ヨルシカの「晴る」と、アニメ『葬送のフリーレン』に溢れる愛。
こんにちは。桜小路いをりです。
先月の下旬、第一期最終話が放送されたアニメ『葬送のフリーレン』。
Amazonプライムで見返して、その余韻にひたひたに浸り終えたので、今日は第2クールのオープニング主題歌、ヨルシカの「晴る」について綴っていきます。
まだ他の方の考察や解説を読んでいないので、この記事はあくまで、今の私の感想と「晴る」の捉え方として捉えていただければと思います。
「素敵なアニメをありがとうございました……!」という想いも込めて。
ぜひ最後までお付き合いください。
ヨルシカの「晴る」は、ドイツ語に訳すと「blauen Himmel」で、「ヒンメル」という言葉が入っているということも大きく話題になった曲。
吹き抜ける風のような空気感を纏っていて、「疾走感」とはまた違う爽やかさが、とてもヨルシカらしくて。
『葬送のフリーレン』の世界観にリンクする切なさや温かさも内包されていて。
私もオープニングの尺で聴いただけでお気に入りの曲になりました。
私は、この曲の歌詞は、「勇者ヒンメルからフリーレンに向けたもの」なんじゃないかなと思っています。
その理由は、まず、ボーカルのsuisさんの歌声。
suisさんは曲によって本当に多彩な歌声を操っていらっしゃいますが、「晴る」では、その声がやや男性的に聴こえました。
「嘘月」とか、「風を食む」などのヨルシカの曲と比べていただくと分かりやすいかもしれません。
どことなく儚い印象は感じるものの、弱々しさ、たおやかさは感じない。
「フリーレン目線だとしたら、こんなに力強い歌い方はしないんじゃないかな……」とも感じました。
もうひとつの理由は、特に印象に残っているこの歌詞。
この強い語調と、「僕ら春風」という言い切りの言葉。
「春風」って、春の訪れを感じるものの代表だと思います。
ぬるんできた風の柔らかさに、「ああ、春が来たんだ」と誰もが思う。
長い冬を越えてやって来る、この上なく待ち遠しい温かな季節。
そんな「春」という季節は、勇者ヒンメル一行が魔王を倒してもたらした「平和な世界」に重なります。
だから、それを運んできた「僕ら」は、「春風」。
暗に、自分たちには寿命があって、いつかは誰の記憶にも残らなくなる、という想いも込められているのかもしれません。
暖かな春の日々が当たり前になったら、それが訪れたときの感動なんて忘れてしまうように。
春風の温かさの余韻なんて、そう長くは続かないように。
最後の印象的なアカペラは、勇者ヒンメルの死後、残響のようにフリーレンの心に残る彼の存在にも重なるのではないでしょうか。
あるいは、天国に旅立ってなお、「フリーレンを見守り想い続けている」という意味にも捉えられる気がします。
「晴れ」「晴る」という言葉が何度も使われているのも、そこに「Himmel」という言葉が隠れていると分かれば、ナルシストでちょっと気障なヒンメルらしい気がします。
YOASOBIの「勇者」、ヨルシカの「晴る」、miletさんの「Anytime Anywhere」、そして、Evan callさんの劇伴。
『葬送のフリーレン』を取り巻く音楽は、どれも計り知れない大きな愛に溢れている気がします。
それは、作中の登場人物が別の登場人物に向ける愛情でもあるし、作品そのものに対する制作陣からの愛情であったりもして。
最近、少しずつ原作マンガも読み進めているのですが、マンガのコマとコマの間を埋める演出、登場人物の心情を丁寧に映し出す映像の描写に、改めて感嘆しています。
アニメから入っても、原作マンガから入っても、その両方を対比して楽しんでもいい。
もちろん、作品を読み直したり見直したりする余裕がなくても、音楽を聴く中で『葬送のフリーレン』に想いを馳せてもいい。
そんな懐の深さを感じます。
こんなに温かな愛情と柔らかな余韻に溢れるアニメ作品、そうそう出会えるものじゃないんじゃないかな、と。
たぶん、私はこれから先、好きなアニメを訊かれたら『葬送のフリーレン』と答え続けるだろうし、『葬送のフリーレン』からもらった数々の想いが、きっと私の「はる」になる。
そんなことを考える、今日この頃の晴れの日です。