Jakarta 2015
毎朝、Google PhotoやFacebookの思い出機能から、いろんな過去写真が上がってきます。
ここ数日は2015年にインドネシアの首都・ジャカルタに居た写真が上がって来ました。
というのも2015年当時、女友達がジャカルタのデベロッパーで働いていまして彼女が
「シャングリラホテルで夏季休暇を過ごすの
だけど、一緒に過ごす人が居ないので来ませんか?」
と声かけしてくれたのがきっかけだったんですね。
当時の私は結婚はしていましたが子どもが未だおりませんでしたし、フリーランスで仕事をしていたので自分の自由になる時間と多少のお金はありました。
シャングリラホテルといえば東南アジアで五つ星ですが友人曰く
「ホテルの宿泊代は私が出すので、往復のエアチケットは自分で取ってください。一番安くて往復6万円くらいです。」
とのこと。
実は2015年という年は年始から私の人生を揺さぶる家族の一大事がありました。
その一大事に加えて毎月の不妊治療でストレスフルな日々を送っていたので夫に相談をして了解をもらい、彼女からのありがたいお誘いに乗ることにしました。
沖縄からジャカルタまで片道、台湾→香港→単身での渡航。
確か行きだけで15時間以上だったと思います。
なかなかの長時間渡航ですが、移動だけとはいえ香港経由。
帰りは台湾の21時間トランジットコースが一番安いエアチケットだったので、そのチケットを選びました。
朝沖縄を出発して友人の住むジャカルタに到着したのが、夜22時近く。
初日は誘ってくれた友人が勤務するデベロッパー会社が管理するマンションに一泊することになりました。
彼女が社宅として住んでいたマンションは、ジャカルタの「中間階層」が住むタイプのマンションらしく、ビル内には居住者専用のジムやプールがあり入口には常時、数人の警備員が居ました。
川沿いの高層マンションでしたが翌朝、窓を開けてみると外からコーランが流れてきたのが印象的でしたね。
マンションの近所を散歩したのですが、道の舗装が綺麗にされていない割には、大きなショッピングモールがいくつもありました。
イスラム圏が多数派を占める国らしく、あちこちに綺麗な幾何学模様のムスクもあったと記憶しています。(街並みが、マレーシアにも似ていました。)
二日目には、彼女がリザーブした
シャングリラホテルにタクシーで移動。
ジャカルタでの移動はほとんどタクシーだった
のですが、友人曰く「タクシーにも階級がある」
というところにお国柄を感じました。
私たちが移動で利用したタクシーは日本車だったと記憶してますが、それも中間層が乗る種類のものだという説明が彼女からありました。
シャングリラは五つ星なだけあり格式あるオーセンティックな風格がありました。
プールも充実していてプールサイドバーでカクテルが飲み放題だったので、女2人半日は泳いで過ごしていたと思います。
シャングリラで一番印象的なのはホテルビュッフェのメニューの充実度です。
あのビュッフェをもう一度食べるためだけにシャングリラホテルを再訪したいと思わせるほど、バリエーション豊かな食材が並んでいました。
あっという間に二日間の滞在を経て、帰りの飛行機はジャカルタ(スカルノハッタ空港)→台湾。
台湾では21時間のトランジットだったので、
西門地区のビジネスホテルに一泊。
台北は独身時代に仕事で来て以来の訪問でした。
一泊五千円位の格安ビジネスホテルを選んだはずなのに部屋がたまたま空いていたのか(?)シングルベッドが三つもある部屋を案内されたのは笑ってしまいました。
シャワートイレはバスタブがなく簡素なつくりでしたが、部屋にはエアコン、テレビやバッテリーチャージも充実していて清潔な部屋だったので快適に過ごせました。
それにしても台湾では思ったほど英語が通じず、さらに中国語がわからなくて苦労しました。
そもそも私、英語も旅行で使う単語くらいしか知りませんし何しろ相手に「わかってあげよう」というホスピタリティを感じないのです(笑)。
そういう意味では日本のホスピタリティの高さに、私は慣れさせられているのかも知れないと思う瞬間でもあった気がします。
台湾西門町は日本でいうところの「原宿」や「渋谷」に似ている街として有名でおしゃれなスポット満載ですが、通訳のいない私は現地のタピオカミルクティーを注文するのがやっとで、ひたすら街を一人でブラブラしました。
とはいえ日本人観光客には慣れている土地だったと思うのですが、私の顔が彼らの知る「日本人の顔」とは少々異なることが多少、ホスピタリティに影響していた部分もあるかも知れません。
最後に桃園空港へのバスチケットを購入する場所を間違えて沖縄行きの飛行機にギリギリ間に合った時には、こんな事になるなら空港にもっと早く到着してゆっくり免税店でお土産を選べば良かった…と、すこし後悔したのも今となっては良い思い出です。
何だかとめどなく友人が暮らしていたジャカルタ訪問の思い出について書きましたが、旅した国の歴史的建造物や文化などに触れた思い出がほとんどありません。
おそらく当時は、それらを楽しむ精神的な余裕がなかったのかも知れません。
とにかくこの年はいろんな事があり、
それらの出来事を一度リセットするには
最適な旅だったと思っています。
招待してくれた友人に、久しぶりに連絡
を取りたくなりました。