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詩集を読む

『まーめんじ』細田傳造(2022年)栗売社

今年の3月3日発売の細田傳造さんのできたてほやほやの詩集。

1943年生まれの細田さんは、2012年、69歳のときに出した第一詩集『谷間の百合』(書肆山田)で、中原中也賞を最年長で受賞した詩人。

平易な言葉のつらなり、うねり、ささやく世界が、さざなみのように、そよ風のように紙面から立ち上がってくる。
地面に落っこちている記憶のなかの石ころが、細田さんの言葉で拾い上げられると、キラキラ光る宝石のようにも見えてくる。

詩ができること。詩が伝えられること。
そんな詩の可能性を、いまさらながら、教えてもらえる。

たとえば、こんな詩がある。

「かんこくの田舎へ行くと/家が集まっていて/家へ上がってゆくと/どの家にも/あかるい部屋におじいさんが/寝ていて/どの家でも寝台に寝ていて/部屋に入ってゆくと/やぁユアンいらっしゃい/と/どのおじいさんもわらいかけてくるのでありました/庭先で/犬がうーっと吠えている家も/犬のいない家もありますが/かならずおじいさんが寝ていて/やぁ蛇のユアンいらっしゃいと/わらいかけてくるので/ありました」(「蛇のユアン」)

読んでいるぼくも、韓国の田舎のおじいさんになって、寝ながら、ユアンという名の蛇に笑いながら挨拶したくなる。
読んでいて、体がすっと、軽くなる。そんな詩だ。

こんな詩もいい。

「二組の徳永悦子は/えっちだ/まじめな女子だけど/なまえが悦子なので/えっちだ/えっちとよぶと/いやーといってぶつふりをする/悦ちゃんと呼んでと言う/でもぼくはえっちと呼ぶ/しつこく言っていると/おこってぶちにきた/せまってきたときの悦子の唇は/捲れていて/悦子さまと呼びなさい/と耳元で言った/息が匂う/触ったことのない匂い/棒立ちになって/後ずさった」(「えっち」)

小学生くらいのやんちゃが、そのまんま80歳近くの詩人になって、こんなみずみずしい詩を書ける。

別に詩人の年齢を強調したいわけじゃないけど、こんなふうに、ひらがながつづく中で、登場人物はこどもでも、「捲れた唇」とか、「触った」ことのない「匂い」とか、どきっとするくらい、それこそ、「エッチ」な詩でもある。
こんな表現を、詩は、やってのける。
もちろん、小説でも、エッセイでも書けないわけじゃないだろうけど、この文字数で、イメージの世界がわぁーと、広がる。これが詩なんだ、とあらためて感心してしまう。

いろんな短い詩が、ぎゅっと、宝箱のように詰め込まれた詩集だ。
ガキンチョも、いい年したじっちゃんたちも、いろいろ登場して楽しめる。

栗売社。
この出版社の本作りも、なかなか素敵だ。
ぼくの第三詩集の表紙にはクワガタ虫がいたが、細田さんの詩集には蝉がいるよ。

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