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○○したら、人間関係の悩みが消滅した話。
他人に依存した男の末路
社会人になった時。
僕には友達が一人もいなかった。
職場の同僚や上司はいた。
だが、プライベートを一緒に過ごすような間柄でもなかった。
休日ですら、誰一人会える人がいない。
毎日が空虚だった。
友達と飲みに行ったり、恋人とディズニーにいっている人を見ては、嫉妬心を募らせた。
「自分もああなれば幸せになれるんだ」
そう信じていた。
「社会人 友達 作り方」でググって、出てきた方法を片っ端から試した。
社会人サークル、バー、知らない人の飲み会、習い事、合コン、街コン、出会い系サイト、マッチングアプリ。
行動しまくった結果、出会いは手に入った。
だがそこで知り合ったのは、他人を「モノ」としてしか見ていない人たちだった。
ネットワークビジネスの勧誘。
怪しい起業コミュニティの勧誘。
ぼったくり目的の交際。
承認欲求を満たすためだけの恋愛。
「自分にとってメリットがあるか。」
「自分に利益をもたらしてくれるか。」
そんなことを考えている人と時間を過ごしても、虚しいだけだった。
自分軸で生き始めたら、人生丸ごと上向いた
出会いを求める生活は、1年ほど続いた。
そしてある時、その1年で得た生ゴミみたいな人間関係に絶望した。
時間を浪費するだけで、自分は一切幸せになっていなかったから。
だから、すべてやめた。
知り合った人すべてを、ブロ削した。
そして、他人なんか関係なく、自分が心から楽しいと思えることに没頭した。
1人で海外を旅した。
国際交流イベントに参加した。
語学の勉強に夢中になった。
1人で山に入り、心と身体を整えた。
自転車を漕ぎながら、心地良い風を感じた。
「そういえば、昔はこんなことが好きだったな」
ほんとうに好きなことに夢中になる時間は、どうでもいい人と過ごす時間の1000倍充実していた。
なぜ忘れていたのだろう。
社会の「こうあるべき」という幻想に惑わされ、自分を見失っていた。
それを繰り返していると、思わぬオマケが付いてきた。
泊まったホステルで、心優しい旅人と仲良くなった。
国際交流イベントで知り合った人と、興味のあることを深く語り合った。
学んだ語学のスキルが役に立ったことは、言うまでもない。
自然の中で、俗世からのノイズをデトックスして、自分らしさがどんどん鮮明になった。
今では、世界中に友達がいる。
出会った人たちとの緩いつながりは、たしかにそこにある。
それは、お互いを「ヒト」として尊重しあう関係だ。
プライベートだけではなかった。
「こんな価値を社会に与えたい」
自分のビジョンに基づいて巡り合った職場では、刺激的な仕事仲間と出会った。
「この人と付き合っていたらメリットありそう」
「損したくないからこの人とは付き合わない」
そんな関係性に、1ミリも価値はない。
「なんかこの人好き」
「困っていたら助けたくなる」
そう思える人だけが、人生にほんとうに必要なつながりだ。
自分らしく生き始めると、人間関係の悩みが消滅した。
一緒にいるだけでワクワクして、大好きだと思えるつながりが手に入った。