渡辺京二・三砂ちづる『女子学生、渡辺京二に会いに行く』
津田塾大学「多文化 国際協力コース」の学生が熊本の思想家・批評家 渡辺京二を迎えて行われた勉強会の記録。
雑記
「学生時代、サークル何やってたんですか?」と聞かれて、いつも答えに困る。
軽音とかサッカーとかならわかりやすいのだが、私は「国際協力支援」を掲げるサークルに所属していた。分かりづらい言葉だが、貧困問題や難民問題など、世界規模で起こる社会的な問題について考えたり情報発信するような活動だ。私は小学校や高校に行って外国文化に触れるゲームや貧困問題を扱うワークショップを行ったりしていた。
冒頭の引用文にある「このような世の中であってよいはずではない」という言葉。自分もそう思っていた。
思ってはいたが、どこか後ろめたさのようなものも感じていた。活動は楽しい。けれどこの楽しさは、自分に仲間や居場所ができたことの嬉しさによるものではないか。「本当に」自分は世界がよりよい方向に進むことを願って活動しているといえるのか。
そんな考えをうっすらと頭の片隅に貼り付かせたまま、この目で見たこともない「世界の問題」について、小さな教室の中で、自分より若い人たちに、それらしい顔、あたかも何かを知っているような顔をして、語りかけていた。世界にはこんな問題があるんですよ、私たちにもできることがありますよ。
今思えば、社会に対する憤り、自らの所在のなさ、言いようのない焦り、そういうものがない交ぜになって、自分でもうまく取り扱いができていなかったのだと思う。
渡辺さんが学生たちに投げかける言葉を、学生時代の自分にも聞かせたい。それからもし、今、SDGsとかサステナビリティとか、そういう概念だけインプットされて窒息しそうになっている現役の学生がいれば、その人に。
渡辺さんは言う。社会の役になど立たなくて良い、まず自分のエゴイズムを確認しろ、自分のもって生まれた性質を殺さず生かし、無名に・平凡に埋没せよ。ただし、この世界がどうなっていくべきか、人間はどうあるべきか、そういうことを考えるスタートラインに立ったのであれば、本を読みなさい。一生をかけて模索しなさい。と。
渡辺さんにそう言ってもらえると勇気が出る。平凡でよい。けれど持続する。そんなふうに生きていけたらと思う。