『わたしと小鳥とすずと』で無意識に陥りがちな視点
「みんなちがってみんないい」のフレーズで知られている、金子みすゞさんの『わたしと小鳥とすずと』。個の尊重を伝えている詩で、私も好きな詩の一つなのですが、この詩を読むうえでひとつ注意しておきたいことがあります。それは無意識に「人を優越性で見る」視点に陥ってしまう、ということ。内容を見てみると「わたし」「小鳥」「すず」の個性にフォーカスされている箇所がありますね。具体的には①私=速く走ることができる。たくさんの唄を知っている②小鳥=空を飛ぶことができる③すず=きれいな音色を鳴らすことができる。という3つの「can…できる」という性質で個の素晴らしさを伝えている箇所。後に「みんなちがってみんないい」というフレーズに続きこの詩は終わります。ここで私がお伝えしたいのは、「みんなちがってみんないい」という最後のフレーズに思考が誘導され、途中の「3つのcan」に付随する「優越性で評価しているという視点」に気が付かないという点なのです。
金子みすゞさんの詩が好きな一人である私が言うのもなんですが、この度の考察で、いのちについて鋭い洞察力をお持ちの金子みすゞさんであっても、「他と比べて評価する視点」を拭い去ることは出来なかったのだな、という気付きを得ることができたので、より親近感をもって金子みすゞさんの詩に接しようと思っています。
話は少しずれるのですが、最近よくメディアで見かける「オネエ系な人」を見ると私はその人について「柔軟な思考や鋭い感性をお持ちの天才肌な人」という印象を反射的に感じてしまうのでありますが、これはきっと「関西人なのだから面白くユーモアをお持ちの方」と同等のバイアスなのでしょうね。
お念仏申しながら一喜一憂しております
今日という一日
南無阿弥陀仏
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