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尊敬する理想の人物を探すということ

昔から、「尊敬する人物は?」という質問には、うまく答えることができませんでした。なぜなら、「この人を尊敬しています」という人物モデルを特定することができなかったから。今は開き直って「尊敬できる部分を持っている人を、たくさん知っています。」と答えています。そもそも、その人の全人格を尊敬する必要などないですし、全人格を尊敬できるような人物を探してくること自体無理ゲーなのでは、と思っています。だから、子供にも「尊敬する人は?」なんて聞くことはしません。

例えばですが、師弟関係の例。師匠さんと距離が近ければ近いほど、一緒に過ごす時間が多ければ多いほど、あらが見えてくるもの。「少々ダメな、人間的なところも含めて尊敬できるのでは?」なんて気にはなりません。ダメなところはダメなところと割り切って良いのです。尊敬できるところだけ取り入れればよいのです。師匠のコピー人間になりたいわけではないですしね。

このことに、人生の比較的早い時点で気づくことはとてもメリットがあると思っています。最近ではキャリア形成やコーチングにおいては、どうしたいのか(doing)よりもどうありたいのか(being)の方が自己実現においてより重要な思考であるととらえられています。しかし、どうありたいのか自らの理想像が定まらなければ、当然どうありたいのか(being)も定まるはずありません。ここで、必要なのはもともと存在しそうにない「尊敬できる人物モデル」を探す「無理ゲー思考」ではなく、「多くの人から多くの尊敬できる部分」を取り入れる「現実思考」だと思うのです。私は永らくの間、「尊敬できる人物モデルを探す」という無理ゲー思考の呪縛にとらわれていました。そのことにより、どうありたいのかどうしたいのかが定まらず、なかなか行動できなかったように思います。若い世代の方はこの呪縛にとらわれることなく、柔軟にたくさんの方から良いところを吸収し、在りたい自分を見定め、やりたいことを見つけてほしいと思います。


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