天の評価、地の評価
こんにちは。
先日、FY23の評価を受けました。
わたしの会社は、上司以外にも、同僚やプロジェクトメンバーからフィードバックがもらえる仕組みになっていて、上司の一存だけで評価が決まらない、かつ、自分が平素一緒に働いているメンバーからの実質的な声を聞くことになる(よくもわるくも)ということで、この時期はやや緊張感のある雰囲気になります。もちろん誰からのコメントかはわからないようにされています。
結果、ポジティブフィードバックばかりでした。(念のためですが、昇格とは別物です。)
まるで、自分ではない誰かが褒められているかのようでした。つい、自分のことは低く評価してしまうのですが、振り返ると、恐れて震えがくるような未知のチャレンジにも、神様と主が絶対に助けてくださると信じて疑わず堂々とやってみよう、これ一つを考えに握りしめてやっていたように思います。
主が共に一つ一つ行なってきてくださったから感謝ですし、わたしも主の願われる通りにできたのなら、これほどうれしいことはないです。本当に頑張ってよかったです。
しかし一方で、自分が実際行なったことは、業務的に難易度的にどうなのかなと、自己否定とかではないのですが、普通のことでは?というかんじがしてきました。
そこで、改めて悟ったことは、実際に私がやったこと以上に、相手が、わたしのやろうとする心を受け取ってくれていた、天の愛で行おうと思ってやってきたことが伝わっていた、のかなと思います。
失敗もたくさんしたのに、そういうところには目をつむってもらいました。
仕事でもなんでも、頑張れば頑張るほど、評価されたいと思うのは自然なことかもしれません。
しかし、お金、名誉、そういう目に見えるもの、手にすることができるすべてのものを追い求めてあくせくせず、まずは神様の御心を求めなさい、神様の願いを先に成して差し上げなさい、と聖書にあります。
この、「神様の御心を成すこと」、各自の行いについて、鄭明析先生が次のように教えてくださいました。
自分が先に神様を愛しておこなうことが核心です。
行ってみて初めて実感できるから、神様の働きかけをただ何もせずに待つのではなく、行ってみることだと伝えられています。
愛の行いをどれだけできるか、そこにもっと挑戦していきたいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます♡