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社交不安障がい者が旅をする。#10

プノンペン滞在2日目。
この日は、1975年から約3年半続いたポルポト政権時代の負の遺産を見学したいと思っていた。

プノンペンで見られるのは、収容所と処刑所の2つ。
東南アジア版配車アプリGrabでトゥクトゥクをグラブり、処刑所であるキリングフィールドから見学することにした。

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到着したのは、プノンペン市内から15キロほど離れた村だった。
ここで収容所に監禁された囚人たちが虐殺されたそうだ。
入ってすぐに見える記念塔には、ここで命を奪われた人々の遺骨が収められていた。

僅か40年ほど前にこれほどの惨劇が行われていたのだと思うとゾッとした。
当時、ポルポトは極端な共産主義思想を打ち出し、拷問や処刑を厭わない恐怖支配を行った。
都市部の住民を農村地域に追いやり、知識人を資本主義の手先として殺害した。

資本主義ではどうしても格差が生じてしまう。
全ての人が豊かになるという理想郷を目指した結果、人々は自由を失ってしまった。

過去の歴史が、共産主義はうまくいかないことを証明した。
しかし、現代の社会が抱える問題も、そのまま放置していいものではない。
僕たちは、人が本当の意味で豊かに生きられる社会の在り方を考えなければならない。
そのためにも、この出来事を忘れてはいけないし、目を逸らさず受け止めなきゃいけない。
そう感じた。


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そんなかつての処刑所から数キロの場所に、プノンペンで2つ目のイオンモールがあった。
僕は何か食べようと思い、辺鄙な土地に建つその巨大な施設に向かった。
イオンの中は、相変わらずイオンだった。
日系企業だからか、日本のものを多く見かける。

「カンボジアに来て日本のものはつまんないな」

結局、またも安物の菓子パンだけ買って次の目的地に向かった。

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改めてトゥクトゥクをグラブって走ること15分、トゥールスレン(通称S21)と呼ばれる収容所に到着した。
ポルポト政権時代に、囚人たちが監禁されていた場所だ。
当時の規模を縮小しながらも、現在は博物館として公開されていた。

元々は学校だったというこの収容所。
至る所にその頃の面影が残っていた。
例えば、囚人が入れられたであろう牢獄。
レンガを無造作に積み上げて作られており、元の建物との境界が一目瞭然だ。
残された痕跡が、ポルポト政権当時、急造された収容所であることを伺わせた。

そして、館内にはここに収容された囚人たちの顔写真が並んでいた。
白黒の写真だが、一人ひとりの顔がはっきりと写されている。
やはり、それほど遠くない昔の出来事だったことを感じざるを得なかった。

そうして、2つの施設を見学し一日を終えた。
この2日で、カンボジアという国の生い立ちをざっくりと体験した。

陸で繋がっていても、200キロ離れているだけで使っている言葉も、歴史も、文化も違う。
陸路で移動してきたからよりそう思えた。
そこに、現在まで続く人々の営みを感じ、「みんな違ってみんないい」ということを、改めて心から尊重したくなった。

その日の夜、僕は突然の腹痛で目を覚ました。

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