異なる視点で気付きを与えてくれる人、粗探しを行い指摘する人
こんにちは、守屋です。
世の中には同じ物を見たり食べたりしても、誰しもが同じ感想を持つとは限りません。特に有名人の発言や行動には見る人の主観フィルターが必ず入り様々な捉え方があることは明白です。
同じ物を見て人と違う視点で考えられる人は、周りの人に気付きを与えてくれる
例えば、ある映画を観て
「感動した。」
「最後は泣けた。」
という感想を100人中80人いたとします。その中でも残りの10人は粗探しを行い、もう残りの10人は異なる視点で周りの人の気付きを与えてくれます。
「別れのシーン、実は目の動き一つで悲しさを表現しているんだよね。」
「あの間の取り方は、ことの重大さをより伝える一つの手段になっているんだよね。」
と、自分と同じ作品を観ているにも関わらず、異なる視点で考えている人は周りの人に気付きを与え、新たな好奇心や興味をもたらしてくれます。これはどんな分野でも言えることです。
同じものを見て、粗探しを行い指摘する人は、周りの人に偽りの共感と同調圧力をもたらす
一方、同じ映画を観ても
「あの作品は駄作だった。」
「あの俳優は役になり切れず俳優色が強すぎる。」
などと何かしら粗探しを行い指摘する人は、周りの人に偽りの共感と同調圧力をもたらします。
なぜ「偽りの共感」と言うのか、それは必ずしも本音で言っているのではなく、最初から粗探しが前提で物事を見ているからです。
粗探しが前提で物事を判断したり決めつける人には、批判脳が習慣化されていることが多いです。
何を言っても批判し、攻撃することで自分を維持しようとする人が一定数世の中にはいます。
応援しているサッカークラブが勝利しても
「どうせ今回はまぐれだ。」
「相手が弱いから良かっただけだ。」
「これが来週は続くとは限らない。」
「勝利したが〇〇選手は勝利に値しないプレーだったからサッカー選手を止めた方が良い。」
など、応援している身としてはクラブが勝利することは嬉しいはずなのに、粗探しが優先されてしまい素直に喜ぶことが出来なくなってしまっています。
同じ物を異なる視点で気付きを与えてくれる人は、周りの人に新たな好奇心と興味を与えてくれますが、粗探しが大前提の人は偽りの共感と同調圧力しか与えてくれません。
もし、周りに粗探しばかりする人がいるのであれば自分自身も知らない間に批判脳に腐敗される可能性が高いので十分に気を付けた方が良いかも知れません。
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