THE 集中力! 新見正則
ADHDの僕。 集中力はありません
僕は子どもの頃、今でいうADHD(注意欠如・多動症)っぽく、落ち着きがない子でした。そのうえ、どもりと発語障害もありました。昔はいろいろな子がいるのが普通のような感じで特段いじめられたこともありませんでした。ただやはり、ADHDっぽかったので集中力はありませんでした。
どもりのせいで英語や国語は苦手です。高校2年生まではまったく将来を考えず、ただただ遊んで、そして部活に夢中でした。それでも、発語を必要としない教科の成績は悪くありませんでした。受験校ではないためか、高校ではなんとなくできるほうの部類に入っていました。高校2年生の秋に全国模試を受けました。その結果、たしか1万数千人中ビリの方でした。世の中にはこんなにも頭の良い人がいるのだ、そして自分はほとんどビリの集団に属している(!)と自覚して、予備校に通うようになりました。
焦って勉強したら集中力アップ
そんな予備校生活でボツボツと集中力がついたように思います。結構必死に勉強して、とりあえずは私学の医学部に入学できました。そうしたところ、なんだかもっと勉強してみたくなり、浪人して国立大学の医学部を目指しました。そこで国立大学受験対策で学んだ国語と世界史が、本当にその後の僕の人生の教養に役に立っています。
ものを考えるには、ゼッタイ国語が必要!
国語をしっかり学んだお陰で、論理的思考が身についたと思います。集中して論理的に本を読むことも学びました。著者が言いたいことや、受験問題ではその作品を利用して出題者が意図していることがわかるようになりました。僕は社会人になって役に立つのはなにより母国語でものを考える力だと思うのです。
途中で力尽きないことが大事。緩急が大事。
医師になったあとは、外科医を目指して修練に励みました。外科の手術を最初から、最後まで集中力を切らさずに終えるなんてできるのだろうか、と学生時代は不思議に思っていました。そして自分がある程度外科医っぽくなってみてわかったのです。大切な部分だけ集中することが重要だと腑に落ちたのです。つまり集中すべき事と、ちょっと余力を残して流しながら行うことがわかるようになると、集中すべきことに集中できるようになります。最初からずっと全力で走っていては、大切なときに集中できません。途中で力尽きます。
自分でやる。 誰かに頼む。 頼んだひとには感謝だよ!
仕事を複数持つようになっても集中力を注ぐべき時と場所がわかっていれば、大切なことが並行して進んでもしっかりとこなせるのです。そんな緩急を理解しながら、物事を行うことが重要です。そして自分で緩急を差配できる立場になるともっと複数の仕事も行えるようになります。自分を助けてくれる人が現れます。自分と同じレベルを要求するのではなく、その人々のお陰で自分が益々働けると感謝しながら対応すれば、益々複数の仕事ができるようになります。
自分の集中力が超最高でも足りない
人は自分だけでは生きていけません。もしも生きていけたとしても、視野の狭い、やることの限られた、経験できる体験も少ない、つまらない時間が経過することになります。集中力は大切です。しかし、それは自分で努力するというよりも、人に助けられてこそ、集中力がアップするように思えるのです。
トライアスロンで集中力を鍛える
トライアスロンも集中力を鍛えると思います。集中すべきことと、流すことを分けないと完走できません。最初はオリンピックの距離(水泳1.5km、自転車40km、ランニング10km)でも大変でした。でもそのなかで緩急がわかると完走できます。同じように日本で一番長いトライアスロン(佐渡Aタイプ、水泳3.8km、自転車190km、そしてフルマラソン42km)を14時間ちょっとで走り抜いたときも緩急を体感で、直感でわかったからこそ完走できたと思っています。
長い人生、最後まで疾走できるように
最初から全力で14時間を完走できません。そんな体に悪い経験も、人生には大切なヒントを与えてくれました。体に良いことばかりやっていてもつまらないと思っています。いろいろな人生を、緩急を付けながら頑張って生き抜きましょう。