ノンアスベスト社会を夢見てー阪神・淡路大震災 残された課題ー
アスベストは髪の毛の五千分の一の細さとは言うけれど、私にも想像はできない。また、刺激もないので吸ったことに気づく人はいない。そのうえ20~50年の長い潜伏期の後で発病するとなれば、うやむやのまま放置されるだろう。環境問題は想像力を逞しくして取り組まなければならないが、果たして私たちの気質に合っているのだろうか。
1980年代アスベストの発ガン性が認定されて欧米では使用禁止となったが、私たちの国では「管理基準」を設けて使い続けたため、10年以上も禁止が遅れた。アスベストの8割は建材に使用され、今なお建物に残されている。
このような時代背景の中で、1995年都市直下型の大地震が阪神地域を襲った。多くのビルが倒壊、火災も発生し、多数の尊い命が犠牲になった。さらに粉塵に混じって大量のアスベストが飛散し、街全体を覆うという未曽有の災害に発展した。
被災地では環境庁がアスベスト調査を行った。石綿の発ガン強度は種類によって異なり、青石綿は白石綿より10倍強く評価されている。ところが、青石綿の現場であっても白石綿だけを測定して公表したため、多くの人たちは余りにも測定値が低いことに疑問を感じながらも見過ごしていたのだろう。
アスベスト曝露についてのリスク評価は示されることなく、私たちも敢えて求めようとはしなかった。ところが、この白石綿濃度に基づいたリスクは、過小に評価されたまま被害者の保証や救済に負の影響を及ぼしている。また、被災地で活動していた人たちや避難生活を送っていた住民はハイリスクであると考えられるが、注意喚起もなければ被害実態についての調査も行われていない。
2024年1月「石綿被害者のうちで17名が阪神・淡路を経験」の見出しで新聞報道が出た。震災に関連したアスベストの被害実態を伝えるもので、2名のボランティアが含まれていた。危惧されていた被害者の増加が水面下で拡大しつつあることが初めて明らかになった。
中皮腫の潜伏期は20~50年とされている。震災から30年、情報提供や検診受診などの積極的な対策に取り組んで被害者を一人でも少なくしたい。そして、将来に禍根を残すことがないように、ノンアスベスト社会の実現に向けてみんなで歩もうではないか。
一人の百歩より、百人の一歩を。