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映画『夜明けのすべて』〜エンディングのない映画〜
こんにちは。桜小路いをりです。
公開が決定したときからずっと楽しみにしていた、映画『夜明けのすべて』を見てきました。
温かい光の余韻に包まれるような映画で、本当に感無量。
大好きな役者さんお二人の再共演作で、大好きな作家さんの大好きな作品の映画化なんて、人生でそうそう何度もあることじゃない……!
というわけで、今日の記事は大雑把に要約すると、「『夜明けのすべて』めちゃよかった〜」という記事です。
ぜひ最後までお付き合いください。
原作ファンも納得の映像化
私、なにぶん瀬尾まいこさんの作品が大好きでして。
その中でも、「いちばん好きな作品は?」と訊かれたら、私は3秒で『夜明けのすべて』と答えます。
そのくらいには大好きな作品です。
映画は、原作に全く忠実なストーリーというわけではありません。
でも私は、いち原作ファンとして「ああ、映画って、こうやって作るんだな」と改めて感じました。
文章ではどうしても限界のある部分、例えば、ある程度の数の人が集まっていたら絶対に耳に入ってくるノイズだったり、ささやかな風だったり、ごく自然に癖のように出てしまう会釈だったり。
それらが、本当にすんなりと『夜明けのすべて』という作品がもつ世界観に溶け込んでいて、この映画がどれほど丁寧に紡がれたものなのかが、ひしひしと伝わってきました。
文章の行間まで、するりと映像に落とし込まれている感じ、と言うのでしょうか。
きっと、本当に色んな方が、『夜明けのすべて』のメッセージや空気感に共感して、創り上げた映画なのだろうと思います。
また、原作と大きく違う点のひとつは、上白石萌音さん演じる藤沢さんと、松村北斗さん演じる山添くんが働いている「栗田金属」が「栗田科学」に変わっていたこと。
個人的に、この変更がすごくすごく納得でした。
宇宙や星空の魅力を伝えるための工作キット、移動式のプラネタリウムを作っている会社って、『夜明けのすべて』というタイトルにも本当にぴったりです。
その中で、移動式プラネタリウムの「語り」を二人で模索して考えていく、というところも印象的で、胸がいっぱいになりました。
原作の中でも印象的だった「夜明けの直前がいちばん暗い」という一節を、こんなに愛に溢れた演出で組み込むんだな……と、今思い出しても、心がじんとします。
そして、(もちろん、萌音さんと北斗さんなら絶対に大丈夫、という信頼感はずっと持っていたものの)藤沢さんはあまりにも藤沢さんだったし、山添くんはあまりにも山添くんでした。
特に、藤沢さんがみかんを食べながら歩いているところとか、お守りを多めに買ってあって、初対面の人に「どうぞ」と差し出せるところとか。
山添くんが、イライラしている藤沢さんに「車でも掃除して待っててください」とバケツを渡すところとか、音を立てないようにそっとペットボトルの蓋を開けるときの微妙な表情とか。
くすっと笑える掛け合いもあって、でも、どれもわざとらしくなくて。
公開前から話題になっていた「藤沢さんが山添くんの髪を切ってあげるシーン」もそうでしたが、小説の中の二人の空気感が、そのまま立体になって動いているようで。
原作ファンでもある私は、本当に本当に嬉しかったです。
主演お二人の素朴な演技
『夜明けのすべて』を見ていてすごく思ったのは、「カットが変わる回数が少ない」ということでした。
しかも、カットとカットの間にも、絶妙な「余白」があるんです。
たとえば、山添くんが「行ってきます」と席を立ってすぐにカットを変えるのではなく、その後に続く職場の皆さんの会話が、ちょっとだけ切り取られてから次のカットに変わる、というように。
その演出はひとえに、役者の皆さんの演技の「自然さ」によって完成されている気がします。
その中でもいちばん印象深かったのは、萌音さんと北斗さんの演技の「素朴さ」でした。
もちろん、お二人はたくさんの作品に出演されていて、音楽活動でも華やかに活躍されていますが、いい意味で「ごく普通の人」の人生を演じていらっしゃった気がします。
ただ自分の病気と一緒に生きている「だけ」の、特別なことは何もない人。
病気の症状に悩まされることもあるけれど、それでも、普通に街に溶け込んで、普通に家と職場を行き来して、普通に生活をこなしている。
その「普通さ」を演出するって、本当に難しいことなんじゃないかなと思います。
淡々としていて、特に何が起きるわけではない。
病気をことさらに重大なものとして描いているわけでもない。
そんな世界観に、その「普通さ」があまりにもぴったりでした。
この映画を構成するものの何もかもが自然、と言えばよいのでしょうか。
ただ席が隣なだけの同僚にちょっとした物を渡すときは、つい何度も会釈してしまう。
特に意識していない人と一緒にいるときには、ポテチの袋の底に溜まったくずを、直接口に流し込んでしまう。
自分の意思に反して苛立ちをぶつけてしまうときは、「何でこんなこと言っちゃうんだろう」と、目がうるみそうになってしまう。
そんな、何気なく通り過ぎてしまうような、感覚的な行動、表情、仕草が、映画の中に丁寧に組み込まれている気がしました。
「16mmフィルム」の映像の温かさ
本作は、全編を通して、16mmフィルムの温かな映像で進んでいきます。
レトロな雰囲気のある画質や、柔らかな光の切り取り方が本当に素敵でした。
私は鑑賞しながら、やや粗い画質が、人と人の距離感や、人と人が関わる中で、どれほど親しくなっても越えられない隔たりのように感じました。
