プライドってなんなの? 新見正則
編集部からの今日のお題は僕には難題です。
まず、僕にはプライドという意味がよくわかりません。
そこで辞書を調べると、「誇り、自尊心、自負心」とありました。
でも、僕に誇りとか自尊心、そして自負心はほとんどありません。
つまり、そもそもプライドがないので、プライドを守る意味がありません。
わざわざプライドなんて、野暮じゃない?
僕がプライドを意識したことがないのは、
プライドに頼らない人生を生きてきたからとも思っています。
周囲の人は「オックスフォードの医学博士の新見先生」として接してくれます。
それで自分のプライドの存在を直接には感じなかっただけかもしれません。
なんで、僕がプライドにほとんど興味がないかというと、
それは学歴に恵まれた側面もあると思います。
高校まではまったく受験とは無関係な環境でしたが、
高校2年生の冬から懸命に勉強を始めて、
浪人を経て、慶應義塾大学医学部に入れていただきました。
当時は倍率が超高く、たしか70倍くらいと記憶しています。
とてもこれはご縁がないと感じましたが、運良く合格できました。
オックスフォードのプライド
大学院をオックスフォード大学で過ごせたことがまた大きかったと思います。
5年間の大学院生活は本当に世界のエリートと親交を深めることができました。
そしてイギリス人でも約半分しか取得できない学位(Doctor of Philosophy)を取得できました。
オックスフォードの5年間で僕の知的思考力が深まり、人として成長できたと思っています。
オックスフォードの大学院卒業であるというプライドに傷を付けてはいけないと思って生きていることは間違いありません。
自分ではプライドを意識したことはありませんが、
やはりぼくのプライドは、オックスフォードの生活と
それを基盤にしたその後の人生ということになります。
他人に振り回されず、自分の足で歩く
人の評価がどうであっても特別問題はありません。
他人からの評価に逆らって生きることで、自由を勝ち取れることもあります。
いろいろなことに逆らって生き抜く人生が僕らしいのかもしれません。
ノブレス・オブリージュの精神
ノブレス・オブリージュ(高貴さは義務を強制する)という言葉を
オックスフォード時代から意識しています。
いろいろと訳されていますが、その訳のひとつは、
「財力、権力、社会的地位をもつものは社会的義務が伴い、そして自発的な無私、無欲な行動を促す」というものです。
特にプライドを持っている人にはノブレス・オブリージュが要求されると僕は思っています。プライドだけ高くてなにも社会貢献しないひとはダメという意味です。
僕にとって大切な何か、譲れない何か
プライドを自分の「価値観」と「大切なもの」と言い換えてみると、僕にとっては「自由に生き抜く」ことがそれにあたります。
いつか人は死にます。
その時まで自由に行き抜くことが、僕の誇りにつながると思っています。
僕は人に少々迷惑を掛けながら生きても構わないと最近あちこちで言っています。自分が人に迷惑を掛けていると感じていると、
人に掛けられた迷惑もスルーできるからです。
その「少々」を遙かに超えて、自分の価値観や大切なものを否定されるような行動をされると、そして実力行使されると万難を排して守りますよ。
闘うときは本気だよ
自分の生き方や家族や大切な友人への常識を越えた攻撃には、
こちらも慇懃無礼に、でも執拗に復讐しようと思っています。
僕は結構執念深いのですよ!
降りかかる火の粉はしっかり払います。
自分の価値観と大切なものというプライドを守るために!