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7月22日:シャルル七世の命日と辞世の言葉

1461年7月22日は、勝利王シャルル七世の命日です。享年58歳。
きょうは記念日ということで、臨終のいきさつと辞世の言葉を紹介します。

晩年のシャルル七世は、原因不明の足の腫瘍に悩まされていた。おそらく癌性のものであったと思われる傷は、彼をたえず苦しめた。
父の病を耳にすると、ルイは当然のように網をはった。王の宮廷に放った密偵を使って、毒殺計画の噂を流したのである。今回の下手人役は、王にもっとも身近な医師である。

------(中略)------

1461年7月、シャルルは危篤状態におちいる。ルイの毒殺をおそれた彼は、食を断ち、やせ衰え、、すでに食物を受けいれる力を失っていた。

7月22日の朝、彼は死の床に付き添う司祭に「今日は誰の祝日か」と聞いた。カトリックの暦には、毎日、その日の守護聖人が記されているのである。

司祭が「今日は、マグダラのマリアの祝日です」と答えると、
「そうか。あの罪深い女の祝日に、世界一罪深い男が死ぬのだな。神の御心に感謝しよう」と言い残し、その日の午後、従容(しょうよう)として黄泉の国に旅立った。

『フランスをつくった王-シャルル七世年代記-』
  • 従容(しょうよう):危急の時でも動揺しないでおちついている様子。

なお、死因は…

1461年、足の傷(腫瘍とも)を手術する予定でしたが、息子ルイ11世による暗殺計画が発覚して手術は中止。死期を悟ったシャルル七世は自分の意志で食事を断ち、餓死を選んだともいわれています。

年代記の挿絵「シャルル七世の死」より

さらに付け加えると、
シャルル七世がジャンヌ・ダルクを見殺しにしたというイングランドの主張を信じている人は、この死に様を「ざまぁ」と思っているらしいですね。

本当は、幼少期からずっと過酷な生涯を送っていて、それでも腐らずに立ち止まらなかった人なんだけどな。

戦乱の絶えなかったフランス王国に平和と秩序をもたらした王なのに、
大衆に広まっている悪印象と低評価がつらすぎる!



1年前のXから再掲。

私は①と②だなぁ🤔

世界史について調べるとき、日本人にとって母国語の次に身近な言語といえば、義務教育で学ぶ英語です。
英語で書かれている情報は、どうしても英米主観(イギリス史観)に偏りますから、イングランドの敵だったシャルル七世はネガティブな印象になりがち。
そういう事情もあるのでしょう。

しかし、冷静に考えて、不正な裁判でジャンヌ・ダルクを火刑にした加害者は、間違いなくイングランドです。

「救えなかった/間に合わなかった」ことを「見捨てた/見殺しにした」と解釈して、火刑の件でシャルル七世を責めるのはどう考えてもおかしい。

死ぬ間際に「世界一罪深い男が死ぬのだな。神の御心に感謝しよう」と言い残した心境を考えると…… あまりにも悲しい。

『7番目のシャルル』ではハッピーエンドまでいかなくても、もう少し救いが欲しいところですが、どうなることやら。ねえ、シャルルさん?

あ、きょうは『7番目のシャルル』最新話も更新してまーす!


▼7番目のシャルル、聖女と亡霊の声

※アルファポリス版の表紙画像はPicrew「IIKANJI MAKER」で作成したイラストを加工し、イメージとして使わせていただいてます。



自著の紹介

既刊:デュマ・フィスの未邦訳小説『トリスタン・ル・ルー』

2022年10月21日、シャルル七世即位600周年記念にリリースしました。
Kindle版(電子書籍)とペーパーバック版があります。

新刊:『十九世紀の異端科学者はかく語る』

ジョン・ラボック著『The Pleasures of Life』第一部を翻訳・書籍化しました。訳者・序文で「ダーウィンとラボックの師弟関係」を書き下ろし。

web小説『7番目のシャルル』シリーズ

シャルル七世が主人公の小説(少年期編青年期編)連載中。
関連エッセイ、翻訳などもあります。


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