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言葉は、「私」をつくる。
こんにちは。桜小路いをりです。
私が狂おしいほど好きな本のタイトルのひとつに、『線は、僕を描く』があります。
今日の記事のタイトルは、ちょっとだけ、これを意識したものにしてみました。
「言葉は、私をつくる」
言葉って、様々な用途があるものです。
もの語ることもそのひとつ、コミュニケーションもそのひとつ、記録もそのひとつ。
誰かの心を動かしたり、癒したり、時には欺くことだってあります。
その中で、「私」は言葉をどう使うか。
表現するため。繋がるため。
誰かのため。自分のため。
美しい光として。温かな毛布として。
木漏れ日に舞う桜色の花びらとして。
これまでnoteを書いていて、私はそんなふうに言葉を使おうとしてきました。
もちろん、これからもこの姿勢は変わりません。
というより、もうこの姿勢は、変えられないのかもしれません。
表に出して使ってきた言葉が、どんどん私の内面にまで響いて、沁み込んでいって。
「こう在りたい」「こんな自分になりたい」という憧れを形にして表現してきたことで、数年前の私が懐いていた「憧れの私」に、今の私は少しずつ近づいてきたような。
最近、そんな実感があります。
私は、「桜小路いをり」という名前に対して、最初少しドギマギしていました。
私が使うペンネームにしては、綺麗すぎるんじゃないかな、と。
それでも、「この名前に相応しい文章を書こう」と言葉を積み重ねていくうちに、気づけば「私」と「桜小路いをり」が、少しずつ重なる部分を広げていったような。
完全にぴたりと一致するわけではないし、これからもその形が完璧に重なることはないだろうけれど。
「憧れ」を詰め込んだ名前に、今、少しずつ私自身の文章が追いついている気がします。
最近、そう思うことが増えて、改めて「言葉は、私をつくるんだ」と感じました。
こう在りたい、こんな人でいたいと想うだけじゃなくて。
「こんな人だったら、きっとこんな言葉を使う」というところにまで思いを馳せて、それを実際に使ってみる。
最初はぶかぶかの洋服を着ているように感じるかもしれないけれど(私も始めはそうでした)、言葉を積み重ねていくうちに、段々とそれが身体に馴染んでくる。
外に出した言葉が、内面にまで影響して、「私」を形づくる色のひとつになる。
その色は、水彩絵の具みたいに、心に、内面に、じんわりじんわり広がっていく。
だから、「言葉」って、とても大切なものなんだと思います。
人柄が表れる、ということはもちろん、発した言葉が人柄にも何かしらの作用をする。
それが、光であっても陰であっても、明るい色でも暗い色でも。
表に出した以上は、「この言葉が私をつくるかも」ということを忘れてはいけないなと思います。
その意識、もっと言うと、「言葉と自分に対する美意識」の有無が、きっと言葉に対する責任感の違いのひとつ。
インターネットで言葉を発信するときはもちろん、日々の中で何気なく使う言葉でも、忘れないようにしたいです。
今回お借りした見出し画像は、インターネットの世界を彷彿とさせるような入り組んだ街のイラストです。この、広すぎて眩しすぎる世界を生き抜くための決意表明として。
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