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無償の愛  新見正則


相手が話してくれるまで待つ

オックスフォード大学の留学前に結婚し、5年間英国で過ごしました。帰国を前に妊活を始めましたがそう簡単ではありません。その後数年、子どもに恵まれませんでした。母は決して「子どもはまだなの?」と僕たちに聞きませんでした。挨拶代わりに「子どもはまだなの? お母さんはお孫さんを見たいでしょうに」と言うひともいます。子どもがほしいのは誰よりも僕たちなのに。心ない質問に辟易とすることもありました。

母も孫が心底ほしかったでしょう。ほぼ諦めかけた頃、幸いに子宝に恵まれました。母は孫を本当に大切にしてくれました。微笑ましい2人の姿をついこの前のことのように思い出します。娘も母が大好きでした。母が亡くなったあと、一晩冷たくなった母と添い寝しました。母の思いやりは家族に伝染しています。

相手の生き方、立場を尊重する

娘には子どもの頃からひとりの個人として対応しています。人に対する思いやりも親なりに、ちょっと先輩として教えるようにしてきました。思いやりとは、人にはいろいろな立場があることを理解して振る舞うことと思っています。自分が得ている情報がすべてではありません。先方にも事情があります。そんなちょっと控えめな態度も大切かと思っています。

自分のものを分け与える

大学生の頃、同級生がわが家に集まって勉強していました。夕食を一緒に食べ、泊まってほぼ徹夜で試験勉強をしたことも多々ありました。そんなときに、母は自分の食事を同級生に与えて、自分は残り物を食べていました。そんな母のメインデッシュをいちばん多く食べた友人は、切磋琢磨して大学教授に上り詰めました。「○○君は元気にしているかね?」と問われると、「すごく偉くなったからもうすぐ報告にくると思うよ」と答えていました。その彼は虫垂がんで数年前に他界しました。立派な姿を母に見せることなく、母とは2年違いで天国に逝きました。こんなに早く天国でふたりが会っているはとは、母が一番驚いていることでしょう。

黙って見守る

母は本当に思いやりがある人で、僕の良き理解者で、素晴らしい親でした。僕のどもりを含めた発語障害をずっと気にしていたようです。それは晩年、母が家内に語って始めてわかりました。それまで、ひとことも僕の発語障害に触れたことはありませんでした。発語障害での苦しみは当人が一番わかっています。そんな時には遠くから思いやりを持って見守ってくれていることが大切で有り難いのです。

温かいこころで丸ごと包む

思いやりとは包容力にも似ています。そんな母の思いやりを感じながら、僕も思いやりをもって生きていきたいとずっと思っています。僕は「人は、そして自分も他人に迷惑をかけて生きている」と思っています。そう思うと、人が許せるようになります。自分は完璧であると思い間違うと、他人のちょっとした間違いが気にかかります。自分も多くの人に迷惑をかけて生きていると思うこと、そして実際にちょっと迷惑をかけて生きることが、僕には心の潤滑油なのです。

自分が完璧と思えば、他人のちょっとしたミスに腹が立ちます。自分も完璧ではなく、他人に迷惑をかけていて、そして生かされていると思うことが、包容力にもつながると思っています。

相手を許し、そして自分も許される

そんな思いやり、無償の愛に対価は必要ありません。何か(お金)のために何か(仕事)をするのはビジネスですね。対価を求めず、人に許してもらって、そして他人を許すことが思いやりに思えます。母の生き方を見ていて特に最近そう思っています。


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