幸せじゃないの。こんなふうに言ってくれる人たちに囲まれて。そう思ったらどんな結果でも大丈夫だと思った。
大丈夫っていうのは、どんな子でも育てる覚悟ではない。障害があるとわかれば、妊娠を継続することはできない。それがDDの選択であり、わたしの決断になるだろう。流産したときを思い出す。ふたりで支えあって乗り越えた。理性では。でも肉体の体験は違った。だから今こうして冷静でいられてるつもりでも実際に経験するかもしれない痛みは全然違う爪痕を残すんだろう、これから先ずっと残るほどに。
アンジェラの電話
記録的な寒波に見舞われてどの空港も機能不全に陥っていたクリスマス、奇跡的にDDの乗る便は予定通りカナダに到着した。つわりの峠は越えていたものの疲弊しきっているわたしを気遣って、自分も疲れているんだろうに、子供たちを外に連れ出してくれた。わたしはただもう何も考えず、休息が欲しかった。3人が出て行ってから気の向くまま、ベッドに横たわって軽いエッセイを読んだり、昼寝をしたり、ヨガをしたり。頭を空っぽにしたくて瞑想の姿勢に入っていると、電話がなった。DDだと思って出ると、意外にもアンジェラだった。その日はボクシングデーで祭日だったから、まさか電話があるとは思ってなかった。
「元気にしてた?遅くなってごめんなさいね。でも安心して、結果は陰性だったわよ」
明るい声にぷつりと緊張の糸が切れて涙が出た。本当ですか、本当ですか!
このテストは適正率は99%でも、陽性の場合はまだ偽陽性の可能性があるという。でも陰性の場合は間違いないと思っていいらしい。NIPTでは性別も分かるはずなのに、結果には記載されていないらしい。ちょっと落胆したけど、それはまたあとでいい。ホリデーの挨拶を交わし、電話を切る。
ああ、よかった。よかったよお。
何も考えず無知だった頃の妊娠はずっと受け身で、すべてに鈍感だったし、当たり前に全部うまくいくと思ってた。でも今回経験があること、少し知識がついたこと、そして何より決して産むには若くない歳になったことで、妊娠する、子供を産むっていうことが全然違う。すべて不安。そしてそれだけに少しずつ成長しているいのちが奇跡のように思える。このまま無事に生まれてほしい。
コンバインドテストが陽性になったのは間違いなく年齢が影響しているんだと思う。検査結果の詳細を直接知ることはできなかったけど、判断材料のひとつ、血しょう中のβ-hCGの値がきっと高かったんだろう。この数値が高いとつわりが重いことが知られていて、なるほどわたしのつわりは重い部類だったと思う。でもそれは前の妊娠も同様で、一般に女の子の場合はこの値が高いとも言われるし、東洋医学では妊娠以前の体質がつわりの重さに影響すると考えられている。だからつわりが重かったのはわたしの体質だったとも言えるんだろうけど、なんせ歳。若かったときは見逃されたのに、同じリスクでも掛け合わせる年齢という数字で倍の結果が出てくるだわ。つくづく思い知らされる。見えてなかった世界の中で戸惑いながらも進んでいく。