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勉強したくないことは、勉強しなくていい|「きょういく」について思うこと。

ご覧いただきありがとうございます。


この記事では、
「きょういく」に対して、
僕が思っていることを
書いてみます。


自分の学生時代を振り返って


僕が学生の時は
別に勉強が好き、
という訳でもなく、
何となく「やらなきゃな」
と思っていました。


コミュニケーションが苦手
という理由だけで
理系の道に進みましたが、
本当は数学や理科に苦手意識があり、
好きな教科は英語でした。


高3で受験生になった時は
やりたい仕事もないし、
社会のレールから外れるのが怖い

という理由だけで
1日8時間くらい勉強する日々を過ごし、
国公立の大学に
入学することができました。


でも、
今思えば
大学で学んだ知識を、
これからの人生に役立てたい
といった気持ちは微塵もないんです。


あの4年間は何だったんだろう。
たまにそう思ってしまいます。


ただ、
今だから
なんとなくわかることがあります。


それは、
この世界の知恵は
本質的には
学問分野問わずどこかでつながっていて、
学ぶことは決して無駄ではないんだろう

ということです。

学生さんの勉強をサポートして思ったこと


そんな勉強に対する向き合い方をしてきた僕ですが、
社会人になって
副業として
学習塾の講師をしていました。

そこで感じたこと。
それは、
何のために勉強するか?
を知っている学生さんは
モチベーション高く
ポジティブな姿勢で勉強に向き合っている。
ことでした。

そう思わせてくれた
1人の学生さんの例を紹介します。


僕が講師を担当させてもらった高1のA君は、
大のゲーム好き。
好きが講じて
自分でオリジナルゲームを自作し、
それを公表して収益を得ていました。


勉強に関しても、
数学が得意で
その才能がゲーム作りにも
活かされているようでした。


彼のゲーム作りに対する熱量は高く、
もっといいゲームを作りたい
という思いが、
彼の勉強へのモチベーションを
高めていたように感じます。


ゲーム作りには
プログラミングが必要で、
そのベースには数学の知識があること。


プレイヤーにゲームのルールや
ストーリーを伝えるためには、
国語の知識が必要なこと。


世界中のプレイヤーに作品を届けるためには
英語をはじめとした
語学の知識が必要なこと。


だから、
もっと勉強したい。


やりたいことがはっきりしているので、
そこから逆算して
どんなことを勉強すればいいかが判り、
前のめりで勉強していました。

勉強したくないことは、勉強しなくていい


僕は、
勉強したくないことは
勉強しなくていいと思っています。


自分が何で英語好きで
得意だったかといえば、
いろいろな文化に興味があったから。
英語が使えれば、
色々なバックグラウンドを持った人と
話せるから。


だから、
英語を勉強することは楽しく、
自分にとっては全く苦しくない
遊びのような行為でした。
(今でも毎日語学の勉強をしていますが、
この感覚は変わりません。)


今の日本の勉強は、
受験にフォーカスしすぎていると感じます。


英語はそもそも教科ではなく、
コミュニケーションツールです。


日本で生きていく上で、
英語ができなきなくて困ることは
あまりないでしょう。


ひとりひとりの学生が、
この先どんなことをやりたいか?

それを明確にして、
それにつながるような学問を
学べばいいと思います。


精神科医のヴィクトール・フランクルは
次の様な言葉を残しています。

人生から何を期待されているか知っている者は、
どんな過酷な運命も乗り越えられる。

Viktor E.Frankl『Man's Search For Meaning』

自分がある目的(=やりたいこと・夢)を果たすことを、
人生から期待されている。


そのある目的(=やりたいこと・夢)を知っていれば、
人はどんな苦境も乗り越えられる。


何かを学ぶ上でも
同じだと思います。

それでも、ただ一つ、必要だと思う力


勉強したいことだけ勉強すればいい
と書きましたが、
幸福な人生を生きるために
必要だと思う力があります。


それは、
物事の本質を理解する力
です。

言い換えると、
抽象的思考力
です。


数学を例に上げると、
公式を暗記することよりも、
この公式はなぜ成り立つのか?
の理解が大切ということです。


そうやって、
なぜ1+1=2なのか?
といった本質を突き詰められる力がないと、
社会、お金、愛、人生…といった
抽象度の高いことを考えられず
より良い人生を歩むことが難しくなる
と思っています。


その意味では、
数学は抽象的思考力を養うのに適した学問の一つ
かもしれません。

最後に


いかがでしたでしょうか。
最後に
「教育」という言葉に対して
思うことを書いてみます。


「教育」というと
より知識のある人が、
そうでない人に教える
という上下関係のイメージを持ってしまいます。


でも、
それは違うと思います。

より知識を持っていたとしても、
そうでない人から学ぶこともあると思うんです。


それは、
そうだ、とある意味決めつけていたものを
打ち壊してくれる視点です。


だから、
上から何かを教えるのではなく、
共に学び成長していく姿勢が

大切だと思っています。


冒頭に「きょういく」と書いたのは、
そんな意図もあってのことでした。


読者の皆さんの意見もシェアしてもらえると
嬉しいです。

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