ジャズと落語: 100年に渡る長い関係。 ④
レコードの歴史を私なりに考えてみた。今回はジャズレコードと落語について考えた。レコードは百年以上の歴史をもつ音楽メディアだが、令和になってなぜか復活し、現在、音楽文化の世界で新たに大きな役割を果たそうとしている。落語に関しても落語家が増えているという点で成長を続けているのではないだろうか。私は学者ではないし、レコードや音楽文化を専門に研究しているわけでもない。(そんなことは百も承知、二百も合点という声も聞かれるが)いうなれば、現役のレコード店経営者としての実体験や、少しばかり書籍で読んだ程度の知識しかないので、そのつもりで読んでいただきたい。
順番が前後しますが②1940年代と③1950年代は近日公開予定。
1960年代・60年代はジャズと落語と学生運動の時代
1979年の週刊新潮の写真家の立木義浩のコラム「モダンジャズ」に回顧録的な記述がある。「1960年代はジャズと落語と安保(学生運動)だった」とある。安保とは1960年の日米安保条約改定をめぐる大学生らが主導した反対運動のことを指す。5月20日の強行採決をきっかけに反対運動が激化し、6月15日、全学連と警官隊が衝突。東大生の女性が死亡し、数百人が負傷。その後も大学では学生運動が盛んに起こり大学が頻繁にロックアウト(閉鎖)された。60年代末には世界のいたるところで学生運動「スチューデント・パワー」が起こった。警察官に向かって棒で殴ったり投石したり・・・今では考えられない過激な時代だ。
1953年にテレビ放送が開始され、1960年代になるとカラー放送が導入され、テレビは家庭で一般的な娯楽メディアとなって60年代はテレビが普及した。テレビでも落語が放映され始め1965年には「金曜テレビ寄席」から現在も続く「笑点」が始まった。立川談志が自ら企画し初代司会者も努めた番組だった。
1969年には前田憲男とプレイボーイズが演奏を務め、三遊亭圓楽 (5代目)の甘い声で「プレイボーイ論を語る」カルト的名盤「円楽のプレイボーイ講座 12章」が発売。オリジナル盤は現在、高額で取引されている。内容も日野元彦がドラムで参加したファンキーで素晴らしい内容だ。
ちなみに円楽は「笑点」のメンバーとして人気を博した。なお、円楽は、「若い頃は「星の王子さま」の愛称で親しまれた。端整な顔立ちと博識ぶりにより、1960年代演芸ブームの際には脚光を浴びる。7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝休業後は8代目橘家圓蔵)とともに「東京落語四天王」と呼ばれた。
1970年代・1970年11月に「じゃずと落語の会」が開催
ジャズと落語の関係において重要なのが北村英治氏である。スイングジャズ時代から活躍されている日本を代表するクラリネット奏者。そして現役でも活躍されている。
北村氏が企画された「じゃずと落語の会」(表記通り)は1970年11月26日に赤坂で開催された。当時の案内がスイングジャーナルに掲載されている。鯉沼利成氏プロデュースによる企画で、出演メンバーは三遊亭円生、柳家小さん、三遊亭円弥 そして、ジャズ長屋オールスターズ(北村英治、チャーリー脇野、五十嵐明要、増田一郎、小川俊彦、原田政長、五十嵐武要、須永ひろし)となっている。
Swingin’ on a Camel・・・らくだでスイング
その中で演奏された曲で落語「らくだ」をテーマにした「Swingin’ on a Camel」(スィンギン オン ア キャメル)という曲がある。
この曲が収録されている北村英治のアルバム「ハッピークッキング」のライナーノーツにこんな記載がある「このアルバムには<スインギン・オン・ア・キャメル>(ラクダでスイング)という曲を書きおろしているが、これはらくだはらくだでも、先代可楽の演じた「らくだ」にインスパイアされた作品である。」
この曲は日本で唯一レコード化された「落語からインスパイアされたジャズ曲」ではないだろうか。
なお、先代可楽の演じた「らくだ」とは上方落語の古典の名作であり、江戸落語でも真打ちが演ずる大ネタである。江戸時代のリサイクル業者「屑屋」と大家さん、そして反社会的勢力の兄貴分と既に亡くなった舎弟が出てくる。飲酒で人格が変わる「酒乱の屑屋」と「屍の舎弟」と「その兄貴分」と「大家さん」のやりとりがシュールな現代でも人気の噺だ。
古今亭志ん生の長男、金原亭馬生の「らくだ」
行田よしお氏のスイングジャーナル誌のコラム
スイングジャーナル誌でも1973年7月~10月、1975年1月~1975年8月までライターと司会業で活躍された行田よしお氏によるコラム「ジャズ界寄席紳士録」そして「ジャズ長屋居候のひとりごと」などを掲載しており、当時もジャズファンは落語好きな人が多いと何度も書かれている。
その中で行田氏は50年ほど前のスイングジャーナルのコラムの中でこう述べている「落語には子供だましみたいなところがない。三百年の間に培われたきびしい線がある。何か大きなものを感じる。ジャズは発生してから100年にも満たないかもしれないが、落語と同様なそれを感じる。芸が人間性の表出ならば、ジャズも人間性の表出に他ならない気がする。」とある。
行田氏は表出した人間性を肯定するのが落語とジャズであると述べられている。
立川談志は「落語とは人間の業の肯定である」と仰った。つまり「人間は“所詮どうしようもない生き物”」ということを仰られた。
ちなみに行田氏の落語コラムが1975年9月でぷっつりと終わっていた。「急性アルコール中毒によりお休みさせていただきます」とあった。現代であれば考えられない理由であるし、わざわざ書く必要も無い事だと思うのだが、「業の肯定」を地でいく形となっている(笑)
談志師匠はこうも言っている。「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ。」行田氏はその後急性アルコール中毒から復活しライターとして長い間活躍されていたようで何故か安心した(笑)
最後に
Swingin’ on a Camel は最近人気の国内老舗ジャズのレーベルTBMの「横内章次カルテット / ブロンド・オン・ザ・ロックス」でもカバーされていた。どなたかカバーかサンプリングして曲を作って後世に残して欲しいものである。
今回、少しこじつけた感も否めないが(笑) ジャズと落語の接点がいろいろと見つかった。今後も、昔から「粋人」に愛されてきた落語とジャズをこれからも探求していきたいと思う。
ジャズも落語も、人間の感情や個性を表現する芸術であり、時代を超えて多くの人々を惹きつけてきた。ジャズはそのスタイルが大きく変化し、落語も少し変わったかもしれないが、本質的な部分は全く変わっていない。どちらも演者の人間性を深く映し出すものであると思う。
ぜひ、ジャズと落語に触れてほしい。人生が少しだけ楽しくなるきっかけになるかもしれない。
改めて実感したが、数十年前の出来事でさえも、既に埋もれつつある。だからこそ、諸先輩方が築いた文化を何とか継承していきたいと思う。しかし、歴史とは「興味のない人にはどうでもいいが、興味のある人にはとても重要なこと」でもあると感じた。けれども、こういう一見無意味にも思えることが、実はレコードや音楽、芸能といったサブカルチャーを次世代へ引き継ぐ鍵になるのかもしれない。
参考サイト
スチューデント・パワー Wikipedia
笑点 Wikipedia
三遊亭圓楽 (5代目) Wikipedia
落語家 Wikipedia
参考文献
週刊新潮 1979年8月30日号
スイングジャーナル 1970年11月号
スイングジャーナル 1973年8月号
スイングジャーナル 1975年9月号