noteは、たくさんの恋文たちが集う場所。
こんにちは。桜小路いをりです。
今日は、「恋文の日」「ラブレターの日」だそうです。
私は、「ラブレター」というと、白い封筒に赤いハートのシールで封をしたお手紙を。
「恋文」というと、いわゆる「結び文」の形のお手紙を思い浮かべてしまいます。
着物の帯結びにも「恋文結び」という結び方があります。いつか、赤やピンクの帯でやってみたいです。
考えてみると、私のnoteの記事の多くは、「恋文」だなと思います。
自分の好きなもの、好きなこと、好きな人(語弊があります、推しのことです)への想いを、ひたすら吐露できる。
「好き」の気持ちを存分に表せる場所。
それがnoteだな、と思います。
好きなものを語る時には、どうしても情熱ばかりが先走ってしまって。
かといって、何歩も下がりすぎると、その想いは伝わらなくて。
個人的に、推しについての文章は、いちばん悩ましいです。
悩んでいる時間も、幸せなんだけれど。
数行の文章に何十分もかける、なんてこともざらにあったりします。
私は、「ラブレター」を書いたことはありません。
でも、ラブレターの宛名を書く時のドキドキは、きっとnoteの題名を打ち込んでいる時のようで。
自分の想いを言葉にして、何度も何度もそれを書き連ねていくのは、noteの本文を書いている時のようで。
ぐしゃぐしゃに丸めた書き損じの便箋は、途中で書けなくなってしまってそのままの、noteの下書きのようで。
便箋を封筒に仕舞って封をする瞬間は、note の本文を推敲して、「公開設定」をしている時のようで。
ポストに投函したり、好きな人の下駄箱や机の中に忍ばせたり、プレゼントに同封したりする時は、noteの「投稿」ボタンを押す時のようで。
そう思うと、noteに溢れる記事のひとつひとつが、恋文のようにかけがえのない、唯一無二のもののように思えます。
とりとめのない記事になってしまいましたが、この記事を、私の「noteへの恋文」にしたいと思います。
読み終えても、私の言葉を大切にどこかに仕舞ってくださる方がいらっしゃいましたら、それほど嬉しいことはありません。