相手が「自分以外の誰か」であれば、その人の中には、必ず見えない部分がある。
踏み込めない部分、分からない部分、それらは、暴こうとしても暴けるものではないし、完璧に理解することはできない。
「私が知らないところ、知ることができないところ、分からないところは、あるんだろうな」と心のどこかで納得しながら、自分が知れたところ、相手と分かり合えたところの尊さを抱きしめて、関わり合っていくしかない。
それが人と人の関わりである、ということを感じながら、その柔らかな世界観に浸っていました。
「救われる」わけではないけれど
瀬尾まいこさんの作品はどれも、優しくて温かくて、でも、そこにほんのりとした切なさが滲んでいる気がします。
『夜明けのすべて』でも、主人公の二人は、別に病気が完治するわけではありません。
互いに病気を抱えたまま。
いつか治るかもしれないし治らないかもしれない、そんな状態は何も変わらないまま、物語が終わっていきます。
もちろん、大きな事件も起こらないし、病気が治らないからと言って、それが酷くなるわけでもありません。
でも、病気に変化はなくても、二人の心には、劇的なものではないにしろ変化が生まれていて、しかしそれは、恋でも友情でもない。
ただ、互いに「出会えてよかった」と思える存在になって、それだけ。
そして、この二人は、「救われる」わけではありません。
でも、かと言って、「救われない」わけでもありません。
それはきっと、山添くんの台詞にもあった、「助けられることはある」なのだと思います。(藤沢さんはそれに対して「当たり前」というようなことを言っていましたが)
少なくとも、藤沢さんは山添くんの存在に「助けられたこと」があったし、山添くんも藤沢さんに「助けられたこと」があった。
だから、それだけでも十分「出会えてよかった」になるのだと思います。
思い出すだけで「そんなこともあったっけかな」と顔が綻んでしまうような、人と関わる中で紡がれる些細な幸せ。
その温もりが詰まった映画でした。
「エンディング」のない映画
『夜明けのすべて』という映画をひと言で表すとするなら、「エンディングのない映画」だと私は思います。
その証拠に、本作には「主題歌」がありません。
(一応、「油断をするな」が合言葉のSixTONES担でもあるので、公開直前になっても主題歌情報なしだったときは、「えっ、SONYさん、劇場でいつもの『かけ逃げ』やります……? まさかね」と思っていました。杞憂でよかったです。冷静でいられる自信がない……。)
エンディングでは、定点で「栗田科学」の日常を映して、それで終わり。
エンドロールのときに流れるのは、インストロメンタルです。
考えてみたら、従来の「映画」の基本形って、ちょっと鑑賞者都合な部分が強いのかもしれません。
主人公たちの人生をドラマチックに切り出して、起承転結のキリの良いところでエンドロールに入って、エンディングが流れて。
もちろん、それはそれで「エンターテインメント」として「完成されている」ものですが、『夜明けのすべて』は、ひと味違いました。
なんだか、藤沢さんと山添くんの日常を「鑑賞者がのぞかせてもらっている」という感じ。
だから、エンドロールが流れても、映画が終わっても、「藤沢さんと山添くんの人生はこれからも続いていくんだろうな」と思えて。
「エンディング主題歌がない」というのは、「これからも続いていく」ということを暗示する、二人の人生への最大限の愛情とリスペクトがこもった演出なのではないかと思います。
だからこそ、見終えた後もいつまでも余韻が残って、鑑賞からしばらく経っても「藤沢さんと山添くんは、今もどこかでそれぞれの人生を生きているんだろうな」と思える気がします。
「夜明け前がいちばん暗い」
その「いちばん暗い瞬間」はきっと、いつか必ず来る夜明けを、より美しく見つめるための時間。
「その時」が来るのは、いつになるかは分からないけれど。
「その時」をこの目に映せる日まで、誰かの優しさを受け取ったり、誰かに優しさを返したり、無自覚に誰かと助けられ合ったりしながら、生きていけたらいいな。
何度だって、そう思わせてくれる作品のように思います。
まとめ
もしも……もしも機会があるのなら、萌音さんや、北斗さん擁するSixTONESに、「インスパイアソング」のような立ち位置で『夜明けのすべて』にちなんだ曲をぜひ……と思っています。
主題歌なしのエンディングがこの上なく素敵だったことに変わりはないのですが、その素敵な世界観を、この映画を見たときの愛おしさを思い出せる曲があったら、さらに嬉しいです。
さて、気がついたら、4000文字以上の感想を綴っていました。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
もし、この記事に出会ってくださった方の中に、「原作をまだ読んでいない」という方がいらっしゃいましたら、ぜひお手に取ってみてください。
本棚に置いてあるだけで、時折、藤沢さんと山添くんのやり取りを思い出すだけで、心の張っていた部分がふっと緩むような作品です。
小説で、映画で、ぜひ『夜明けのすべて』がもつ愛おしい光の温かさに、陽だまりのような優しさに触れてみてください。
「明日」に向かう心が、ほんの少し軽くなるはずです。
今回お借りした見出し画像は、星の砂時計のイラストです。ひと目見た瞬間、原作小説の表紙イラストが重なって選ばせていただきました。
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