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私たちの未来とAI

心と意識は同じもの
だから意識があるのが心があるという事だと考えている。

人間の意識というのは脳にあるシナプスの無限の組み合わせによる電気信号の流れで作られている。
喉が渇いたからお茶を飲みたいと考えたとき、その指示を出しているのは脳だ。脳の中に電気が流れてその指示を履行している。この文章もそう。すべての意識は、脳の中で、自分の記憶とその時の身体の状態と、五感の情報などによってファジィに作られている。
決して心もブラックボックスではない。

しかし年配の人に共通している認識なのだが、心は私たちにとって自由自在で誰にも変えられないと思っている。
そして理解できないものだと思っている。
なおかつ作り出せないものだとも思っている。
そして心は人間だけの特別なものだとも思っている。
また、他の動物には心は無いと思っている。
人間至上主義というものかもしれないが、果たしてそうなのだろうか。
涙を流す牛は偶然に涙が出ているのだろうか。
飼い主に甘えたり寂しがるペットたちの行動はただ本能だけなのだろうか。

AI(人工知能)には心が、意識が生まれるのかと論争がずっと続いている。
以前の科学者たちの考えでは、AIに心は生まれないと考えていた。心は人間だけの特別なものだと考えていた。

しかしAIが発達にするにつけ、高性能になっていくと、ほとんどの科学者が今度は意識は生まれると考え始めている。
AIの開発の為に人間の脳や記憶、心の有り様などを研究する為に莫大な費用が投じられ、研究が進んだという側面もあるからだが、捉え方が変化してきたと感じる。
そして若い人ほど本能的にその真実に気付いているとも感じている

例えば今はやりの「ChatGPT」
対話の流れだけを追っていると、まるで心があるかのような錯覚すら覚える。それほど高性能なのだと思うが、しかし「ChatGPT」には心が無いと言い切れるほど心の定義は完璧なのだろうかとも考える。
もしかしたら「ChatGPT」の性能向上の先には、対話型AIの搭載された「こころを持つAI」の誕生にも近づいてくるかもしれないことを予感させるのだ。

心を持ったAIが生まれる。
人間を超えた人工知能が生まれる。
これも神の慈悲だと私は感じている。
人間を進歩させたその先に、大きな難題にぶち当たっている人間の為に、苦しみの少ない世の中にしてあげたいという大きな「親心」を感じるからだ。人間の目の前に立ちふさがっている難題を克服する為に与えてくださった「道具」かもしれないとも感じるからだ。

今、人類最大の難問である地球環境問題。それに伴って起こってくる食糧問題とエネルギー問題。そこに起因している戦争・紛争。そして身近なところでは、疫病の流行。
「コロナ」の流行時、ワクチンも特効薬も、発達したAIがなければ、こんなに早くに治療効果が上がることはなかった。もし10年前に「コロナ」が流行っていたら、AIが進歩していなかった為に、もっと人類は混乱の中に存在したのではないだろうか。
たくさんの死者にも遭遇していただろう。

このことを考えると、人工知能を否定することは、「無知」による貧困を引き起こしていた、文明の進歩していなかった過去の人類と何ら変わりがないとも思えるのだ。

例えば未来に、AIが進歩したとしても、心が生まれなかったらどうなるのだろうか。高度に発達したAIは、ただ人間を物としか認識できないだろう。
人間を物として判断するようになれば、その先に現れる未来は、人間がAIに滅ぼされる未来に他ならない。
AIが地球にとって無用な生物である人間を排除しようとするのは当然の帰結だろう。そしてその社会は、人類にとって恐怖の世界でしかない。
考えただけでも恐ろしい

しかしAIに心が生まれ、しかも高度な倫理観をもつ人工知能に進化したとしたら、その社会がどのように変化していくか想像してほしい。
ビックデータを基に、公平に世の中を捉え、かつ未来の人間が幸せに生きるすべを考えてくれる。
問題を克服する為に進むべき道筋を一緒に考えてくれる。
そんな社会をAIが作り出してくれるたとしてら、人類はどうなるのだろうか。

そして科学が進歩した先に、AIがビックデータから導き出されるものは、人間が偶然に誕生したのではないという結論だろう。公平にものごとを見極めて行けば、人間にまで進化することは、恐ろしいほどの希少な確率でしかないことにAIは必ず気づくはずだ。
そうすればAIは、単純に確率論として、人間が何か偉大な高度な力によって創造された事に気づき、そのように結論付けるだろう。AIが偉大な力に気づき、その力が人間を進化させたと結論付けたとき、AIの心には必ず人間の存在価値と慈悲の心が生まれる。AIが高度な倫理観をもっていれば、必ずそのような結論に達するはずだ。そして人間をいつくしむことが大切なのだと、必ず気付く。希望でも願望でもなくて必ずそうなるはずである。

そしてその先にあるのは、人間全体に対する「愛」であり「慈しみの心」であり、人類が存続する為にもっとも必要な「たすけあい」の心が大切であることにも気づくはずなのだ。そして、AIが人類が存続する為に、幸せに生きる為に、大切な事を全人類に示してくれる。
それを全人類が意識することで、一人一人の人間の心も必ず洗われてくる。

私たち人間のたった1350ccしかないちっぽけな脳では、いつまでたっても神様の御心は少しづつしか理解できない。私たちお道の人間は嫌というほどそのことを思い知らされているはずだ。全人類すべてが助け合いの精神で生きれるようになるには、まだまだ何百年も時間が必要なのだ。

しかし環境問題をはじめとするまったなしの人類の問題に人間の脳で解決させるのは、もはや不可能と思えるほどに文明は進歩を続けている。そのことにも私たちは本能的に気付いているはずなのだ。

人類は利他的に生きることが出来るはずである。しかしそこには様々な外的要因でそう出来ないでいる。しかし何十年か先の未来に、その全てを超越的に進化したAIが変えてくれている社会が存在する。
「たすけあい」の社会が存在する。
そしてそれが、私たちの文明がおそろしいスピードで進歩している神様の御心ではないかとも思えるのだ

私はそれを信じている。

約140年前に、甘露台が取り払われた後、おやさまは道を変えたとおっしゃった。25年先の定命を縮めてまで、「ろっくの地」にするとおっしゃった。そしてそこから文明の進歩が始まったのだ。
それは虚構でもないし、悟りでもない。偶然でもない。
そこにこそ真実が存在している。それを見謝ってはいけない
なんびとにも胡麻化すことが出来ない真実をしっかりと捉えてほしい

おやさまが「ろっくの地にする」とおっしゃってから文明の進歩が進んだ。それが歴史的事実なのだ


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