石川柊太【福岡ソフトバンクホークス#29】の高校時代を教えた有馬信夫監督の指導方法
2007年3月25日に東京都立総合工科高等学校で私の高校野球人生が始まりました。そこでたまたま高校野球部同期で創価大学を経て福岡ソフトバンクホークスへ2013年育成ドラフト1位で入団した石川柊太投手のお話。
この年に恩師となる有馬信夫監督も都立保谷から異動してきて同じく1年目だった。私も有馬先生を慕って総合工科へ入学したので卒業した今も毎年別の高校へは異動しましたが挨拶は必ず行っています。
よくこの代の話、石川柊太の話にはなるのでその話を抜粋してお伝えしていこうと思います。
都立が野球で生徒の人生を背負うのは無理だ
今でこそ教員生活も30年以上となる有馬先生。
都立城東高校で初めて監督生活を始め、都立保谷、都立総合工科、都立足立新田を有力校に育てあげてきました。
総合工科で石川柊太を見て一言。
「あいつで甲子園行けるぞ」
当時初代監督であった千葉智久先生にそう言ったそうです。
なぜそう言ったか?
「身長高くて、手足長いし投球フォームや角度あるストレートを見てこんな逸材が入学してきたのかと思ったら思わずそう言ってしまったな」
それぐらい可能性ある投手だったんだと思う。
1年生の夏はメンバーから外れたが、秋の大会からはメンバーに入り翌年の春の大会では背番号1番を付け、初戦で敗れはしたもののその年、西東京代表として夏の甲子園に出場する日大鶴ヶ丘相手に2失点完投。順調に伸びているように思えた。
「一番気をつけたかったのは酷使すること。エースで完投が理想ではあったけど、上級生にも下級生も投手いるわけだから球数は気にしたな。怪我したとしても傷口を広げずにしないといけないと」
強豪私学を倒すためには変則投手の重要性を一番理解している。
有馬先生自身が都立城東で甲子園出場したときのエース、池村投手も右アンダースローであった。石川柊太も一時期右サイドで投げさせたことがあった。
「やっぱり途中で違うなと思って止めさせた。柊太もストレス感じてるようで」
「国士館の永田監督や岩倉高校の磯口監督には指導方法がわからなくて思わず電話したなあ...こんな本格派が入ってくるなんて思わなかったから」
ここまでのことをこう振り返った。
「俺は野手出身。投手ってほんと繊細で考えてることがよくわかんない。柊太って当時眼鏡かけてたし、ひ弱そうでなんも考えてなさそうに見えるけど実はものすごく考える奴。どう使いたいのか、どうしてほしいのかをもっと明確に意思表示するべきだったかなって思う時がある。それでも都立が野球で彼の人生の責任を負えるかと言われればそうではない。俺のできることはちゃんと上へ送り出すこと。そう切り替えたら、案外気持ちは楽になった」
一時期は柊太のことばっかり考えてたという有馬先生。大事な大事な教え子だからね。
完全に考え方が変わった2年生秋
迎えた2008年秋のブロック予選を戦っている時期であった。
初戦の日大桜丘の試合に勝利し、次戦の相手だった国学院高校戦のときに事件が起きる。
この試合の先発はもちろん石川柊太。
メンバー交換を終えて、試合前準備をしていたときだと思う。
「大介ごめん、肩作って」
大介とは、世田谷西シニアでも私と同じチームだった芦田大介のこと。
「えっ?」
柊太の2番手ながらもアンダースローのリリーフとして有馬先生の信頼は間違えなくあった投手。
遠投で肩を痛めてしまったという柊太。
試合直前で先発が芦田大介でいくことが知らされた。
当時のことについて有馬先生はこう振り返る。
「まずは柊太に頼ってばっかりだったことがよくわかった。正直に痛いって言ってくれたことは指導者として助かった。一方通行の指導していたらそうとも言えなかったのかもしれないし、あの試合で投げていたらここで彼の野球人生を終わらせていたかもしれない」
この試合で使わないことを条件に相手校の監督が了承。千葉先生と有馬先生は平謝りしたという。
「くそーって思ったけど生徒を預かる以上、これも教員の仕事。今ではいい思い出だな(笑)」
この試合も急遽先発した芦田の好投、野手陣が奮起。見事勝利し事なきを得た。。。
最後の夏までの石川柊太と投手陣
チームはブロック予選決勝で実践学園にサヨナラ負けを喫し、本戦には出場できなかった。
「柊太は投げ方がこの頃からおかしくなってしまったな。もちろんだけどそこをちゃんと指導できなかったのは俺の力不足。でもこれがいい機会だと思った。あいつを休ませる、いい意味でこの冬の期間は放っておこうと決めた。その間に控え投手と野手で投手できる奴の底上げだな」
冬を超え、チーム力は格段に強くなり春季東京都大会を迎えた。
「柊太を先発させて、いけるところまでいかせて芦田、秋元に繋ぐ」
有馬先生はこの大会をこのプランで戦っていくことを決めたそう。
1、2回戦と4回戦で先発した柊太。しかしシードがかかった3回戦の駒大高戦と準々決勝の国士館戦は芦田が先発した。
「やっぱり痛いのかなあって。ムチのような腕の振り方ではないし、球がいってない」後日談として柊太にこの大会のことを聞くと、ずっと肩が痛かったという。
「負けていい試合なんてないから、選手起用ってやっぱり一番難しい。この代に関して言えば選手の能力はとてもある代だったからある程度のことは補えた。それでも柊太を夏までには使い物にしないといけない、でもうまくいかない。ずっと葛藤していたな」
最後の夏とそれまでの練習試合を経て覚悟を決めたことがあると有馬先生は言う。
「この代の背番号1番はやっぱり柊太。もしダメだったとしても夏は全試合必ず柊太先発でいかす。いけるところまでいかせて、リリーフに繋ぐ。リリーフを万全にする」
確かに当時のリリーフ投手であった芦田大介、秋元雅貴、外野手兼任の千葉亮太と夏へ向けて準備が整っていた。
第91回全国高等学校野球選手権東東京大会では第三シードで迎えた最後の夏。結果的には準々決勝で二松学舎大付に敗戦したものの、予告通り柊太は3回戦からの準々決勝までの4試合は全て先発だった。4回戦の高輪高校戦では9回完投で完封勝利も収めた。
しかし指揮官の有馬先生は全然納得していなかった。
「2年生秋を終えてから最後の夏まで本来の柊太ではなかったかな。本人もずっともどかしかったと思う。彼は将来がある子。大学野球部からスカウトのお話もあったし、アピールの意味もあった。本人が最後の夏を経て、何か掴んでくれたらと思った」
今では福岡ソフトバンクホークスへと入団し、ローテーションを守り大活躍している石川柊太。2020年シーズンは最多勝と最高勝率のタイトルを得た。
恩師である有馬先生は確固たるものができたという。
「俺は技術的なことは何にも教えてない。創価大学さんと福岡ソフトバンクホークスさんが伸ばしてくれた。それでも柊太に出会ったことでわかったことがあった。ストレス与えず何もいじろうとしないことだな(笑)こういう選手に出会うと良くしたいと思っていじろうとする指導者もきっと多いだろうから、一つ言えることがあるとするならば何もいじるな触るな,,,だな」
酷使することよりも選手の将来を考えてくれた有馬先生。
文字としておこせば技術的なことには踏み入ってないんだってのがわかったと思います。何もしない勇気って指導者の方にはものすごく必要かもしれない。選手が上で活躍するにあたっては貴重なヒントだなと思いました。
私の恩師である有馬信夫先生と同期である石川柊太のお話でした。