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その「やさしさ」を自分にも。
1ヶ月書くチャレンジ 19日目
「自分があまり賛成できない常識」
小学校の道徳の授業などでは、「自分ではなく誰かのために行動しなさい」ということがよく説かれていたように思います。
「自己中心的な考え方ではダメ」で、「周りのために行動することがよいこと」。
自分を多少犠牲にしても周りのために行動することが、とても大切だ、と。
集団生活のうえでは、確かにとても大切な考え方です。
でも、それならもうひとつ、教えてほしいことがあったな、と思います。
それは、自分自身を大切にする方法。
もっといえば、優しさを全部他者に渡してしまう必要はなくて、自分自身にも優しさを注ぐ必要があること。
他者に優しさを「おすそわけ」するという考え方です。
自分が両手に持てるものは、どうしても有限です。
自分の心と身体を抱えているだけで精一杯で、誰かに手を差し伸べたり、誰かの荷物を持ってあげることができないタイミングだってあります。
そんなときに、他人より自分のことを優先するって、全然自己中心的なことではないと、私は思います。
もちろん、そのせいで他人に迷惑をかけてしまうことはよくないけれど。
自分より他人のことを優先すべき、そうしないのは自分勝手で自己中心的、自分を犠牲にしても誰かのためになることをすべき……そんなことを「教えっぱなし」にするのって、あまりよくないんじゃないかなと思います。
せめて、ある程度の分別がついてきて「他者に迷惑をかけない範囲」が分かる年齢になったら、「誰かに優しさを分け与える」だけじゃなく、「自分にあげる優しさを取っておく」ことも必要だ、と教えてくれたらよかったのに、と私は思ってしまいます。
そういえば、ちゃんみなさんの「 ^_^ 」(この絵文字で「ハッピー」と読みます)という曲の中に、こんな歌詞がありました。
この世界が優しくさせないじゃん
笑われた私は笑えない
「この世界が優しくさせないじゃん」というフレーズがずっと心に引っかかっていたのですが、それは、「この世界が、どんなに私が私自身に優しくしようとしても、そうはさせてくれないじゃない」という意味にも捉えられるからかもしれません。
(「 ^_^ 」色々な意味に捉えられる一方で、どんな意味にも捉えがたいような、不思議な魅力のある楽曲なので、聴いたことのない方はぜひご一聴ください。)
もちろん、他者に優しくすることは、とても尊いこと。
けれど、そもそも「優しさ」という概念そのものが、尊いものだとも同時に思います。
ならば、それを自分に向けることだって、尊重されるべき大切なことなんじゃないかな。
自分自身に優しさや愛情を向けることに、もっとおおらかな世の中になったらいいなと感じます。
そのためにも、まずは私自身が、「自分に優しくすることを頑張っている人」を肯定する言葉を、こうして発信していきたいです。
今回お借りした見出し画像は、子猫とコーヒーカップのイラストです。ほっとひと息吐く時間を、ほんの少しでも創ることが「ご自愛」の第一歩。心なしか、猫ちゃんも「ちょっとお休みしなよ」と言ってくれている気がします。
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