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前略, 12

「もう一度生まれ変わってもまた巡り会いたい人。そういう人が、三崎さんにはいますか?」
桜子さんのその言葉が、いつまでも耳に残っていた。
エジンバラを出た後、せっかくお会いできたんだし少し飲みませんか、という桜子さんの提案で、末広通りの昼もやっている飲み屋に入った。

桜子さんは、大森と二人の時でもお酒を嗜むという。
大森はノンアルコールビールで、桜子さんと私は生ビールで乾杯した。桜子さんはお酒が好きらしく、上品に飲み進めた。大森はノンアルコールのビールをなめらかに飲み、私も何の違和感もなしにビールを二杯飲んだ。

桜子さんに誘われてワインのボトルをオーダーしたときには、さっきまでひそかに抱いていた懸念はきれいさっぱり忘れていた。
大森は、自分のだけノンアルコールビールであることに何のみすぼらしさものぞかせていなかった。むしろ、私の知るどの大森よりも落ち着いて、それでいて酒場にふさわしい佇まいを醸し出していた。

おかげで、彼がノンアルコールしか飲んでいないということを、私は少しも意識することなく、桜子さんと軽々とワインボトルを空にすることができた。ボルドーのフルボディを空けても、桜子さんはエジンバラでコーヒーを飲んでいたさっきまでとまるで変わらない様子だった。

「強いんですね」
私は素直に簡単する口調で言った。
「いえ、そうでもないんですよ」
と謙遜する薫子さんの隣で、大森が誇らしげにうなずき、ウーロン茶をあおった。

「そうなんだよ。桜子がは強いんだよ」
「なんでお前が偉そうだ」
「いいんだ」
大森は鷹揚に笑っている。桜子さんも楽しげに声を揺らしていた。
店を出る頃には、陽が傾きはじめていた。

JRに乗る二人と、紀伊国屋書店の前で立ち別れた。
「三崎、今日はありがとうな」
信号で立ち止まったところで、ふと大森が言った。
「俺の方こそ。桜子さんも、ありがとうございました」
「また三人で会いましょうね」
桜子さんは恭しくお辞儀をしてくれた。

信号を渡り、新宿駅の東口の雑踏に紛れていた二人の後ろ姿を見送ってから、西武線へと向かった。
九月の半ば、陽の傾きはじめた夕方の風は、もう秋を感じさせる涼しさを漂わせていた。

「もう一度生まれ変わっても、また巡り会いたい人。そういう人が、三崎さんにはいますか?」
気づけば、かすかにワインの名残にふやけた頭の中に、桜子さんのその言葉がリフレインしていた。考えがまとまらないまま、西武新宿駅に着いてしまった。エスカレーターを上がると、ちょうど電車が入ってきたらしく、改札から人が大勢流れ出てくるところだった。

その人波の中に、みどりや葵さんの面影が見える気がして、つい苦笑せざるをえなかった。
「飲み過ぎたかな」
小さな声でそう呟くと、すれ違う女子高生に怪訝なまなざしを向けられた


新しいプロジェクトが本格的に動きはじめると、またあっという間に慌ただしい日常が戻ってきてしまった。いつの間にか、朝夕の空気も肌に涼しくなっていた。ただ、それ以外は特にこれといって代わり映えのない、ただただ忙しい日々が続いた。

仕事にやりがいがない、と言ってしまうと嘘になる。しかし、時折、ふとした瞬間に本当に自分はこれでいいのだろうか、というひどくぼんやりとした不安と焦りのような感情がよぎる。いつからか、もう何度も同じようなやるせない感情に駆られていて、すっかりそれをやり過ごすことにも慣れてしまっていた。そんな自分を自覚して、諦めのため息を漏らすのにも、もうすっかり慣れきっていた。

ただ、大森と桜子さんに会ってからというもの、みどりのことを思い返すようになっていた。仕事の合間にコーヒーを飲んでいる時や、帰宅途中の駅のホームの雑踏の中、あるいはスーパーで漫然と売れ残りをカゴに放り込むとき。そうした生活の隙間のそのそこかしこにみどりの面影や、彼女と過ごした記憶がちらつくようになった。

学生時代、みどりとほとんど同棲していた頃、よく二人で近所のスーパーに出向いたこと、大学からの帰りに、連れ立って電車に乗ったことなどが、ふと駅のホームで電車を待つ間や、疲れた体を引きずるようにスーパーのレジ袋を提げて夜道を歩いているときに、わけもなく懐かしく思い出されるのだった。

どうしてこんなにもみどりのことを思い出さずにいられなくなったのか。それは間違いなく先日の桜子さんの言葉がきっかけだった。
「もう一度生まれ直しても、この人に巡り会いたいと思える人」
桜子さんにとって、大森がそうだったという。理由は聞いていないが、彼女は曇りのない表情をしていた。

あれから一週間以上、私はずっと考え続けていた。多分、ぐるぐると同じところ回り続けていたのだけれど。
私が、もう一度生まれ変わってもこの人とだけは巡り会いたいと思う人。
それはまず間違いなく、葵さんとみどりだった。しかし、どちらかを選ぶとしたら?

大森と桜子さんと別れた後、一人で電車に乗り、夕陽がちらつく並木道を歩いて家に帰る間中ずっと、その問題は頭の中をぐるぐる駆け回っていた。
もし仮に葵さんと巡り会っていなければ、私が上京したいと思うこともなかったかもしれない。それでも上京したとしても、当然葵さんなしでは学生時代も違ったものになっていただろう。

みどりとも出会っていなかったかもしれない。出会っていたとしても、それもまた違った関係になっていたかもしれない。葵さんがいなけれは、私がエジンバラへ通うこともなかったかもしれず、みどりと出会ったとしても、親しくなることはなかったかもしれないのだから。

そんなふうにぐるぐると考えを巡らせて、やがてふと気がついた。
なんだかまるで、葵さんがいなければ、というフレーズをさっきからずっとリフレインしているのは、葵さんに義理立てしているみたいだ、と。
もう何年も音信不通の、今となってはもはや十代の頃に恋い慕っていただけとすら言ってしまえそうな女性に、どうしてこんなふうに言い訳じみたことを考えているのだろうか、と可笑しかった。

改めて考えてみると、難しいことではない気がした。
確かに失恋こそしたが、私は葵さんを十代の前半から、長い間好きだった。その意味では、私にとって大切な存在であることには変わりない。

しかし、その葵さんとみどり、どちらか一方としか巡り会うことができないとしたら、みどりと巡り会いたい。ふと、そう強く思った。
葵さんはもちろん私にとってかけがえのない人だったが、しかし、それ以上に、もう一度巡り会えるなら、と思うと、どうしようもなくみどりの姿が浮かんでくる。別れてから、もう十年以上経つというのに、私は今でも心のどこかで、強くみどりに引かれているのかもしれなかった。

夜眠る前にはみどりへのなつかしさが募った。夢の中にみどりが出てくることもあった。しかし朝目覚めて会社行く支度をしていると、なんとなく忘れている。思い出そうとしても、一瞬ごとに記憶がうすらいでいく。

それでいい。いつまでも青臭い学生のままではいられないのだ。そう言い聞かせて一日を終える頃になると、またみどりのことを思い返してしまっている自分がいる。そんな日が続いていた。

それはまるで、自分でも笑ってしまうくらいにあきらめが悪く、うすらいでいくみどりとの記憶をつなぎ留めようという、悪あがきじみたセンチメンタリズムだった。
我ながら、全くみっともない三十路を過ごしているものだと思った。

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